三日月が昇る頃

 馬車に揺られて帝都に戻ったときには、傾きかけた太陽が街を淡いオレンジ色に染めていた。

 下りて早々マーレさんは大きな伸びをしたあと、いつもの活発な笑みを私たちに向けた。


「今回はほんとにありがとう! なんか、パーティとしてやってけそうな自信ついたよ!」


「それはよかったです! 私はなんにもしてないですけど……」


「あんたいなかったらまたロゼールにめちゃくちゃにされて終わってたわよ」


 エルナさんが目を細めて睨むが、ロゼールさんはどこ吹く風であくびなんかしている。


「それにノエリアもわざわざ来てくれて……ノエリアー?」


 ……ノエリアさんは、あれからずっとぼーっとしていて、話しかけてもろくな反応がない。無理もないことだと思う。


「ま、トーナメントではみんな敵同士だけどね。言っとくけど、負けるつもりはないから」


 エルナさんは彼女らしい勝気な笑みで宣言する。が、後ろにいるリナちゃんとタバサちゃんはといえば……


「うぇーっ!? ロゼールお姉様が相手なんてリナが100人いても勝てないですよーっ! ハンデつけてくださいです、ハンデ!」


「ぜっ……<ゼータ>の人たちって、あの恐ろしいと噂の……ひぃぃっ! むむむむ無理ですよぉー!!」


「大丈夫だって、あたしら絶対強くなれるよ! 頑張って特訓しよう!」


 両拳をぐっと握って励ますマーレさんは、その持ち前の明るさでパーティを引っ張ってくれるだろう。エルナさんやみんなに支えられながら。


「その前に、クエストの達成報告ね。うちらで全部やっとくわ。エステルたちのこともきっちり伝えとくから」


「ありがとうございます」


 エルナさんは人差し指と親指でOKサインを作ってくれた。もしマーレさんがメレディスさんと会ったら、今度は彼女が鼻血を噴いて倒れてしまうかもしれないな、なんて余計な心配がよぎった。


 さて解散、という空気になってからすぐ、マーレさんだけが何かを思い出したように引き返してきた。


「ロゼールも! 手伝ってくれてありがとね。なんていうか……楽しかった!」


「あらそう。それは何より」


「ロゼールっていい人だよね。いろいろ考えてくれてさ。それに久しぶりに4人で戦ってみて、めっちゃやりやすかったんだよね」


 興奮気味に語っていたマーレさんの顔に、暗くなりかけている空の色が被さる。


「――本当は、もっと早く知りたかったよ」


 自分の髪をもてあそんでいたロゼールさんの長い指が、ぴたりと動きを止める。

 夕陽を背に振り返ったマーレさんの顔はよく見えないまま、仲間たちのところへ戻っていった。


「……お姉様が、わたくしたちにやり直す機会をくださったのは重々承知しておりますわ」


 ノエリアさんは相変わらず空のどこかを見つめているような眼だったが、その声だけは確かな輪郭を持っていた。


「あとは、お姉様だけですわよ」


 青みがかった空にくっきりと白い三日月が映えて、ロゼールさんの横顔を柔らかく照らした。



  ◇



 <クレセントムーン>の報告受理を担当したメレディスさんによると、今回の件でパーティの評価は大幅に上がるだろうということだった。<ゼータ>のこともノエリアさんのことも熱心に説明してくれたらしいけれど、そちらはどう評価に繋がるかはわからないと言っていた。


 ちなみに案の定マーレさんはメレディスさんを前に石になってしまったと見えて、「無口で奥ゆかしい女性だった」と彼に記憶されていた。


 そんな話を聞いた後、私は一人本部の中をうろついていた。迷ったわけじゃない。ファースさんたちがそろそろ西方支部に戻るというので、最後に挨拶だけでもしておこうと思ったのだ。


 目的のうち2人がドアの前に立っているのが見えて、私は声をかけようとしたが、すぐにやめた。狐さんの青い顔とへなへなと萎れた尻尾が見えたからだ。隣にいるアイーダさんはいつものすまし顔だったけれど。

