運命の分岐点
職員2人だけで回しているとっ散らかった診療所は、今日はいつにもまして混み合っている。患者が多いのではなく、監視役の職員が部屋を取り囲んでいるせいだ。ゼクは彼らをまんべんなく睨みつけながら、じっと椅子に座らされている。
張り詰めた空気の中、主である錬金術師はいつもより気だるそうに準備を進めている。ゼクの命運がかかった検査を担当するカミルは、余計な仕事と人間が増えたのを厭う以外の感情は見せず、淡々と作業に取り掛かっていた。
「ねーねーセンセ、鎮痛剤どこだっけ~?」
「その棚の上から2番目」
時折アンナがこうやって一切空気を読まずにカミルに話しかける。監視役たちは最初こそ警戒していたが、彼女の気の抜けた言動が繰り返されるにつれて、しだいに注意を緩めていった。カミルも気ままにうろつく助手を大して気にせず、適当にあしらっている。
「言っておくけど」
注射器を手に、カミルがゼクを見据える。
「あたしは誰かに肩入れする気はないわ。自分の仕事をするだけ」
――あなたが本当に魔族だとしても、庇う気はないからね。
そういう意味の忠告だった。このまま検査が進めば、ゼクは魔族であることが明かされ、最悪の場合命を失うことになるだろう。
<オールアウト>のクエストに参加したのが運の尽きだった。死ぬ前に、ラックの憎たらしい顔面がぐしゃぐしゃに砕けるまで殴ってやりたいと思った。いや、まだ死ぬと決まったわけではない。
もしものときは、その場で暴れて逃げ出すか。いや、残ったエステルたちがどうなるか――ゼクが必死に思考を巡らせているうちに、注射器の冷たい針が腕の中に沈んでいく。
ふとゼクが視線を上げると、アンナが密かにウィンクを決めているのが見えた。
◇
手続きやら報告やらで勇者たちが行き交う協会本部のロビーは、今日はいつにもまして騒がしい。その原因であるクレームの大合唱を遠巻きに聞きつつ、私は一人、気配を消すように隅でじっとしていた。
「ふざけんなよ!! ゼクの兄貴が魔族なわけねぇだろ!!」
「兄貴が今までどんだけおめーらに貢献したと思ってんだコラァ!!」
「そうだぁ!! なんかよくわかんねぇけど許さねぇ!!」
合唱の担い手は主に、レイ、レオニードさん、ゲンナジーさんの3人だ。受付担当の職員は困惑気味になだめている。
ゼクさんが魔族なのではないかという疑惑は他の勇者たちにも瞬く間に広まり、ちょっとした騒ぎになった。今日は検査結果が発表されるということもあって、私も含めてみんなが神経を尖らせている。
勇者たちの反応は、疑う人、信じる人、静観する人、必死に否定する人……などなど様々だ。中には、渦中の私たちを労ってくれる人もいる。
「エステルちゃん、大変だねー。クッキー食べる?」
「ありがとうございます」
クルトさんは相変わらず気前よくお菓子を分けてくれて、その呑気さが今は救いだった。
「これ、どうなっちゃうんだろうね? スターシャのお父さんも関わってるんでしょ?」
話を振られたスターシャさんは、平素の冷然とした態度でつらつらと見解を述べる。
「父は中立的な人だから、正確な客観的証拠が出るまで判断は出さないと思うわ。もし魔族だと判明したとして、脅威のレベルが低いなら、捕虜という扱いも選択肢に入るわね」
魔族だとわかってもすぐに殺すとは限らない。別の利用価値があるなら生かしておくことも視野に入れる。それが、人事部長とスターシャさんのスタンスなのだろう。
だけど、最終的に裁定を下すのは――
「おや、今日は随分と盛況だねぇ」
この騒動に火をつけた張本人が堂々と姿を見せて、集まっていた人々は一斉に視線を注ぐ。
「まあ、我々勇者の中に魔族が混じっていたとなれば、当然か」
ラックのわざとらしい言い方に、受付で野次を飛ばしていた3人衆は一斉に眉を吊り上げる。
