都合のいい話
一通り手当てを終えたところで、クルトさんは焚火の横に敷いた寝袋の上で安静になってもらった。その間ずっと、彼はヘルミーナさんの話に静かに耳を傾けていた。<ブリッツ・クロイツ>であったことを、そのリーダー――クルトさんのお兄さんが命を落とした事件も含めて、詳細に。
「それで、私は……糸を切らずに、カスパルさんを……見殺しに、しました」
ぽつぽつとこぼれる言葉をすくい集めるように、クルトさんは目を閉じたまま神経を集中させていた。話をじっくり吟味していたのだろう、しばらくしてゆっくりと瞼を開けた。
「……ナイフで刺した、とかじゃなくてよかった」
責められることを想定していたらしいヘルミーナさんは、クルトさんの第一声に意外そうな表情を返す。
「まあ……そうだね、兄ちゃんが悪い。むしろこっちがごめん」
「い、いえ……」
「昨日の……雪山で迷ったことがあるって話も、そう?」
「……」
言い淀んでいるヘルミーナさんの代わりに、マリオさんが説明する。
「作戦のとき、カスパルがヘルミーナにだけ違う場所を指定して、置き去りにしたんだよ。ぼくが迎えに行ったんだけど」
淡白な言い方だったが、それでも胸が詰まるようなひどい話だった。クルトさんも空を仰いだまま、苦い顔をしている。
「……。クルトさんにとって、お兄さんはどんな人でした?」
なんとなく、聞かずにはいられなかった。クルトさんのやや歪んだ眉根から硬さが取れて、目つきがだんだんと穏やかになっていく。
「いい兄ちゃんだったよ」
そう言った直後にヘルミーナさんの顔を見て、少し気まずそうに笑う。
「おれがこんなヘナチョコだから、いつも面倒見てくれたんだ。勇者ライセンスの試験受けるときなんて、おれより真面目に対策してくれたし。落ちたときは毎回キレてたけど」
レミーさんが「クソ野郎」となじり、ヘルミーナさんにひどいことをしたその人は――クルトさんにとっては、大切な家族だったのだ。
「外で兄ちゃんが何してるかなんて、知らなかったなあ……。本当は――おれがもっと早く受かってれば、同じパーティに入ってたはずなんだけど」
もしそうなっていたら、ヘルミーナさんもあんな目に遭わず、クルトさんは兄を失わずに済んだかもしれない。でも、そうはならなかった。残酷な運命を嘆くように、クルトさんの眼は青空に吸い込まれていく。
「……ごめんねぇ。おれの個人的なあれこれに付き合わせちゃって。マリオには怪我までさせちゃったし」
「痛くないから、平気だよ」
マリオさんがそういう人だと理解し始めたのか、クルトさんはただ苦笑する。
「スターシャも……仕事と関係ないことして、ごめん」
「そういう取り決めだったんだから、問題ないわ」
「でも、クエストは結局最後までやんなかったし……。おれ、こういう奴だからさぁ。やっぱ、おれもクビかなぁ?」
「いいえ」
スターシャさんは相変わらず、有無を言わせぬ切れ味鋭い物言いをする。
「クエストは結果的には成功という形にする予定でしょう。あなたの『ワルモノでなければ戦わない』という性分も、人間に危害を加える魔族なら戦えると解釈すれば、そういうクエストを選べばいいだけのことよ」
「……おれに合わせてくれんの? 意外」
「あなたにはそれだけの戦力的価値がある。だから、私がわざわざお父様に推薦したのよ」
「……推薦? 温情で受からせてくれたんじゃないの?」
「馬鹿言わないで。私があなたの力量を見込んで、お父様に掛け合ったの。今更切り捨てるなんて、愚かな真似はしないわ」
クルトさんは唖然としている。ここまでスターシャさんに大切にされているとは思わなかったのだろう。
私も正直そうだった。――クルトさんがマリオさんに斬られたときの、何かに耐えるように強張ったスターシャさんの横顔を見るまでは。
「それに……そう。エステル、あなたの言うことが理解できたわ」
「え?」
「人にはそれぞれ都合がある、という話。私はこれまで、<勇者協会>の勇者として果たすべき責務に則って行動していたつもりだった。けれど、結局それは私自身の都合に過ぎないもので、すべての勇者が賛同するとは限らないことに気づいた」