 おそらく、部屋の中にいるであろうファースさんを待っているらしいことはわかる。


「ど、どうしたんですか?」


「お、おう。今はちょっと、ほら、な?」


 狐さんの説明は全然要領を得ていない。アイーダさんのほうを見ると、彼女は顔色一つ変えずに眼鏡の縁を指で押し上げる。


「前支部長のエステル・マスターズ様ですね。ファースさんはただいまお取込み中でございます」


「はあ……。あ、私のこと覚えててくれたんですね」


「手帳に赤ペンで線が引いてあったので、重要事項なのかと」


 過去のアイーダさんは私のことを忘れていたのを気にしてくれていたようだ。悪い気がしつつも、ちょっと嬉しい。


 ほんのり和やかな気持ちとは裏腹に、ドアの向こうからは何やら殺伐とした雰囲気が漏れ出ている。耳をそばだてると、2人分の声。怯えたような震え声と、烈火のような怒声。


「す、すみませんでしたぁ!! 許してくださいぃ~~っ!!」


「喧嘩する覚悟もねぇ奴が因縁つけてくんじゃねェ!! わかったか、小坊主!!」


 ……おそらく、怒鳴ってるほうがファースさんだ。

 ドアが剥がれそうな勢いで開いて、男が1人、悲鳴を上げながら飛び出して走り去っていった。遅れて帽子も眼鏡も外したファースさんが、憤懣やるかたないといった表情で煙草片手にゆっくり出てきた。


「性根の腐ったガキが……」


 煙草をくわえたファースさんと目が合うと、彼ははっと我に返った様子で、慌てて煙草の火を消した。


「す、すみません! エステルさんがいらっしゃるとは知らず!」


「いえいえ」


 私は先に飛び出していった男にも見覚えがあった。会長のドラ息子こと、ラックだ。この時点で、彼らに何があったかは想像に難くない。


「いやあ、俺の尻尾があの野郎に踏んづけられちまってよ。俺が怒ったらなんか逆切れしてきやがって、すったもんだ言い合ってたら、あいつアイーダちゃんにまでちょっかい出しやがんの。そこで旦那の堪忍袋の緒がドンよ」


 狐さんがへらへらと状況を説明している間、ファースさんは気まずそうに眼鏡を拭いていた。


「ああ、本部では騒ぎを起こさないようにと思っていたのに……。アイーダさんもすみません、突然……」


「お気になさらず。ファースさんに関しては『何があっても驚かないこと』と手帳に記してありましたので」


 アイーダさんは手帳に書いてあればなんでも忠実に守るのだろうか。もしかするとファースさんのあの豹変ぶりも、記憶には残らずとも身体で慣れてしまっているのかもしれない。


「ところで、エステルさんは何かボクらにご用事でも?」


「いえ、もうすぐ帰るって聞いたので、挨拶だけでもって」


「マメだなー、エステルちゃん。俺もずーっと帝都にいたいんだけどなぁ」


「ダメだ。まだ向こうで片付けなきゃならないのがたくさんあるんだから」


「あー……っすね」


 へえ、そんなに仕事が多いんだ。ソルヴェイさんもしばらくここに残ることだし、ファースさんたちには無理をしないでほしいけれど。


「それじゃあ、本部のほうも忙しいでしょうし、ボクらも向こうで……」


 別れの挨拶を急に区切ったファースさんは、ためらいがちに目線を2、3度往復させて、やがて意を決したようにぽつぽつと言葉を紡いだ。


「……やっぱり、エステルさんには言っておきます。西方支部のほうも問題だらけでしたけど――ボクは、こちらの『本部』も相当根が深いと見ています」


「え……」


「数日間お邪魔していただけですが、確かにそう感じました。さっきの小坊……あの人も、会長さんの息子ですよね? あんな腑抜けがでかいツラしてる時点で……いえ、失礼。とにかく、健全な組織運営とは言えないと思います」


「でも、会長さんは普通の人ですし……」


「普通の人が常に善良であるとは限りません」


 丁寧な口調ながら、怖いくらいの説得力があった。


「とはいえ、ここは<勇者協会>。主力は現場で戦う勇者の皆さんです。そして、彼らをどうにかできるのは――」


 ファースさんの力強い眼差しが、真っすぐ私に訴えかけている。

 そう、パーティという垣根を越えて勇者たちを支援できるのは、私たち<ゼータ>だけだ。<クレセントムーン>はどうにかうまくいったけれど、他のパーティはどうだろう。


 大丈夫、やれる。私を見つめる3人の眼が、自信と勇気を与えてくれるような気がした。

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