ウォーミングアップ
マリオさんが用意してくれたのはトマト風味のスープパスタで、一口啜っただけでも全身に温かさと活力が行き渡るほどの絶品だった。私とクルトさんは一緒に「ん~!」と唸り、気落ちしていたヘルミーナさんもすぐに柔らかい顔つきに戻ってくれた。
「ヤバイこれめっちゃおいしい。待って、マリオと同じパーティだったらいつでもこれが食べられるってこと……!? ねえ、うちに来ない?」
「ぼくは<ゼータ>だから無理だねー」
「くーっ!! いいなぁ、<ゼータ>の人たち!」
クルトさんが恨みがましそうな眼差しを向けてくるのを、私は苦笑いで返す。確かに、食事に困らないというのは絶大なアドバンテージだ。一家に一台マリオさんが欲しい。
スターシャさんのほうはただ栄養を摂取する作業のように、黙々と食事を進めている。一口食べるたびに騒ぎ出すクルトさんとは大違い。賑やかなのも楽しいんだけど。
物静かで表情を読み取りにくいヘルミーナさんも、久しぶりにマリオさんの料理が食べられたからか、どこか幸せそうに見える。
「おいしい?」
「は、はい、もちろん!」
ヘルミーナさんの上ずった声がちょっと微笑ましくて、私は話を続けた。
「マリオさんのご飯で何が一番おいしかった?」
「え? んー……全部よかったんですけど……私はやっぱり、このスープが一番好きです」
「そうなんだ。今日も食べられてよかったね」
「本当に……。――前に食べたときは、今日みたいに大雪の寒い中をさんざん迷った後だったので……」
スープの中に落とされた瞳は愛おしげでいて、わずかに悲しげな色が滲んでいるようにも見えた。ふと、それがさっきの<ブリッツ・クロイツ>時代の話なのではないかと察しがついた。
「ヘルミーナちゃんってさぁー……」
クルトさんは彼らしいぼんやりした調子で、とてつもないことを言い出した。
「マリオのこと好きなの?」
「!?」
ヘルミーナさんは飛び上がりそうになって、ついでに私もむせた。
「や、あの、その……」
「あーはいはい、わかりました。大丈夫。いやぁ、青春だねぇ」
真っ赤になってあたふたしているヘルミーナさんはあまりにもわかりやすくて、クルトさんも一瞬で事情を了解し、腕を組んで一人でウンウン頷いている。
「さて、そんな羨ましいお立場のマリオ氏のお気持ちは?」
「ヘルミーナは、いい友達だよ」
「……ここで『友達』は、ちょっとヒドくない?」
「そう?」
空気を読まないマリオさんのきょとん顔には、クルトさんも困惑している。が、ヘルミーナさんはかえっておかしそうに微笑んだ。
「いいんです。モーリスは、こういう人だから」
これにはクルトさんも二の句が継げず、複雑そうな半目でマリオさんを見つめるだけだった。
カラン、と食器が置かれる音が沈黙を遮り、食事を終えたスターシャさんが数枚の紙を取り出す。
「そろそろ、今回の作戦の説明に入っていいかしら?」
今までの和やかなやり取りなどなかったことのように、スターシャさんは平坦な声で空気を均す。
「標的であるホワイトエイプは山林の中を群れで行動するわ。戦術としては、1人が陽動で群れを誘い出して、もう1人が後ろから撹乱。統率が緩んだ隙に群れを無力化して、ボスを仕留める。こんなところね」
「陽動役はぼくかな?」
「そうね。クルトも含めて、事前にヘルミーナに補助魔術をかけてもらうわ。あなたは糸で高所でも移動できるんだったわね。だから、誘い込むポイントは……」
あらかじめ現地の地形をしっかり調べていたのだろう、スターシャさんは地図を示しながら詳細に指示を出している。マリオさんやヘルミーナさんの能力や戦い方も完璧に研究しているようで、私はもはや尊敬の念すら湧いてしまった。
「……説明は以上よ。質問は?」
すっと手を挙げたのは、マリオさんだった。
