憐みの剣

 もちろんゼクさんが戻ってくるなんて想定していなかったであろうヨアシュは、背後から飛び掛かってくる大きな影に完全に反応が遅れていて、かろうじて薄紫の盾を構えることしかできなかったようだ。


「ぬおらあああああああああああああッ!!!」


 絶叫とともに振るわれた剣は、もちろん急ごしらえの盾で守り切れるほどの一撃ではなく、雷鳴のような轟音が空気を裂いて、ヨアシュの小柄は誰もいない空き家の壁を突き破って消えてしまった。


「ゼクさ――」


「どこ行ったぁ、クソチビィ!! 隠れてねぇで出てきやがれェ!!」


 完全に頭に血が上っているのか、ゼクさんは私が名前を呼ぼうとしても一瞥もくれず、今し方自分でふっ飛ばしたばかりのヨアシュを探している。理不尽極まりない。


 件のヨアシュは、壊れた壁からうんざりしたようにのそのそと出てきた。


「相変わらず、気持ち悪いくらいの馬鹿力だね……ゼカリヤ兄ちゃん」


「そこか! 一発ぶん殴らせろ!!」


「……。そんな姿になっちゃって、人間たちに怖がられちゃうかもよ? いいの?」


 そう。ゼクさんは来る途中で変身していたのか、今は完全に魔族の見た目になっている。


「ここには俺のツラを気にする奴は1人もいねぇからな」


 惜しげもなくニッと牙を出すゼクさんに、ヨアシュは少し眉をひそめる。

 もしかしたら同行していたファースさんや狐さんが見ていたかもしれないが、あの2人なら深く追及したりはしないだろう。


「なんか、つまらないなぁ……。ゼカリヤ兄ちゃんは、あの牢屋でお母さんとめそめそ暮らしてたときのほうがよっぽど似合ってたよ」


 ゼクさんの片目がピクッと動く。


「このガキ……ぶっ殺されてぇのか!!」


 三角形に吊り上がった黒い目の中に浮かぶ、煮えたぎる赤の瞳。完全に沸騰してしまったゼクさんは、薄ら笑いをたたえたヨアシュに猪のように突進していく。


 単純な直進をひらりとかわして回り込んだヨアシュは、両手に黒い塊を纏っていた。


「ゼクさん!!」


 私の叫び声も虚しく、彼はまともに2つの暗黒色の爆弾をゼロ距離で食らってしまった。

 煤けた噴煙が辺り一帯を覆い、だんだんと晴れていく。中にいたゼクさんは目立った外傷はないものの、なぜか硬直したままつっ立っている。


 そして、ヨアシュの姿がどこにもない。


「……いっ……いってえええええええええッ!!!」


 急にゼクさんが叫び出して、私の肩はびくっと跳ねる。思わず窓を飛び越えて駆け寄っていた。


「だ、大丈夫ですか!?」


「痛ぇ、クソ、いっ――……あ?」


 彼はハッとして、自分の両手を交互に見ていた。どうしたのかと不思議に思っていると、壁に寄り掛かって休んでいたマリオさんが口を開いた。


「たぶん、今ヨアシュ君が激痛を感じている記憶を植え付けたんだと思う」


「なんだと!? クソ、また逃げやがってあのガキ、絶対許さねぇ!!」


「お、落ち着いてくださいよ。そんなにカッカしないで……」


「あ!?」


 今のゼクさんは怒りで冷静さを欠いているように見える。マリオさんも同じことを考えたのか、落ち着いた声音で切り出した。


「ゼク。ヨアシュ君の母親って、今どうしてるの?」


「は!? あっちのお袋もとっくに死んでるよ。親父は用済みになった奴を適当な理由つけて殺すんだ。それが何だ?」


「え、そうなんですか?」


 思わず驚いてしまった。ゼクさんのお母さんが魔界に連れ去られた人間なのは知っていたけれど、アモスたちの母親については聞いたことがなかった。


「ヨアシュ君は、後手に回ると厄介なタイプだ。今頃君を待ち伏せできる場所にいる。隙を作ってそこを突けばいい」


 妙な質問をしたマリオさんは、今度はちゃんとした助言に切り替える。

 何か思いあたることがあったのか、ゼクさんは少し考えてから顔を上げた。


「……っし、お前らはどっかで隠れてろ」


「はい。気をつけて」


 去り際に見た横顔はもう平常心を取り戻していて、私は安心してその背中を見送った。



  ◆



 ヨアシュはあえて自分の姿をゼクが見失わないよう、絶妙な距離を保ちながら逃げていたらしい。案の定そこかしこで待ち伏せして、隠れつつ攻撃を仕掛けてくるというのを繰り返した。


