犠牲も厭わず

 人事部長の言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。真っ白の上に、いくつもの乱雑な思考が入り乱れて、駆け巡る。


 どうして? アンナちゃんは失敗したの? その結果は本物? ゼクさんはどうなるの? なんとか助ける方法は? どうすれば、どうすれば……。


「はははは! ほらな、言った通りだろ!」


 ラックの嬉しそうな笑い声が、いやに頭の中に響く。結果が結果なので誰も反論できず、レイがカウンターを蹴った。じりじりと焼かれるような静けさを、トマスさんが破る。


「ゼクの、今後の処分はどうなる?」


「上層部で会議にかけた後、決定する」


 人事部長はそれだけ残して踵を返した。会議には彼も参加するのだろうか。ほかにゼクさんの命を助けてくれそうな人はいるんだろうか。これからのことを考えると、鉛でも背負わされたような気分になって、倒れそうになる。


「エステルさん、大丈夫ですか?」


 ふと気がつくと、メレディスさんとレミーさんが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。


「まさかこんなことになっちまうとはな。オーランドも上に掛け合ってんだが、やっぱり<ゼータ>側ってことで会議とやらには出れねぇらしい」


「我々もできる限りのことはします。ですから――」


 課長もレミーさんもメレディスさんも、私たちを気遣ってくれている。そうだ、自分だけぼんやりしているわけにはいかない。


「ありがとうございます。私もまだ、諦めません」


 2人はひとまずほっとしてくれたようだった。

 さてこれからどうしよう、と思い立ったところで、いつもならすぐに方針を示してくれるはずのスレインさんを見た。


 鷹のように凛々しいその目からは怒りや覇気のようなものは感じられず、ただ暗く冷たい何かが横たわっている気がした。視点はどこにも定まっておらず、古木のように沈黙して動かない。


 先に行動をとったのは、ラルカンさんだった。


「こうなれば、ますます話を聞かねばなるまい。ラック君、時間はあるかね」


「ええ。例の魔族の件ならいくらでも話しますよ、騎士団長殿」


 思い通りに事が運んでいるのが快感なのだろう、ラックはニタニタと口角を引き上げている。

 どういう意図なのか、ラルカンさんも同じように口元に不敵な微笑を浮かべた。



  ◇



 こうなっては協会本部も安全ではないということで、私たちは街はずれにある無人の家に集まった。ここを紹介してくれたロキさんは「秘密基地」と言っていたが、中は比較的小綺麗な空き家といった感じだ。


「結論から言うと」


 キッチンに腰かけたロキさんは、私たち5人の聴衆を前に話し始める。


「ゼクは消される可能性が高い」


 ……最悪だ。一番聞きたくない内容だった。


「反対意見も多少は出たよ。会議には出てないけど、ドナートは意見書を出したし、メレディスは会長に直談判しに行ったみたい。でも、ダメだった」


 メレディスさん、そこまでやってくれたんだ。彼のことを少しでも疑っていたのが心底申し訳なくなってきた。


「会長は珍しく強引だった。ドラ息子がゼクに何かされたとか、ないことないこと吹き込んだんだろうね」


「愛する息子のためならどんな犠牲も厭わないのねぇ。素敵な親子愛だわ」


 ロゼールさんが嫌味たっぷりに皮肉を吐く傍ら、ヤーラ君が落ち着きなく爪を噛んでいる。


「あの、アンナさんは……どうなったんですか? うまくいかなかったんですか?」


「血をすり替える作戦なら、成功したよ」


「じゃあ、どうして――」


「結果のほうもすり替えられたってことだね」


 ロキさんより先に、マリオさんが答えを明かした。


「だって、検査結果は『純然たる魔族』って出たんだろう? ゼクは『半』魔族じゃないか。結果のほうも偽物だったってことだよ」


「……つまり、アンナさんが血液サンプルをすり替えた後――別の誰かが、検査結果をすり替えたというわけですか?」


 ヤーラ君の推論に、マリオさんは「うん」と軽く頷く。


「偽の検査結果を用意したのは、<オールアウト>側だろうね。そうなると、魔族が裏で手を引いてる可能性は低いかな……。ゼクが魔族だと知っていたら、こんな手の込んだことは必要ないし」