そういうつもりで言ったんじゃないんだけど……とは、言わないでおく。
「つまり、私は今まで自分の都合を他人に押し付けていたということ。メンバーが定まらないのも、そこに原因があった。ならば、私のほうもメンバーの都合を考慮しなければならないはずよ」
それで、彼女はクルトさんにも合わせようと考えたんだ。クルトさん自身は、ちょっと複雑そうな顔をしている。
「スターシャさんって……ほんとにすごいですよね」
思わずそう言うと、彼女は一切表情を変えずに視線を返す。
「何が?」
「だって、自分の悪いと思ったところをすぐに受け入れて改善しようとするの、なかなかできないですよ」
「そう」
特に喜ぶでも照れるでもなく、抑揚のない返事が1つ。冷たいというよりは、凪のような平常心。
「……お父様が――<ゼータ>の話を聞いたとき、『3日と持たない』とおっしゃったのだけど」
誰にともなく独り言のようにこぼれた言葉は、澄んだ瞳を伴って私のほうに向けられる。
「ここまで続いているのは、あなたの働きがあってこそなのでしょうね」
初めて聞く、柔らかな声音。スターシャさんは絶対に反論の余地をくれない。だから、なんていうか……ちょっと、照れくさくなってしまう。
クスクスと小さく漏れる笑い声がして、クルトさんが嬉しそうに白い歯を見せているのが目に入った。
「エステルちゃんの周りにいる人は、誰もワルモノになんてならないんだろうなぁ」
彼にはもう、さっきみたいな敵意は完全に消え去っていた。
◇
帝都に戻った私を待ち受けていたのは、普段と違って怖い顔で腕を組むメレディスさんだった。
クエストの報告自体はスターシャさんが済ませてくれたのだけど、確認したいことがあるというので小さな面談室に呼ばれ、現在デスクを挟んで書類と睨み合っているメレディスさんと対面している。
「この……ホワイトエイプ討伐のクエストは、本当に達成されたのですね?」
「は、はい」
「群れのボスも含め、全個体を漏らさず倒した……間違いないですか?」
「間違いない、です」
「……」
彼の真剣な目つきは、再び書面をじっくりとなぞっていく。
「いえね、どうもこのクエストだけ審査が早すぎると申しますか……北方の雪山の奥地などかなり厳しい道のりのはずなのですが、調査員の仕事がここまでスムーズなのは不自然で。調査部に掛け合ってみたのですが、担当者が誰かもわからないままでして」
疑われている調査書類をこしらえたのはロキさんだ。当然内容は虚偽のもので、それをメレディスさんは怪しんでいる。そして、私に嘘をつき通すスキルは皆無だ。
「同行者はエステルさんの他は4人でしたね。<ゼータ>がお強いのは承知ですが……敵は本当に1体の漏れもありませんでしたか?」
「は……はい」
一気に汗がにじんでくる。ほとんど見逃しました、なんて言えるわけがない。
メレディスさんは綺麗な両目で私を捉えながら、じっと考え事をしている。絶対疑われてる。誰か助けて。
願いが届いたのか――突如、部屋のドアが開いた。
「ここにいたか!」
ずかずかと無遠慮に入ってきたのは、レミーさんだった。
「メレディス君。仕事ほっぽってエステルちゃんとお話たぁいい御身分じゃねぇか。んん?」
「私はただ、気になったことを確認しようと――」
「エステルちゃんが関わってンのに不備があるわけねぇだろ? さっさと仕事に戻んな、新米」
「……すみません」
メレディスさんはまだ何か言いたげだったが、ぐっと飲みこんでくれたようで、私に丁寧に礼をしてから部屋を出て行った。
「……どうせロキだろ?」
「わかりますか、やっぱり」
「前から割とあったからな。しかし、新米クンのくそ真面目も変なほうに行くと厄介だねぇ。上層部にもガンガンかち込むし、協会丸ごとひっくり返すつもりかよ」
レミーさんは冗談めかしているけれど、メレディスさんは確かに不思議な人だ。あの行動力、単に仕事熱心だというだけなんだろうか。悪い人ではない、と私は思っているんだけど……。
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