恋せよ乙女
霧のような白い湯気に包まれて、湯舟の温かさを足先から全身に行き渡らせながら、私は長い息をついた。
近くの街に大浴場つきの宿があって、クエストを終えた私たちはそこで泊まることにしたのだ。ロゼールさんはここのことも含めてクエスト選びをしたんじゃないかとまで妙に勘繰ってしまう。
ゆっくり湯舟に浸かって静かに疲れを癒そう――などという夢は、女子が集まればどうなるかがわかっていればすぐに叶わぬものと知る。
「もうさー! タバサ完全にエルナ流だよね! とにかく数撃つみたいな。近づかれたらアレだけど……ってかさ、リナのあれってどこで覚えたの? めっちゃプロっていうか――」
「あんたの話題も数撃つスタイルになってるんだけどー?」
「すすすみません、あの、眼鏡がないとなんにも見えなくて……誰か私の名前呼びました?」
「も~~!! あれはリナじゃなくて、リナによく似た妖精さんか何かですぅ!!」
仲良くなった<クレセントムーン>は、ずっとこんなゆるい雰囲気なんだろうか。それはそれで素敵なことだと思うけれど。
片や、水面に口元と解いた長髪を沈めているノエリアさんは、独り言を泡に閉じ込めてブクブクと吐いているが……。
「……本当はお姉様と2人きりがよかったのですけれど……仕方ありませんわ、マーレたちも功労者。ここは我慢、我慢ですのよノエリア」
ほぼ、丸聞こえだった。
そんな愚痴だってロゼールさんは聞こえなくとも察しはついているはずなのに、素知らぬ顔で縁に肘をかけつつ頬杖をついて、ビブラートのきいた鼻歌を歌っている。
「てかロゼールさあ!」
ばしゃ、とエルナさんが飛沫を立てる。
「こうなることを見越してグループ分けしたってこと? 全部狙ってたとしたら、もはやドン引きよ」
「別に? こうしたら面白いかなぁ~と思ったことをやっただけよ。それでどうなるかまでは計算に入れてないわ。まあ、リナちゃんが強いのはなんとなくわかってたけれど」
「にゃっ!? リ、リナはただ、もてあそばれていただけってことです!? ひどい、ひどすぎるですよっ!!」
「あら、リナちゃんが可愛いなって思ったのは本心よ。可愛すぎて、つい」
あれはやっぱりロゼールさんの悪癖が出ただけだったんだ……。慣れていないリナちゃんはロゼールさんのことが理解できないのだろう、やや引き気味だ。そんな彼女に、やや興奮気味のマーレさんがぐいぐい押しにかかる。
「で? で? なんでリナってそんなに強いの黙ってたの?」
「だからあれはリナによく似た妖精さんで……」
「あんな武闘派の妖精がいるか」
お風呂の熱かどうかはわからないが、リナちゃんは頬を赤くして少しうつむき、視線だけ横にずらす。
「その……昔、リナの故郷が魔物に襲われたです。で、村のよくわからない変なのが勝手に傭兵団組織して、魔物の討伐させてたです」
ああ、きっとファースさんのことだ。リナちゃん、そのことでファースさんにつっかかってたっけ。
「でも、その傭兵団は獣人さんとかドワーフさんとかいろんな種族がごちゃまぜで、そのうち種族間で内輪もめが始まったです。それでもう、一帯を巻き込んだ大喧嘩に発展したです」
「ひ、ひぇ……た、大変ですね」
「そこで、武術に明るいリナのパパが仲裁に入ろうとしたです。だけどパパは優しすぎるから、結局ボコボコにされちゃったです! それで、リナも……」
「えっ……」
「リナも頭にきて、傭兵団の人たちを7、8人ボコしたです」
「わあ」
「そんな強いのに、なんで魔術師やってんのよ」
エルナさんのもっともな疑問に、リナちゃんは再び顔をうつむける。
「そっ……その場面をそのとき好きだった男の子に見られて、ドン引きされたです――ッ!!!」
大浴場に響き渡る絶叫。その残響が徐々に小さくなっていくのを聞き届けた、直後。
「え――っ!? なにそれリナ超可愛い!! ガチ乙女じゃん!!」
「そ、それで格闘術封印してたの? ちょっと大げさじゃない?」
「な、なんというか、その……ふふっ。さ、災難でしたね……く、ふふふっ」
「なんですかもう、みんなして!! 全部あのファースとかいう奴のせいですーッ!!」
「ファースさんはいい人だよ」
「シャ―――ッ!!」
私のフォローに、リナちゃんは威嚇する猫みたいに毛を逆立てている。それがまたおかしくて、みんなの笑いを誘った。が、ノエリアさんだけは妙に真剣な顔で語り出した。
「あら。わたくし愛に生きる者として、リナのお気持ちもよ~~くわかっていてよ。愛のためとあらば特技を捨てて別の道に行く。その覚悟、ご立派ですわ」
「……や、まあその男の子のことは別にもういいですけどぉ」
「んなっ!?」
「リナもそろそろ別の好きな人見つけようかな~って気になったですね~」
「お、じゃあ一緒にイケメンを探す旅に出ないかね?」
「マーレは自分の趣味のためでしょ」
「うーん、イケメンもいいですけどぉ……」
リナちゃんは小悪魔みたいな笑みをニヤリと浮かべて、ある人に視線を移す。
「よくよく考えなおせば、やっぱりロゼールお姉様はとっても魅力的、です!」
ノエリアさんに、電流が走った。
「あの氷魔法もホントにすっっごかったですしぃ~、何より超美人じゃないですかぁ。ね、タバサ」
「へぁ? そ、そうですね、綺麗……だと思いますよ。見えないけど」
リナちゃんの表情から察するに、ここでちょっと波乱を起こすことで、ロゼールさんに一杯食わされた仕返しをしてやろうという魂胆なのかもしれない。が、ノエリアさんはショックで白目を剥いて完全に麻痺している。
「うふふ、ありがとう。そんなふうに言われちゃったら私、どうしようかしら」
「ロゼールさん!」
これ以上はノエリアさんが死んでしまうと思い、ちょっと強めに口を出す。
「ごめんなさいね。嫉妬に苦しみ悶えるノエリアちゃんがあんまり可愛いから」
「あんた悪魔?」
お茶目に舌を出すロゼールさんには、さしものエルナさんも若干顔を青くしている。
「ノエリアちゃんも、今回は本当によーく頑張ってくれたと思うわ。私、あなたのそういうところ、大好きよ」
「……はっ!! お、お、お姉様からそのようなご好意をお伝えいただけるなんて……!!」
「だから……はい、ご褒美」
感動に打ち震えているノエリアさんが気づかぬうちに、ロゼールさんはそっと顔を近づけて――――………………
私たちはどのくらい、目を皿にして凝視していたことだろう。
ノエリアさんの縮んだ瞳がじりじりと脇ににじり寄る。そこで、自分の頬に触れたものが何だったかを認識したのだろう。血色のいい肌に、赤々とした熱が立ち昇っていき――
彼女は盛大に鼻血を噴いて、気絶してしまった。
「ちょっ……ノエリア――っ!?」
「何やってんのよ、ロゼール!!」
「あらごめんなさい、こんなことになるなんて」
「だだだだ大丈夫ですかっ!? か、回復、回復魔法っ!!」
「やめるですタバサ!! お風呂が灰になるです!!」
この大浴場の大騒動の後……ノエリアさんが目を覚ました頃には、すっかり夜更けになっていた。
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