「だったら、検査結果の捏造を上層部に訴えれば」


「証拠はもう残ってないだろうし、再検査になったら困るのはぼくたちだよ。二度もすり替え作戦ができるとは思えないからね」


 マリオさんのもっともな意見に、ヤーラ君はなすすべなく俯いてしまう。


「かなり癪だけど、出し抜かれたみたいだね。で、これからどうするかだけど……」


 ロキさんは作ったような半笑いの眼を、ゆっくりとスライドさせる。


「ラルカン・リードはどう動いてるんだい?」


 腕を組んだまま黙っていたスレインさんは、ようやく血が通い始めたように顔を上げた。


「なぜ兄上のことを聞くんだ?」


「またまたぁ。わざわざ協会本部にまで出向いて、いろいろ仕込んでるんでしょ?」


「それは、宮殿に魔族が潜んでいる可能性があるからで――」


「ボクの調べた限り、そんな事実はないけど」


 驚いて、スレインさんの顔を覗く。ラルカンさんはわざわざ嘘をついてまで協会本部に来たってこと?


「お兄さんに相談したのか知らないけど、あっちはあっちで動いてるみたいだねぇ」


「少し違うわよ、情報屋さん。この世のすべての責任を背負いこもうとする馬鹿真面目の権化が、人に相談なんてするわけがないわ。まして、世界一敬愛しているお兄様になんて」


 ロキさんのカマかけに、ロゼールさんも参加する。


「おおかた、お兄さんのほうが目ざとく情報をキャッチして、首を突っ込んできたんじゃないかしら? そして、あの騎士団長様は自分に得のないことはしない人よねぇ」


「ははぁ~。<オールアウト>はラック以外の面子も、相応の家柄だしねぇ。弱味の1つ2つ握ったら、すごく楽しいだろうな~」


「……」


 スレインさんは腕を組んだまま渋面を作っている。固く結ばれた口からは、ラルカンさんのことに対する反論は出てこなかった。


「……実のところ、私も兄上の具体的な策については聞かされていない」


「ボクの見立てでは、<オールアウト>の3人のうち誰かに罪を着せて潰す感じだと思うなぁ。どんな方法を使うかは知らないけど」


 ロキさんは小悪魔みたいに目を細める。ロゼールさんはもはや責め立てるような目つきで、スレインさんはますます表情を硬くした。

 なんだか見ていられなくなって、私は思わず口を挟む。


「あの、私は……スレインさんが後悔しない方法だったら、それでいいと思います」


 全員の視線を浴びながら、私は続ける。


「こうなってしまった以上は、誰も傷つかないまま終わるのは難しいと思うので……。だったら、私はここにいるみんなとゼクさんが無事なら、それ以上は望みません」


 少しの間が空いて、まずはロゼールさんの苦笑交じりの長いため息が漏れる。ロキさんは軽口のかわりにいたずらっぽい笑みで幾度か頷き、スレインさんは――


「……私は、たぶん君を悲しませてしまうと思う」


 珍しく弱気に眉根を下げた、切なそうな横顔。


「いいですよ。スレインさんが大丈夫そうなら、私も平気です」


 そう言って、本心からの笑顔を見せた。スレインさんの悲痛さを堪えるような表情は、それでも変わらなかった。



  ◆



 深夜、死んだように静まり返った近衛騎士団の詰所にて、団長であるラルカンは一人、数枚の紙と顔を突き合わせている。広げた紙面には、3人の顔写真とその素性が書き連ねてあった。


 ラック・ウェッバーは<オールアウト>のリーダー。父親は言わずもがな<勇者協会>のトップで、息子を溺愛している。

 ダニオ・パンネッラは斧使い。高級官僚の家系だが試験に失敗し、<勇者協会>に入る。

 ヨゼフ・アビークは魔術師。父が帝国軍人だが、体力面の不安から軍への入隊を断念した。


 ラルカンはショップでアクセサリーでも選ぶように、3人を見定める。誰にしようか、と。


 選んだところで、まだ材料が足りない。もっと確実に事を進められる手段はないか……と、なにげなく自分のデスクの引き出しを開けたところで、見覚えのないものが入っているのに気づいた。


 液体の入った小瓶と、小さな手紙。


 まずは手紙に目を通し、すべての事情を了解する。送り主が誰かまではわからないが、少なくとも敵ではない。今のところは。


 ラルカンはたまらず笑みをこぼす。舞台は整った。主役を演じるのは、従順で忠実な我が妹をおいて他にはないだろう、と。

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