稲妻十字
雪面と同じように日の光を照り返す銀色の2本の刃。人懐こい犬みたいな明るさはすっかり消え失せ、死人みたいな無表情にある一人を見据えた瞳だけを浮かべている。
「カスパル兄ちゃんを殺したのは、きみだろう」
「……ヘルミーナに何をした?」
「死んでないよ。あの子はワルモノじゃない。……でも、きみだけはわからない。きみはいい奴だよ。だけど、虫でも潰すみたいに人を殺せる類いの人間にも見える」
クルトさんは私なんていないみたいに脇を素通りして、マリオさんにゆらりと寄っていく。入れ替わるように、スターシャさんが静々とこちらに近づいてくる。
「睡眠薬よ。危害を加えるつもりはないわ」
「あの、どういうことですか? クルトさんは――」
「……。クルトが私のパーティに入るかわりに、私は彼の兄について可能な限り情報提供をする。そういう約束」
初めから、クルトさんはお兄さんのことを調べるために私たちに近づいたんだ。ヘルミーナさんを誘ったのも、同じ理由なのだろう。
「そういうわけで、あなたがクルトの邪魔をするなら、私が止めないといけないの」
光の差さない瞳が、私を縛りつける。でも、なんだろう。いつものような、威圧感じみたものは感じられなかった。
2つの剣を垂らして、クルトさんは兄の仇をじっと見つめている。すぐに斬りかかるつもりではなさそうだった。
「わからない……そう、わからないんだよ。きみが兄ちゃんを殺したわけじゃないとか、何か理由があるとかだったら、納得できるかもしれないんだけど」
「ぼくが直接手を出したわけじゃないよ。ただ、死に繋がるような状況にはしたね」
マリオさんはあまりにもあっさりと真実を告げた。クルトさんの眉間がぴくりと動く。
「どうして」
「あの場では、カスパルが死ぬべきだと判断したんだ」
淡白な言い方がクルトさんの神経を逆なでしていることは、ここからでも見て取れた。
「……ヘルミーナちゃんと何か関係があるの?」
「それは言えない」
マリオさんはあくまで、ヘルミーナさんを巻き込まないつもりらしい。彼にしては珍しい、かもしれない。けれど、そんなことに感心している場合じゃない。
「わかった。話し合いで収まることじゃなさそうだね」
垂らしていた剣が、首を伸ばすようにマリオさんのほうに向く。
「きみが人を殺せる『ワルモノ』かどうか、ここで確かめてみる」
一歩目が雪原に深く沈んだのと同時、雷鳴と閃光。まばゆい光がマリオさんを飲み込んで、弾ける。
「……!」
足を止めたクルトさんが目を見開く。雷に打たれたはずのマリオさんが、ほとんど無傷で立っていたからだ。
「あー……そのコート、特別製? 知ってたんだね、おれのこと」
「保険としてね。予想通り、カスパルと同じ戦い方だった」
マリオさんがクルトさんの狙いに気づいていないはずはなかった。なんなら、初めて会ったときに彼の素性もわかっていたのかもしれない。電気を通さない仕様のコートを用意して、防寒着として持ってくる周到さ。もはや驚きもしない。
そうなれば、クルトさんは剣を主体に戦うしかない。といっても、2つの鋭い太刀筋は魔術の援護がなくても十分だ。が、マリオさんの動体視力は易々とそれらを捉え、かわしていく。
そこで再び、稲光が瞬く。雷撃というよりは目くらましをあてにした一撃で、狙い通りマリオさんは視覚を奪われて顔を背ける。
すかさず切り込んできた刃は見えないはずなのに、マリオさんは正確に糸の束で受け止める。反対側から迫りくるもう1本も、身体を捻って器用に避ける。
追撃にかかろうとしたクルトさんは、宙に固定されて動かない剣にはっとする。糸を巻き付けた両手を引くマリオさんの動きに気づいたクルトさんは、自分に雷を纏わせて熱で糸を焼き切った。
しかし、今度はそれがクルトさんにとっての目くらましとなった。光が消え去った瞬間、矢のように突進してくる小さなナイフが現れる。
「――!」
