ヒートダウン

 淡い木漏れ日の差す穏やかな森の中。木の幹に手を添えて茫然としている背中が1つ。


「あの、ノエリアさん……?」


「……」


 呼びかけても、その虚脱した背が動く気配はない。太い根に腰掛けたエルナさんはため息を漏らし、タバサちゃんは忙しなく右へ左へおろおろしている。


 アークイーグルの討伐に赴いた私たちだが、まずは元Eランクのリナちゃんとタバサちゃんの訓練をしなければならない。そこで、ロゼールさんの提案で2つのグループに分かれることになったのだけど……。


 きっとノエリアさんはロゼールさんと一緒にいたかったのだろう。あっけなく切り離されてしまった彼女は、開始早々うなだれたまま反応が返ってこない。


「あんたあんだけ息巻いてたくせに、ロゼールがいないだけでしょぼくれんのやめてくれない?」


 冷淡なエルナさんに、ノエリアさんは眼だけぎょろりと寄せて抗議する。さっそく喧嘩になりそうな雰囲気に、私は慌てて声を上げた。


「でっ、でも、ノエリアさん! ロゼールさんも、ノエリアさんを信頼してこちら側を任せたんだと思いますよ? だから、ほら……」


「そうですわね!! わたくしもお姉様のご期待にお応えしなくては!!」


 一瞬で復活したノエリアさんは、さっそくおたおたしているタバサちゃんのもとに歩み寄る。


「さあ、まずはあなたの実力を見せていただかないといけませんわね。手始めにわたくしに回復魔法をかけていただけるかしら?」


「へっ? え、や、あの……」


「ええ、もちろん健康体で試してもしようがありませんから――」


 ノエリアさんはするりと剣を抜くと、刃を自分の左手の指に当てて、何のためらいもなく傷つけた。


「――っ!!?」


「この切り傷を治してくださる?」


 指先にほんのわずか、糸のような赤い筋が刻まれている。大した傷ではないのだけど、タバサちゃんは全身から血の気が引いたようにしばし凍り付いてしまった。


「あっ……あ、あ、あっ……ち、ちちちち、血!! ひあぁぁぁ~~~~っ!!!」


 金切声みたいな悲鳴とともに、タバサちゃんは両手を前に突き出す。手のひらに魔力らしきエネルギーが渦巻くが、それは徐々にオレンジ色のうねりとなった。


「ノエリア!!」


 エルナさんが警告を発したときにはすでに、オレンジのうねりは大きな炎となってノエリアさんに突き進んでいた。

 当のノエリアさんは一切取り乱すことなく、差し出したままの手でくるりと宙をかき回し、迫り来る炎を一瞬にして霧散させてしまった。


「……なるほど、よくわかりましたわ」


 ノエリアさんの落ち着いた声音とは裏腹に、タバサちゃんはさっきよりも蒼白な顔で今にも倒れそうになっている。

 そんな彼女に、ノエリアさんは柔らかく微笑みかけた。


「あなた、炎魔術のほうが才能があるのではなくって?」


「……ほぇ?」


「威力も申し分ありませんし、コントロールに多少難があってもどうにかなるレベルですわね」


「えっ……で、でも、私、ヒーラーですし……」


「役職なんて関係ありませんわ。あなたの能力が十分に発揮できるほうを取るべきではなくって? そのほうがパーティのためにもなるでしょうし」


 なるほど、逆転の発想だ。回復魔法が炎魔法になってしまうのなら、いっそ炎魔法を磨けばいい。

 そんなこと思ってもみなかったのだろう、タバサちゃんはまだノエリアさんの助言を受け入れられないようで、大きな瞳をきょろきょろと走らせている。


「まだ何かご不安かしら?」


「いやっ、あの、その……わ、私ほんと、魔法はいつもめちゃくちゃで、どこに打ってるのか自分でもわかんなくなっちゃって、だから……き、危険じゃない、ですか……?」


「あら、そんなこと」


 ノエリアさんはくるりと木々の立ち並ぶ方へと向き直り、すっと右手を突き出した。


 ゴオッ、と凄まじい熱風に髪を攫われる。

 思わずつぶった目を開けたときには、隙間なく密集していた木々が消滅していて、黒い消し炭が点々と降り積もるだけの広々とした更地に変貌していた。


 彼女がロゼールさんに負けず劣らずとてつもない魔術師なのは知っていたけれど、それでも言葉を失うほどの光景だった。初めて見るタバサちゃんの衝撃たるや、推して知るべし。