「テメェか!! 兄貴をハメやがったのは!!」
「このホラ吹きボンボン七光り野郎!!」
「なんか知らんがブン殴ってやるぜぇ!!」
畳みかけるような非難の嵐を、ラックは鼻で笑って受け流す。
「ははは、短絡的な連中はこれだから。ゼクって奴は、そもそも前から素行不良だったんだろう? 前にも魔族の疑いをかけられたっていうし、元々怪しさ満点だったじゃあないか」
三人衆が今にも飛び掛かりそうな面相になるが、するりとその間に入って争いを食い止めた勇者がいた。トマスさんだ。
「前科があるものが疑わしいというなら、お前たちだってそうだろう」
「……何の話です? 皇太子殿下」
ラックは途端に不機嫌そうな顔になるが、トマスさんは構わず続ける。
「よそのパーティのクエストにわざとドッキングさせて手柄を奪う。そんな卑怯な真似を繰り返していたそうじゃないか、なあ?」
「とんだ言いがかりだ! そんなことをしたという証拠がどこにある?」
「なら、ゼクが魔族だという証拠だってないだろう。お前らが勝手に言いふらしてるだけだ」
ラックはぐっと歯噛みしてトマスさんを睨む。トマスさんはあえて目立つように口論をすることで、ラックがどういう人間かを周囲に印象付けようとしているように見えた。
「……フン。証拠なら、じきに出るさ」
アンナちゃんのすり替え作戦が成功していたら、無実の証拠が出てくるはずだ。今は彼女を信じるしかない。
そこでまた足音が近づいてきて、よく見知った兜の騎士が現れる。その姿を見たラックは急に機嫌を良くして、ニヤニヤ笑いながら絡みに行った。
「やあ、スレイン。まさかお前が魔族の仲間だったとはな! こんなことがお家に知られたら、ますます立場がなくなるんじゃないかぁ? リード家の落ちこぼれが――」
兜を脱いだその顔を見て、ラックが凍りつく。
「初めまして。妹の知り合いのようだが……」
目鼻立ちはスレインさんにそっくりでも、中身は違う。近衛騎士団長を務める兄、ラルカンさんだ。
「ああ、スレインの前のパーティのリーダーだな。妹が世話になった。それで……リード家の、なんだって? よく聞こえなかった」
ラルカンさんは口元には爽やかな笑みをたたえているが、切れ長の目はまったく笑っていない。ラックは何も言えず、真っ青な顔を引きつらせている。
「……まあ、話は後にしよう」
「兄上!」
スレインさん本人も、後に続いてやって来る。兄妹揃ってどうしたのだろう。
「先に行かないでください、混乱を招きます」
「そうか。はぐれないように手でも繋ぐか?」
「そういう問題ではありません」
ラルカンさんは妹をからかって満足げに笑うと、表情をすっと戻して歩き出し、トマスさんの前で膝をついた。
「皇太子殿下。近衛騎士団よりお耳に入れていただきたいことが」
「何だ?」
「――宮殿内にも、魔族に通じる者が紛れ込んでいる可能性があります」
さっきまでの喧騒が消失する。トマスさんの目は途端に険しくなり、そのまま寸刻の静寂が過ぎる。
「<勇者協会>でも魔族の騒ぎがあると聞き、関連性があるのではと」
「団長自ら調べに来たわけか。わかった、そっちは任せる。……ちなみに、魔族を発見したってのがあいつらだ」
トマスさんはラックたちを顎で示し、ラルカンさんの鋭い眼もそれに続いた。さっきのやりとりもあってか、ラックたちはうろたえ出している。
流れを切るように、革靴の乾いた足音が迫ってきた。奥から現れたのは、冷厳とした迫力を纏った紳士――スヴェトキン人事部長だ。
「勇者ゼクの血液検査の結果が出た」
ごくりと唾をのむ。人事部長の次の言葉に、すべての神経を傾けた。
「錬金術師カミルの調べによれば、彼は――純然たる、魔族である」
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