暗闇会議
部屋を出てすぐ、後ろから人の気配がした。誰なのか、振り返って確かめるまでもない。
「……どういうつもりですか?」
声に抑えきれない怒りが混じる。背後から飛んでくるのは、へらへらと小馬鹿にしたような言葉。
「潔白なら堂々としていたまえよ。まさか、本当に魔族というわけでもあるまい」
「こんなことをして、何になるのかって聞いてるんです!」
我慢できずに後ろを向く。予想通り、下卑た笑みを浮かべるラックの姿がそこにあった。
「そう怒るなよ。今僕に何かしたら、君たちへの疑いが深まるだけだ」
「……あなたの嘘が公になったら、それこそ失望されますよ?」
「君にとっては、そうなったほうがいいんだろう?」
自分が嘘をつき通せるという自信に満ちた言い方だった。
「……スレインさんに、恨みでもあるんですか」
どうしてこんなことをするのか、思い当たる節はそれくらいしかなかった。が、ラックは嘲るように鼻で笑う。
「ふっ……ははは! 随分おめでたい頭をしているらしいなぁ?」
「……どういう意味ですか?」
「たまたま強い仲間を与えられただけの無能職員が、調子に乗るなという意味だ」
心の底から蔑むような罵倒を吐き捨てて、ラックは私になど目もくれずにさっさと先に行ってしまった。
ラックが憎んでいるのは私かもしれない。でも、もう怒りも悲しみも湧いてはこなかった。少し残念だという気持ちはあった。
どうにかわかりあえたらいいのに――そう思っていた時期もあった。今はもう、どうしてもわかりあえない人もいるのだという現実的な考えが、そんな思いを覆い隠してしまっている。
「……エステルさん?」
歩く気も起きず、ぼーっと立ち尽くしている私の意識を引き戻す声。
「どうしたんです? どこか具合でも……」
メレディスさんは心配そうに私の顔を覗き込む。いつもだったら、彼の優しさと頼もしさに甘えてしまうところだけど――
「いえ、何でもないです!」
巻き込むわけにはいかない。私は自分でも嘘くさいと思えるような無理やりな笑顔を作って、急いでこの場を後にした。メレディスさんの何か言いたげな横顔が視界の端に流れるのを振り切って。
◇
夜、終業後の診療所の一室に、私たちは集まった。あまり大っぴらにできる話ではないので、アンナちゃんにこっそり借りたのだ。貸してくれた当人は用があると言って席を外しているけれど。
私は本部であったことを細大漏らさず説明した。ただし、最後にラックと話したことは除いて。
1人が欠けた<ゼータ>の面々は、皆一様に深刻な顔つきで耳を傾けていた。
「やってくれたわね、あの坊や」
ロゼールさんがため息のついでにぼやく。彼女の流し目の先にいるスレインさんは、腕を組んだまま動かない。
「くだらない嫌がらせのつもりでしょうけれど……よりによって、一番痛いところを突かれたわね」
「ど、どうするんですか? 検査されたら、すぐにわかっちゃいますよ」
「相手の出方もまだわからないしねぇ」
ヤーラ君はいつにも増して不安そうで、マリオさんもまだ先行きがつかめない様子だ。
「あの坊やを殺すなんて言わないでしょうね、殺し屋さん?」
「このタイミングでそんなことをしたら、余計怪しまれるよ。それに、エステルはそういうやり方は嫌でしょ?」
私は黙って頷いた。できれば誰も死なせたくない。マリオさんが私の意を汲んでくれたことに、ロゼールさんはちょっと満足そうだった。
なるべく平和的にゼクさんを助けたい。一体どうやって?
ちらりと横目でスレインさんの顔を確認した。カーテンは閉め切って照明も最低限にしているためか、表情は読み取りづらい。が、石像みたいに微動だにしないその姿からは、ただならぬ気迫だけが漂っているような気がした。
そこで突然、天井から誰かが飛び降りてきたものだから、心臓が飛び出るかと思った。着地した影はゆっくりと立ち上がって、聞き覚えのある声を発する。
「神出鬼没のロキさん、華麗に登場!」
深刻な雰囲気をぶち壊すような、陽気な調子。同時に、ドアからするりとアンナちゃんも顔を出した。
「神出鬼没のアンナちゃん、普通に入場~」
なんとも気の抜けてしまう2人だが、かえって緊張が解れたし、ちょうどよかったのかもしれない。
「アンナから聞いてるけど、大変そうだね」
「ぜっくん魔族バレ激ヤバピンチ的な?」
「今後はスヴェトキン人事部長の提案通り、ゼクの身体検査を行って判断するみたいだよ。このままいけば、デッドエンド……かも」
その物騒な予言に、ざわっ、と全身の毛が逆立つ感覚がした。
「まーまー、そう怖がらないで。身体検査ってのは血液を採取してそれを分析する的なやつなんだけど、そんなことができる協会の職員といえば――」
「カミル先生ですか?」
「ピンポーン。つまり、まだこっちにもやりようはあるってこと。たとえば、検査結果をごまかすとかね」
知っている人の名前が出て、少し安堵した。が、アンナちゃんはウーンと渋る。
「でもぉ、センセがそーゆーの、協力してくれるかなぁ?」
「しないだろうね。面倒ごとには極力首を突っ込まないタチだから。でも、いるじゃないか。カミルと一緒に仕事してる、診療所に出入り自由な職員が」
「え、誰?」
「……君だよ」
ロキさんの苦笑交じりの声に、アンナちゃんは舌をぺろりと出す。
「そっかぁ~! アンナ、すごぉい。で、何すればいーの?」
「手っ取り早いのは、採取した血液を偽のものとすり替えることかな」
「おけおけ~」
アンナちゃんの空気より軽い調子には、あのロキさんでさえ困惑していた。でも、以前も噂の塗り替えをやってくれた彼女だ。十分信頼を置ける。
「すみません、お任せしちゃって……」
「いーのいーの。検査はそれで乗り切るとして、それで万事解決ってわけじゃないのはわかるよね?」
ロキさんの念押しに、マリオさんが応える。
「<オールアウト>側がゼクを魔族に仕立てたいのなら、相応の手を打ってくるはずだよね。それに、今になってどうしてこんなことをしたのかも気になる」
「単に私たちに嫌がらせをしたいだけとは限らないですもんね」
「そう。誰かが彼らをそそのかした可能性もある」
ピリッ、と空気が張り詰める。誰か黒幕がいて、ラックたちをけしかけたのだとしたら? その黒幕こそが、本物の――
「君たちは、<オールアウト>の周辺を洗ってみたほうがいいかもね。あまり目立たないように」
「わかりました」
おおかた方針が定まったところで、私は再びスレインさんを見た。いつもならこういう場では仕切り役として話を牽引してくれるはずなのに、怖いくらいに押し黙っている。
結局スレインさんは、診療所を出るまで一言も発することはなかった。ようやく口を開いたのは、解散後になんとなく2人で残って、私が話しかけたときだった。
「大丈夫ですよ。ロキさんやアンナちゃんも協力してくれるし……。スレインさんのせいじゃ、ないですから」
こんな事態になってしまって、責任を感じてるんじゃないかと思っていた。気休めかもしれないけれど、あまり気負わないでほしかった。そもそも私が<オールアウト>の誘いに乗ったのがいけなかったのだから。
スレインさんは鬼気迫るような顔つきから一転、眉間をくしゃっと歪ませて、どこか思いつめたように一言だけ漏らした。
「すまない」
それっきり、こちらに目もくれないで――スレインさんは夜闇の中に消えていった。
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