虹の剣

 小さくて可愛らしくて、魔術は少し物足りないけれど、周りに頼るのが上手なリナちゃん。

 そんな彼女は今、Bランク級の魔物と素手で渡り合っている。素人目に見ても、相当な手練だと理解できるほどに。


 だけど、曲がりなりにも敵はBランク級。わずかの隙に大きく羽根を広げて飛び上がり、人間では手の届かないところへ容易く退避してしまう。空中にとどまったアークイーグルは、空を覆うばかりの翼を大きく羽ばたかせ、またしても大風を吹かせる。


 こうなっては、身体の小さいリナちゃんは不利だ。強風に耐えかねて地面に転がされたところで、大鷲の眼が鋭く光る。姿勢を低くして、滑空の構え。リナちゃんは、まだ立てていない。


「~~~~~っ!!」


 言葉にならない声を上げたタバサちゃんは、一人で戦っていた仲間を助けるための勇気をようやく奮い起こしたらしい。膝をつきながらも腕を伸ばし、炎の塊を空中に生み出す。


 火炎の弾丸は流星群のように真っすぐ飛んでいく。しかし、大鷲は猛烈な速度そのままに、器用にカーブしながら炎をかわしていった。

 そうして<クレセントムーン>の2人の傍を通り過ぎて――


『あっ!』


「――え?」


 身体全体に大きな衝撃を受けたと認識した頃には、私は空から小さくなった木々を見下ろしていた。


 あまりにも迂闊だった。隠れる場所なんてとうに消失させられてしまっていたのに、自分の身を隠すことを疎かにしていた。


 この賢い大鷲は、私を人質にすれば有利に戦えると判断したのだろう。実際その通りになった。リナちゃんもタバサちゃんも、捕まった私をなすすべなく見上げているだけだ。


 景色がぐるりと回転して、顔に当たる風が強さを増していく。地面が迫るにつれて、2人の表情が鮮明になる。焦燥感に染まった表情が。


 大鷲が2人の少女を引き裂こうと空を滑り降りる。反撃をすれば私を巻き込むリスクがあるせいで、2人は逃げる以外の選択肢がない。だけど、タバサちゃんの悪い癖というべきか、こういう事態になると動けなくなってしまうみたいだ。


