正義の見方
魔物を前に武器を捨て、どっしりと座り込んだクルトさんは、降参でもするように手をひらひらと振る。
「なんか、やる気なくなっちゃった。お腹減ったし、帰んない?」
呆れてしまうほどのん気な態度を、スターシャさんが咎めないはずはない。
「……任務を放棄する、ということかしら」
「言ったでしょ。おれ、ワルモノ相手じゃないと戦う気になれないって」
「彼らが人間を襲わないという保証はどこにあるの?」
「知らないよ。それを言ったら、人間だって人間を襲うかもしれない」
クルトさんはもはやテコでも動かなそうで、スターシャさんも苛立ちに眉をひそめるが、説得は諦めたのかピリピリと尖った眼差しをこちらに転じた。
「この場合、あなたたちに任せることになるけれど」
「ぼくはエステルの決定に従うよ」
マリオさんは平坦な声で宣言する。ヘルミーナさんも元々子供たちを助けたいと思っていたのだろう、心配そうに話し合いの行く末を見守っている。
すべては私に託された、ということになる。
「中止にしましょう」
冷たいナイフのようなプレッシャーに耐えながら、私は声を絞り出した。
「……正当な理由はあるのかしら?」
「その、うまくは説明できないし……スターシャさんの言ってることも正しいと思います。でも……あのホワイトエイプたちからすれば、傷ついた子供を脅かす私たちのほうが『ワルモノ』じゃないですか」
彼らがこれから無関係な人間を襲うかどうか、それはわからない。けれど、今はホワイトエイプのボスも、クルトさんが武器を捨てて座り込んだときから大人しいままだ。
「私たちは勇者として魔族と戦うけれど、魔族だって彼らの都合があるし……いや、だからスターシャさんの都合もよくわかります。私たちの安全を考えて、作戦も練りこんでくれて、クエストの成功のために頑張ってくれたのも……」
「私の話はどうでもいいわ」
スターシャさんは一刀両断するみたいに話を切ってしまう。
「ここで魔物を見逃したとして、その後は? 無策で放置するわけにもいかないわ」
「人がここに近づかないようにすればいい。近隣の村や町に警告するとか、立て札を立てておくとかね。こんな雪山じゃ、元々人通りのある場所じゃないだろうし」
マリオさんが現実的な提案をしてくれて、それについてはスターシャさんも反対はしなかった。
「クエストの結果報告は? 私たちが失敗したと報告すれば、次の勇者パーティがここに来るわ」
「それなら、ロキに頼めば……うまく処理してくれると思います」
ヘルミーナさんも有効な手を考えてくれて、後始末の話はだいたいまとまった。あとは、スターシャさんが納得してくれるかどうか。
「……わかりました。どの道これでは、クエストの続行は困難だわ」
ほっと力が抜ける。ヘルミーナさんも同様に、緊張が抜けて胸をなでおろしていた。
「あの、じゃあ、あっちの子たち……私が治療しても、いいですか?」
「私が決めることではないわ」
実質許可をもらったヘルミーナさんは、ボスの脇をあっけなくすり抜けて、うずくまっている子供に駆け寄った。ボスは警戒する素振りを見せたが、治癒魔法であっという間に傷を治してしまうと、すぐに矛を収めたようだった。
「元気でねーっ。人間の世界に下りてくんなよーっ」
クルトさんが言葉も通じるかわからない魔物に別れの挨拶をして、私たちはほら穴を出た。
◇
天気が安定していたお陰で、下山はスムーズだった。道中はずっとクルトさんが飽きもせず喋り続け、私を少しの気まずさと退屈から救ってくれた。ただ、作戦を頓挫させられることになったスターシャさんはほとんど口を利かず、休憩中も読書に専念していた。
「マリオってなんでマリオなの?」
全員で倒木に座って焚火を囲んでいるとき、クルトさんがそんな哲学的疑問を口にした。
「だって、ほんとの名前は『モーリス』でしょ? なんでマリオって呼ばれてんの?」