 だが、そんな小細工はゼクには大したダメージもなく、わずかな苛立ちを募らせるだけで追いつ追われつのイタチごっこは続いた。


 最終的に、街で一番の時計台に辿り着く。

 中は薄暗く、吹き抜けになっている天井は空に達するのではないかというくらい遠い。大小さまざまな歯車が入り組んで、規則正しく時を回している。


 上の機械室のほうで誘うような足音が響いている。そこへ向かう螺旋階段に、ゼクは慎重に足を乗せる。


 足音が聞こえた辺りまで上ったところで、暗闇に紛れて飛んできた黒い塊が進行方向の階段を破壊した。板が朽ちていたのか、崩落の波がゼクのほうに向かって押し寄せる。


「うお、マジかよ!!」


 慌てて引き返すと、2発目の黒い砲弾が下りる道も消し飛ばしてしまった。

 進むことも戻ることもできなくなったゼクは、やむなく隣でカチカチと動く巨大な歯車に飛び乗った。


 突起の部分にぶら下がり、リズムに合わせて引き上げられていく途中、余裕の笑みを浮かべて座っているヨアシュの姿が目に入った。

 ゼクは思わずカッと来そうになるが、その前に重大な危機が迫っているのに気づく。


 このまま上がっていくと、別の歯車と噛み合っている部分に達する。そこに巻き込まれれば、死ぬ。


「や、やべっ!!」


 どうにか上がりすぎないよう、そして落ちないよう、安全な位置をキープしなければならない。ゼクは必死に歯車の動きに合わせて手足を引っかける位置を変えていく。


「あははははっ!! 戦って死ねたほうがまだ恰好がついたのにね。可哀想だから、こうしてあげるよ」


 傍観していたヨアシュは、両手に黒いエネルギーを集中させる。それはアーチの軌道を描いて、ゼクに向っていった。


「この……クソッタレが!!」


 ゼクはとうとう右手で剣を抜き、黒い塊を斬り払った。が、これで歯車の上を動けなくなり、剣をしまう前に巨大な円盤の谷に飲み込まれるところまで来てしまった。


「さようなら、ゼカリヤ兄ちゃん」


 カチ、カチ、カチ、という死のカウントダウンの中に、ヨアシュの冷ややかな声が混じる。


「誰がこんなところで死ぬかよ……うおらあああああああっ!!」


 剣をしまうどころか、それをもう一度思いっきりぶん回す。太く、厚く、幅の広い乱暴な刃は、さらに大きな歯車にぶち当たり、鐘の音を超えるほどの轟音を鳴り響かせた。


 思わず耳を塞いでいたヨアシュが顔を上げると――4分の1ほど破壊された歯車の欠落部分に、先ほど嘲笑を向けた相手が今度は笑顔で立っていた。


 彼はそこから思いっきり跳躍し、ヨアシュのいる木製の足場にどしんと着地する。


「小細工は終わりだぜ、クソガキ」


「……ほんと、めちゃくちゃだよねぇ。そんなに無理やりで、乱暴で……兄ちゃんの仲間は苦労してそうだね」


 あくまでヨアシュは嘲笑い、挑発する。普段のゼクならば、すぐに沸点に達していたかもしれない。


 しかし、思い返せば――ゼクが魔王の城の牢屋で暮らし、他の魔族に蔑まれ、父に冷遇されていたとき。ヨアシュはよく彼らに交じって、何をするでもなく薄ら笑いを浮かべながらただ傍観していた。

 ヨアシュがそうするようになったのは、彼が母親を失ってからだったような気がする。


「お前――……なんつーか、可哀想な奴だな」


「……は?」


 嘲笑が、一瞬にして真逆の表情に変わる。


「同情するぜ。容赦はしねぇけど」


「何……だよ、半端者の癖に――!!」



 薄暗闇に映える白い大剣と、黒を纏って闇に溶け込む右腕が、直線状にぶつかり合ってすれ違う。


 凛と構えるゼクの背後で、小さな少年が血を噴き上げて膝をついた。



「な……ん……」


「遺言があったら聞いてやるぜ」


 ゼクはゆっくりと歩み寄る。ヨアシュは肩の辺りから真っすぐ斬り下ろされた傷口を弱々しく庇っていたが、眼だけは憎しみに血走っていた。


「……し、ね」


 突如、ゼクの立っていた床が崩れて抜ける。


「うおっ!?」


 すぐに左手で残っていた足場を掴み、転落は免れた。

 だが――急いで這い上がったにもかかわらず、さっきまで瀕死だったはずのヨアシュの姿は忽然と消えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る