 残されたリナちゃんの瞳に、何か覚悟のようなものが煌めいた。

 彼女は小さな身体を大鷲の前に晒し、タバサちゃんを庇う格好を取った。


「リナちゃん!!」


 ――衝突。

 大きなハンマーで硬いものを打ちつけたような、鈍い音。ミシミシと骨が軋むような音が耳につく。


 リナちゃんには、傷ひとつなかった。タバサちゃんも同様に。

 彼女たちの前には、薄い氷の壁が広がっていたから。


 ふらふらとよろめく大鷲とともに地上の景色が揺れる。それでも私の目にははっきりと映った。薙ぎ倒された木々の上に立つ、人影。


「私の氷は100年は解けないわよ」


 風になびく、太陽のように輝く金髪。そのすぐ背後に、見慣れた3人の姿がある。


「はぁ~~~~~っ!! さすがはお姉様ですわ!! あの紙のような厚みの氷であれほどの強度、まさに天から賦与された神業ですわ~~~っ!!」


「ね、ね、見た!? リナ、めちゃくちゃすっごい身のこなし!! てかタバサの炎も改めてヤバイ!! あの2人強くない!?」


「あーはいはい、はしゃぐのはあの鳥撃ち落としてからねー」


 女子会のノリで盛り上がっている彼女たちは、それでもれっきとしたAランクの実力者――<アルコ・イリス>のメンバーたちだ。


「その前に、エステル助けるのが先か。じゃあ――」


「待って」


 エルナさんの言葉を遮ったロゼールさんは、然るべき人物に目配せをした。


「この場を仕切るのはノエリアちゃんよ。そうでしょう?」


 指名された彼女はすぐにその意を汲み取ったようで、凛々しい双眸に熱意をみなぎらせている。


「……もちろんですわ。さあ、エステルを救出した後、アークイーグルを討伐いたしますわよ!!」


 銀色の剣の切っ先が、パーティ全員の向かうべき道に光を灯す。


 真っ先に飛び出したのはマーレさんとエルナさんで、2人は左右に分かれて別々の方向からこちらに回り込もうとしている。


 左から矢が1本飛び去ったのに釣られた大鷲は、足下のほうから跳び上がってきた刺客に気づかない。

 氷に激突した痛みでよろよろと下がっていたその高度は、ちょうどマーレさんの斧が届く位置だった。


 食い込んだ刃の周りから羽毛が飛び散る。私を拘束していた足が緩んで身体がすべり落ち、ちょうどマーレさんにキャッチされてそのまま降下、着地。


「大丈夫?」


「あ、ありがとうございます」


 ほんの短い気遣いを施してくれてから即、マーレさんは次の行動に移る。

 獲物を落とした大鷲はその原因となった相手を睨むが、すかさずいくつもの矢にその身を穿たれる。


 下ろされた私は逃げも隠れもする必要がなくなった。エルナさんが走りながら立て続けに矢を放ち、大鷲が近づこうとすればマーレさんが飛び掛かるという挟撃体制。注意をかき乱された大鷲は、空の上でぐるぐると惑うばかり。


 そこにもう1つ手が加われば、いよいよ混乱が加速する。

 地面から突き上がる氷の柱。大鷲は反射的に鋭利な先端に貫かれるのを逃れるが、そこから枝分かれするように、さらに別の柱が生えてくる。氷の大樹はさながら巨大な鳥かごとなった。


 その内側を、猛烈な勢いで駆け上がる剣士がいた。


 透明な大樹の幹を、枝を、器用に足をかけて疾走し、大鷲のもとへ飛び上がって、太陽を背負う。

 燃え盛る陽光を受け、それより激しく燃え上がる爆炎を引きながら、煌めく刃が虹を描く。


 着地と同時に地面は放射状に焼け焦げるが、氷の檻には黒ずみ一つ残っていない。すっと立ち上がったノエリアさんが剣を収めると同時、大鷲の首がどさりと落ちた。


「クエスト達成ですわ」


 凛々しい笑みで、ノエリアさんは――今日限りで復活した<アルコ・イリス>のリーダーは、そう宣言した。


「わはー、久しぶりにこの2人の化物魔術見たー!」


「てかノエリア、マジで火力増してない? そろそろ人間やめるつもり?」


 一仕事終えたという感じで、マーレさんとエルナさんは外れた矢を集めている。ロゼールさんは魔物の死臭を嫌ってか、香水でせっせと上書きしている。


 なんてことないように振る舞う4人とは裏腹に、私も、リナちゃんやタバサちゃんも、すっかり目を奪われていた。圧倒的な力、チームワーク。「Aランク」という肩書に嘘偽りない実力を、これでもかというほど見せつけられた気分だった。


「すごい……こんな……こ、こんなの、私には無理ですよぉ……」


 タバサちゃんが自信を失ってしまうのも、気持ちはわかる。それでも――と私が言う前に、リナちゃんがぽつりとこぼした。


「追いつけなくても、それでもいいって言うですよ。うちのリーダーたちは」


 <クレセントムーン>は、トーナメントでCランク代表として勝ち上がってくるだろう。今、ふとそんな確信が湧いてきた。そのときこの子たちが、パーティが、どこまで成長しているのかが楽しみになってきた。


 そんな2人に火をつけたノエリアさんは、さっきとはうって変わって少し神妙な面持ちで何かをためらっている様子だった。意を決したのか、顔を上げてロゼールさんのほうに向く。


「お……お姉様!」


「なぁに?」


 ロゼールさんは普段通りのマイペースさで、黄金色の長髪を整えている。


「今回のクエスト、わたくしも至らぬところは多々あったと思いますけれど、おおむね成功という結果を収めたと自負しておりますの」


「そうね、よく頑張ってくれたわね」


「ああ、そのお褒めの言葉だけで天にも昇る心持ちですわ!! ですが……もう1つ、このノエリアに我儘をお許しくださいませ」


「ええ、何かしら」


 大げさなくらい低姿勢だったノエリアさんはさらに腰を低く――というか地面に両手と頭をぺたりとつけた。


「お姉様と!! ご一緒に!! お風呂に入らせてくださいまし――――ッ!!!」


 丸出しの欲求を余すところなく全乗せした絶叫は、森中に響き渡っていった。遠くのカラスがばたばたと慌ただしく飛び立った。


 いっそすがすがしいまでの土下座を前にしたロゼールさんは、櫛をしまってうーんと首をかしげ、「そうだわ」と笑った。


「せっかくだから、みんなでお風呂に入りましょう」

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