「ぼくはまだ、クルト君の実力が未知数でさ。後ろからとはいえ、ホワイトエイプの群れを相手に戦えるのかな」
「問題ないわ」
ほとんど即答だった。リーダーのお墨付きを得て、クルトさんはちょっと誇らしげだ。
「……それでDランクなの?」
マリオさんがもっともな疑問を呈すると、クルトさんは照れ臭そうに頬を掻く。
「いやー、おれ最近勇者んなったばっかりでさぁ。試験3回受けたんだけど、1回目は寝坊して、2回目は筆記がダメで、3回目は実技やる気なくて全部落ちちゃったんだよね」
「や、やる気が……?」
「おれ、なんていうか――ワルモノが相手じゃないと調子出なくてさ。悪い奴なら『やっつけてやる!』って気になるけど、それ以外はなんかねぇ~」
クルトさんはやはりというか、かなり気まぐれな人みたい。スターシャさんもそれをわかったうえでパーティに入れているのだから、気まぐれさを差し引いてもお釣りが来る強さということだ。
「それで、4回目に受かったんですか?」
「ううん。スターシャのお父さんが特別に採用してくれたの」
「え?」
「父は協会の人事部長なの」
少し驚いたけれど、納得がいった。スターシャさんが他の勇者のことに詳しいのは、お父さんの影響もあるのかもしれない。
「だからおれ、スターシャには頭が上がんないんだよね~」
「それならもう少し真面目にやってもらえるかしら?」
「はーい」
切れ味鋭い一言を、のらりくらりと受け流す緩やかな声。ちぐはぐに見える2人も、なんだかんだ相性はいいんじゃないかという気がしてきた。
◇
朝日が銀世界を煌々と照らす中、立ち並ぶ枯れ木の中をかき分けて、私たちは目的地を目指していく。スターシャさんはまるで自分の庭みたいに正確な道を迷いなく選び、魔物たちの住処は着々と近づいていた。
「もうすぐね」
分厚い手袋に包んだ懐中時計を一瞥して、端的に告げる。木々の密度が増していき、不穏な気配が濃くなっていく。
傾斜が強くなってきたところで、空から枝の軋む小さな音が下りてくる。
「いた」
マリオさんの切れ長の眼が、すらりと高く伸びた木の上方を見据える。私が見上げたときには何もいなくなっていた。
「だいたい想定通りの位置ね。準備を始めてちょうだい」
事前の打ち合わせ通り、ヘルミーナさんがマリオさんとクルトさんに補助魔法をかける。前衛2人はスターシャさんと地図を見ながら最終チェックを済ませた。
「じゃ、行ってくるねー」
「うん、気をつけて~」
マリオさんとクルトさんはなんとも気の抜けた声を交わし、それでいて行動は機敏にそれぞれ所定の場所に向かう。マリオさんは糸を枝に絡ませてひょいひょいと木々を飛び移り、クルトさんは段差の死角をうまく使って慎重に移動している。
「ヘルミーナ。もし可能なら、中に行って2人の援護をしてもらいたいのだけど」
「あ、はい」
ヘルミーナさんはおどおどと頷き、敵地のほうに進んでいく。危険じゃないかと思ったが、彼女は陽動役も十分にこなせるヒーラーだと記憶しているので、私が口を挟むのは控えよう。
結果的にスターシャさんと2人で残されることになり、話すこともないので魔物たちのいそうなほうを何とはなしに眺める。
ふと横目でスターシャさんを確かめると、彼女の高貴な猫のような瞳がじっとこちらを凝視していて、私はぎょっとした。
「な、なんですか……?」
「あなたの役目が、いまいちよくわからないわ」
嫌味というわけではまったくなくて、純粋に疑問、という言い方だった。確かに何もせずに見守っているだけなんて、端から見ればいなくてもいい存在だ。
「私の役目は、なんというか、そのー……」
どう説明したらいいか迷っていると――奥のほうから枯れ木を一斉に揺るがすような咆哮が轟き、私の鼓膜を震わせた。
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