光の雨
いよいよ私たちが帝都に帰る日が来た。
帝都行きの馬車はすでに街の入り口に到着していて、西方支部のみんなで私たちを見送りに来てくれていた。
何人か別れを惜しんで泣いてくれている人までいて、私もついもらい泣きしそうになる。特に涙で顔をぐしゃぐしゃにしていたのは、狐さんだった。
「うっ、うっ……お、俺、エステルちゃんたちのこと、ひっく、忘れねぇからよ……俺たちの、ことも、ぐすっ、覚えててくれよな……!!」
「もちろんですよ。狐さんも――いえ、ヴォルフガングさんも、お元気で」
「う、ウォォ――ン!!」
狼の獣人らしい遠吠えみたいな泣き方だった。ちょっと臆病なところはあったけど、やっぱり根は優しくていい人なんだろうな。
「ソルヴェイさんも、いろんなところでお世話になりました」
「おー」
ソルヴェイさんは気だるそうな垂れ目のまま、手をひらひらさせている。多くを語らないあっさりしたところが、彼女らしいというか……。
「アイーダさん……。私たち、アイーダさんにはたくさん助けられてきたんですよ。絶対に忘れませんから」
「……ええ。お気をつけて」
アイーダさんにとって、私たちは今日初めて出会う人間だ。お別れの感慨なんて何にもないのかもしれない。その顔は変わらず凛として無表情だった。
ただ、隣にいるソルヴェイさんは何もかも見透かしたように笑っている。
最後に、中心で堂々と立っている小柄な彼と目が合う。穏やかで、温かい――だけど、とてつもなく強い何かを秘めているような、そんな瞳。
「ボクは、本来は――魔族が一番の敵だった。それをようやく思い出せた気がします。ありがとうございました」
「じゃあ……これからも、同じ目標を持った仲間、ですよね」
しっかりと握手を交わす。その手は小さくても、力強かった。
この「最果ての街」が人間世界のどん底だというのなら、これ以上安心できることはない。底の土台を支えてくれるのが、こんなにも素晴らしい人たちなんだから……。
◆
ホビットというのはそこそこ得な種族かもしれない、とファースは思い始めていた。
背丈が小さく童顔で、概して平和的で温厚な種族だ。他人から恐れられたり恨まれたりすることが少なく、力は弱くともかえって安全なのかもしれない。弱いことの強さを教えてくれたのは、今はもういない彼女だった。
あらゆる面で中途半端なのも、だからこそ公的機関の支部長とギャングのボスなんて両極端な役職を兼任できたと考えれば、悪くない。
記憶をいじられた人々も、ヨアシュが退くと同時に元に戻った。「ドクター・クイーン」の正体は3人だけの秘密にして、二度と表に出さないと決めた。
街の復興も順調で、ファースは久々に休憩室で煙草を味わう余裕ができている。
ソファのほうを振り返ると、熱心に手帳を読み込んでいるアイーダがいる。この頃、暇があれば大抵あれを開いている。
「ファースさん」
「どうしました?」
煙草を灰皿に押しつけながら、穏やかに返事をする。こういうときは決まって手帳の内容に関する質問が来るので、最近は名前を呼ばれるのがちょっとした楽しみになっていた。
だが、今日は少し違っていたらしい。
「いえ、その……気づいたんですけれど、ここに書いてあること、ほとんどあなたのことばかりで……。きっと私、ファースさんに何度もお世話になっていたんですね」
あれには確か、ファースがアイーダにしてもらったことのほうが書かれているはずだった。
「いつも、ありがとうございます」
小さな心臓が、大きく跳ねる。
『……昔はよく笑う子だった――って言ったら、信じるか』
ソルヴェイが言っていたことが、今のファースには身にしみるほど理解できた。
彼女はこんなにも、美しく笑える人間なのだから。
あの手帳のページを増やそう。何回忘れても、何回でも読み返したくなるような思い出を刻みつけよう。そのぶんだけ、彼女の笑顔が増えていけばいい。
白いページを染め尽くしたインクは、乾いた大地に降り注ぐ光の雨だ。
◇
馬車に揺られながら、あの街に行く前のことを思い返していた。