ナイフはクルトさんの腕に突き刺さっている。鮮血が真っ白な雪を染めた。
「……強いなぁ」
「そちらこそ。首を狙ったのに」
笑顔で告げるマリオさんに、クルトさんは表情を硬くする。抜いたナイフを投げ捨てて剣を構えなおし、小細工なしの直進で一気に距離を詰める。
対するマリオさんは素早く糸を投げるが、あらかじめ纏わせていたらしい雷光が糸を灰にしてしまう。剣が振り上げられると同時、マリオさんは飛びのく。ちょうど、斬撃の届かない位置だ。
しかし、襲いかかったのは剣ではなく雷だった。
光の筋は絶縁体のコートではなく、左手首の装置を正確に打ち抜く。マリオさんは一瞬にして武器を失った。
クルトさんはさらに一歩詰めて、振り上げたままの剣を一気に滑降させる。鋭刃が裂いたのは布だけだった。それが彼の狙いだった。
無防備な裂け目に向かって、稲妻が一直線に突進していく。
マリオさんの背は雪に覆われた地面に衝突して、深く沈んだ。
死んではいない。起き上がった彼の右腕には、痛々しい焦げ跡があった。雷の直撃は避けたものの、防ぐために出した腕は熱傷を受けてしまったらしい。
眉ひとつ動かさず立ち上がるマリオさんに、クルトさんは煮えるような眼差しを射つける。ゆっくりと交差した剣はまるで銀の十字架のように。弾ける電気の筋は裁きの雷のように。
空気を引き裂く雷声が合図を鳴らす。縦に双剣、横に雷火、垂直に交わる死の十字架に捕らえられて、マリオさんは逃げ場を失う。
彼は、避けるでもなく――前進した。
波しぶきみたいに噴き上がった雪が、キラキラと光りながら舞い降りていく。白い幕が薄れていくにつれて、雪面に広がる鮮やかな赤が浮かび上がる。
マリオさんの焦げた腕には大きな切れ目が走っていて、コップをひっくり返したみたいな流血がしたたり落ちている。
その背後では、クルトさんが――深く裂けた脇腹の傷を庇いながら、どすんと膝をついた。
「……ま、じか」
吐血をこぼす口元は半笑いで、剣を杖にしてかろうじて体勢を保っているように見えた。
もう片方の剣は彼の手元にはなく、マリオさんの傍に横たわっている。濡れた刃からは赤い雫をつけた糸が引いていて、それはマリオさんの手袋に繋がっていた。
魔道具は壊されたはずだ。でも、糸が全部消えたわけじゃない。燃え残った糸を利用して、クルトさんの負傷したほうの手から剣を奪い、反撃した。信じられないけれど、そういうことになる。
マリオさんは何の感情も顔に出さず、足元の剣を拾ってクルトさんを一瞥する。
視界の隅に、スターシャさんの横顔が映った。
「待ってください!!」
私は叫んでいた。マリオさんは一呼吸おいて、剣を放り捨てる。痺れを切らしたようにスターシャさんが飛び出して、深手を負ったクルトさんに駆け寄った。
「ご、ごめ……」
「喋らないで」
スターシャさんは傷口に治癒魔術を施し、淡い光が灯る。が、負傷がひどいためか出血が止まる気配はなかった。
「ヘルミーナに任せたほうが、助かる確率は高いと思うよ」
マリオさんが淡々と助言する。私の腕の中で眠っていたヘルミーナさんは、見計らったように目を開けた。
「ヘルミーナさん、大丈夫? 今――」
「聞こえ、てました……最初から」
起き上がっても足元の覚束ない彼女を支えて、雪の上をゆっくりと進む。まだ意識がぼんやりしている様子だったが、魔術に支障はないようで、さっきより大きな光が創傷を包み込んだ。溢れ出ていた血は、すぐに勢いを弱める。
血を失って依然顔色の悪いクルトさんを、スターシャさんが手早く処置する。傍観していたヘルミーナさんはようやく身体の自由が戻ったのか、一人で立ち上がった。
「……ごめんなさい」
唐突な謝罪に、クルトさんは疲弊しきった眼だけを動かす。
「あなたのお兄さんを殺したのは、私です」
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