「……ひっさしぶりに見たわ、ノエリアの化物魔術。てか、前より威力上がってない?」


「あら、エルナ。あなたたちはこの程度、簡単に合わせていたはずだけれど」


「誰も合わせられないなんて言ってないんですけど?」


 エルナさんは勝気な笑みで立ち上がる。火がついたのは、森の木々だけではなかったようだ。


「ついでに連携の練習でもしてみる? ほんとはマーレもいたほうがよかったんだけど」


 自慢の弓を構えたエルナさんの長髪が、ふわりと揺れる。



 タバサちゃんは回復魔法を炎魔法と間違えることはあってもその逆はなかったので、攻撃要員のほうが向いていると誰もが納得した。

 これで彼女も<クレセントムーン>の一員として戦力になれそう――だったんだけど……。


「ちょっと! タイミング遅いわよ!!」


「す、すすす、すみません~~っ!!」


 エルナさんとタバサちゃんの相性は、予想通りを通り越して予想外に悪い。気の強いエルナさんの物言いは、タバサちゃんの蚤の心臓を軽く破裂させかねない。


「だいたいあんた、動きが全部ワンテンポ遅れてんの!! 敵は待ってはくれないのよ!? そんなにモタモタしてたらあんただけじゃなくて……」


 元々きつめのエルナさんだけど、今は言動の棘が4割増し5割増しになっているような気がする。明らかにヒートアップしすぎている。半泣きでひたすら謝り倒しているタバサちゃんを見ているのも、そろそろ心苦しくなってきた。


 ちらっとノエリアさんのほうを伺うと、彼女は腕を組んだまま傍観を決め込んでいる。ここは、私が止めてあげたほうがいいみたいだ。


「あの、そろそろやめにしてあげませんか? タバサちゃんだって慣れないことで大変でしょうし……」


「だって、そしたら――」


 勢い余って興奮した猫のように鋭い眼を向けてきたエルナさんは、はっとしてすぐに表情を戻してくれた。


「……そうね。なんか、熱くなっちゃった。ごめん」


 謝罪の一言では効果が薄いらしく、タバサちゃんはまだ青ざめた顔で小動物のように震えている。エルナさんも参ったように少し肩を落とした。


「なるほど、お姉様がこのようなメンバー分けをした理由がわかりましたわ!」


 気まずい空気を両断するように、ノエリアさんの歯切れのいい声が響いた。


「何よ、急に大声出して」


「エルナ。あなた、マーレがいないとすぐ周りが見えなくなってしまうようね」


「は!?」


「ほら、そういうところ」


 一瞬声を荒げたエルナさんは、ノエリアさんにびしっと指差されてすぐに気勢を削がれてしまう。そんな光景を見て、私もふと思いあたることがあった。


「そういえば……こういうときって、いつもマーレさんが『まあまあ』って止めに入りますよね」


「ええ。ですから、離れた途端にこれですわ。特にタバサは繊細ですのよ? リーダーがこれでは、安心して戦えないのではなくて?」


「……!」


 エルナさんは何か言いたげに歯を食いしばりつつも、横目でタバサちゃんを一瞥する。青い顔で縮こまっていた彼女は、気まずそうに目を泳がせている。


「……ロゼールは私の欠点をあげつらうために、マーレと引き離したってわけね」


「お姉様にも深い意図がおありなのでしょうし、気にすることはありませんわ。――前は、わたくしが一番周りが見えていませんでしたもの」


 ノエリアさんは本来、真面目で真っすぐな人だ。自分の非を素直に認める正直さがある。ロゼールさんもよくわかっていることだろう。

 その真摯な姿勢はエルナさんの内側にもしっかりと染み透っていったはずで、固く絞られた表情がふっと柔らかい笑みで崩れた。


「……こりゃ、全面的に私が悪かったわね。タバサ、ホンットにごめんなさい」


「あぇ!? そ、そ、そんなっ……」


「訓練とか言う前に、もっと必要なことあったわね。お茶でもしない?」


「あ……は、はいっ」


 一転穏やかになった空気に、タバサちゃんも緊張が解けたようだ。


「そうだ、エステル。マーレのほうも見に行ってくんない? なんか、心配になってきちゃった」


「いいですよ」


 私もそろそろ向こうの様子が気になっていたところだった。ここはもう、何も問題はないだろうし。



 さて、言われた通りにロゼールさんたちのほうへ向かう途中、私はさっそくマーレさんの姿を見つけた。

 ……木の根元で両足を抱え込み、魂の抜けたような顔で座っている彼女を。

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