ウェッバー会長に出向をお願いされて、みんなに心配されて、不安しかなくて……でも、今となっては全部いい思い出になっている。
私が感傷に浸っている傍ら、仲間たちはもう次の戦いに焦点を当てていた。
「わざわざ侵攻の計画を伝えるなんて、魔族は何を考えているのか……」
スレインさんは警戒しているみたいだけど、ゼクさんはしっくりこない顔で後頭部を掻いている。
「や……もしあいつなら、そもそも何も――」
直後、馬車が急に止まった。まだ目的地までかなりあるはずで、外を見れば草原のど真ん中だった。
どうしたんだろう、と覗いてみた御者さんの顔は、前方の何かを向いて青ざめていた。
城塞みたいに巨大な甲虫が、行く手を塞いでいる。
「魔物っ……!?」
思わず私が叫ぶと、仲間たちはすぐさま戦闘態勢に入る。
――が、みんなが出る前に、三方向からそれぞれ3つの人影が飛び込んできた。
「<ブラッド・カオス・ドラゴン・エクスカリバー>の"風斬り"レオニード様、参上!! こいつぁ俺らの獲物だ!!」
「先にクエスト申請したのはあたしらだってば! あと、エルナの射線入るなーっ!!」
「仲間どうし、けんかしちゃダメだよー! あ、ミアがやっつければいいのかな?」
好き勝手騒いでいた3人は、ぴったり同じタイミングで甲虫の魔物に一撃を叩きこむ。
金属どうしが衝突する音が轟々と空気を震わせ、硬そうな殻には地割れのような亀裂が入り――巨大な魔物は、動かなくなった。
「ちょっと、これ結局誰が仕留めたことになるわけ?」
「その前に一般人の安全確保が先だ。……ん?」
今し方魔物を倒した3人の、それぞれの仲間たちが集まってくる。馬車から降りると、見覚えのある顔ぶれが一斉にこちらを向いた。
「なんだ、お前らか」
「エステルお姉ちゃん!」
先頭に出てきたのはトマスさんで、飛び出していたミアちゃんも笑顔で手を振りながら戻ってきた。返り血まみれだけど。
「あら、マーレちゃんとエルナちゃんもいたのねぇ」
「うわ出た、ロゼール」
「エルナ、そういうこと言うと――」
「ああああああああッ!! お姉様ぁぁ――――っ!!! お姉様を卑劣な陰謀で奪われて以来、わたくしはお姉様のことを思って胸が張り裂けんばかりの日々でしたが……こうしてお顔を拝見できて、至福の極みですわ!! やはり運命は再度わたくしたちを引き合わせるのですね!?」
<クレセントムーン>の2人が話しているそばから、ノエリアさんが流星のようにロゼールさんに駆け寄り、ダイブする。この光景も、ちょっと懐かしい。
「やあ、ヘルミーナ。元気だった?」
「あっ……あ、え……っと……」
マリオさんに話しかけられたヘルミーナさんは、顔を真っ赤にしておろおろしている。しまいには行き場のない手をおどおど差し出したが、マリオさんは丁寧に手袋を取って握り返し、彼女を小さく爆発させた。
「よお、ヤーラ! 久しぶりだなぁ、ちゃんと飯食ってっか?」
「ご無沙汰してます、レオ先輩。ところで……僕らの家は、無事ですか?」
「ぶっ……あー、まあ、おー……あっ、ゼクの兄貴もお久しぶりっす!」
レオニードさんはごまかすようにへらへら笑っている。ヤーラ君は帰ったらちょっと大変かもしれない。
「皆さん、どうしてここに? まさか、同じクエストを?」
「その通りさ!」
どこからともなく現れたロキさんは、例の芝居がかった言い方で手を叩く。後ろのシグルドさんが舌打ちをしたのも無視して、話を続けた。
「魔族からの宣戦布告を受けて、<勇者協会本部>は――ランクに関係なく、より成果を上げたパーティを決戦で重用すると決めたのさ。ちなみに……最も成績優秀なパーティは、魔界に乗り込むチャンスを得られる」
「!!」
お兄ちゃんのときは、最高ランクのパーティが魔界へ行く役目を担っていたけれど……その仕組みが変わったんだ。
なら、私たちも――と思っていると、ロキさんは言いにくそうに肩をすくめた。
「ただし、<ゼータ>は評価対象外なんだってさ」
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