「それはねぇ……」
実演したほうが早い、ということで、マリオさんはいつもの人形たちを用意した。
本日の演目は、真っ赤な衣装を身にまとった少年の鮮やかなジャグリング。いくつものボールが宙に投げ出され、綺麗な円の軌道を辿って渦を巻く。渦潮はやがて流れを変えて、ボールたちが空中で複雑に絡み合い、最後にはすべて空高く放り上げられ、一直線に整列して落下する。
恭しい一礼の直後、割れんばかりの盛大な拍手。
「すっげぇ~~!! 何これ、本物の人間じゃん!! 中に人入ってるって、絶対!!」
クルトさんは大興奮で、白んだ息がぶわっと吐き出される。小さく拍手していたヘルミーナさんも、満足そうに微笑んでいる。
「この子、アーネスト君……だっけ」
「そうそう。ジャグリングの名手」
「へぇー、ちゃんと名前ついてるんだ」
熱心なファンでもあるヘルミーナさんは、観客の子たちの名前まで1人ずつ言い当てていて、クルトさんを驚かせていた。
「なるほど、『マリオネット』でマリオね。めちゃくちゃ納得」
ひとしきり頷いたあと、クルトさんはやや目を細めて口角を上げる。
「じゃあさ~、なんでヘルミーナちゃんは本名で呼んでるの?」
「えっ」
ヘルミーナさんの頬がほんのりと染まり、ニヤニヤと笑うクルトさんの悪ノリは加熱していく。
「いやぁ、悪いことじゃないよ、全然。むしろこう、特別感があっていいよねぇ~」
「や、あの、その、違うんです。それは、たまたまというか……」
「はいはい」
真っ赤になっているヘルミーナさんに対して、クルトさんは小さな子供でも見守るような穏やかな笑みを浮かべている。肝心のマリオさんは不変の笑顔で傍観しているだけなのが惜しい。
「2人はいつからの付き合いなの? やっぱ、パーティが一緒になったときから?」
「元々ぼくらがいたところに、ヘルミーナが入ってきたんだ」
「へえ。やっぱヘルミーナちゃん的には、<ブリッツ・クロイツ>に入れてラッキーだったんじゃないの?」
その名を出したのは悪手だった。ヘルミーナさんの顔から一気に血の気が失せ、視線を俯けてしまう。
「あ……や、やっぱこの話ダメ? 前のパーティでなんかあった?」
クルトさんも途端にうろたえて、余計な質問を投げかけてしまっている。ヘルミーナさんはふらふらと立ち上がって、どこへともなく歩き始めた。
「ヘルミーナさん!」
私とクルトさんが慌てて後を追う。小さな肩に手をかけると、青白い横顔がちらついた。前はぬいぐるみを抱えていた両手が、行き場をなくしたように小刻みに揺れている。
「大丈夫?」
「ごめん! ほんっとごめん! ほら、温かいお茶でも飲んでさ」
クルトさんは大急ぎで水筒を取り出してコップに中身を移し、ヘルミーナさんに差し出す。手元の覚束ない彼女のかわりに私がコップを受け取って、震える手を包むようにぎゅっと握らせた。
「飲めば落ち着くよ。ね?」
ヘルミーナさんは縋るように握りしめたコップから、温かいお茶をそっと口に含める。
「――ヘルミーナ!」
マリオさんの鋭い声。直後、コップが地面に吸い込まれるように落下して、飛び散った熱湯が雪を溶かす。ふらりと小さな身体が私のほうに寄り掛かって、反射的に両手で受け止めていた。
「ヘルミーナさん? どうしたの?」
彼女は人形のようにぐったりと体重を預けたまま、眠ったように目を閉じている。肩をゆすっても、目覚める気配はなかった。
立ち上がったマリオさんは切れ長の双眸で誰かを見据えている。沈黙を貫いていたスターシャさんが、何か覚悟を決めたように本を閉じた。
「<ブリッツ・クロイツ>の死んだリーダーと、やっぱり何かあったんだね」
別人のように起伏のない声と、金属が擦れる乾いた音。
「おれの兄貴、カスパル・グレーナーと」
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