Cold Edge
今まさに薙ぎ倒した醜い化物たちは、口々に何かの言葉を絞り出している。間違いなく、元は人間だったものだ。スレインはその呻き声に囲まれて顔を歪めた。
「あの女……!」
この哀れな人々は、何らかの薬品を盛られて異形の姿にされてしまったのだろう。その主犯であるナオミは、新たな犠牲者を探しにここから離れようとしている。
スレインとロゼールは示し合わせたかのように、同時に追っていった。
ナオミの足はそう速くはないが、次々に湧いてくる元人間の化物に足止めされてその距離は縮まらない。途中でナオミの消えた物陰から、憔悴しきった顔の女が飛び出してきた。
「た、助けて……!! 魔族の女が――」
ロゼールに縋るように叫んでいた女は、最後まで言い切らないうちに身体に異変を来したらしい。右目の辺りが急に膨張し、目玉がボトリと地面に落ちる。口から緑色の液体を絶え間なく吐き出し、皮膚をじわじわと変色させ、四肢はゴキゴキ音を立てて変形していき――化物の仲間入りを果たした。
女だったそれは、さっきまで縋りついていたロゼールを太い樹の幹のような腕で抱き込んでしまう。
「ちょっ……!」
「ロゼール!!」
少し先を走っていたスレインはすぐに踵を返し、化物の腕に絡めとられたロゼールのもとに走っていく。
が、それが今の今まで人間だったものだという認識が、スレインの剣を鈍らせた。
大蛇のような腕が、刃をすり抜けてその身体を吹っ飛ばす。
「ぐっ……!!」
まだ雨水で湿っている地面に転がって、全身泥だらけのまま痛みに耐える。
その隙に、ナオミは次のターゲットに魔の手を伸ばしていたらしい。
「ほ~ら、おちびちゃん。君のお母さんはあそこですよ~」
優しげな猫なで声だが、傍にいるまだ幼い男の子は蒼白になった顔面に大粒の涙を垂れ流し、もはや立っていられそうもないほど膝をガクガクと揺らしている。
「これを持って。さあさあ、ゴーです!」
「まっ……ママぁぁぁぁ――っ!!!」
絶叫に近い泣き声を撒き散らしながら、子供は変わり果てた姿の母親のもとに一直線に駆けていく。
――中身がぱんぱんに詰まった、粗末な袋を脇に抱えて。
「ロゼール!!!」
袋の正体を察したスレインの叫びは、さっきよりも必死さを増していた。
子供が母親に飛びついた瞬間、その袋が赤い閃光を放ち――爆発した。
爆炎は大通りの端から端までに広がり、水たまりになっていたところは放射状の黒い炭の跡に変わっている。哀れな親子の姿は、跡形もなくなっていた。
その中にいたはずのロゼールは、道の端のほうで壁に寄り掛かりながら咳き込んでいた。彼女の全身には、ところどころが剥がれ落ちた薄い氷の膜が張られている。
ひとまず生存を確認できて、スレインは小さく安心する。しかし、間髪入れずに別の感情が沸き起こってくる。
「ありゃりゃ~、防がれちゃいましたか。むぅ~、次はどうしましょお」
信じられないほど能天気に頬を膨らませ、気の抜けた台詞を発する女。この女がやったことは許されざる所業だ。平然と罪もない人間を犠牲にした、非道な悪党だ。
「……大丈夫か」
「身体はね。気分だけは最悪だわ、あなたと一緒で」
スレインもロゼールも、若い女の皮を被った悪鬼に容赦のない眼差しを向ける。ナオミはそんな視線などお構いなしに、マイペースにうんうん悩んでいる。
「次は、次は……そうだっ! みんなくっつけちゃえば、パワーアップですっ!」
ナオミは傍で蠢いていた化物たちにトコトコと駆け寄り、両手を触れて魔法陣を出現させる。すると、化物の身体がドロドロと溶けだし、あっという間に融合して1つの生命体になった。
その大木のような巨体からは触手のような手足が無数に生え、人間の顔らしきものがまだら模様にいくつも浮き出ている。
「……いい加減うんざりだわ」
不快感に眉根を寄せたロゼールがすっと腕を突き出すと、大型の化物の足から氷が這い上っていく。
冷たい足枷に絡めとられた化物はじたじたと抵抗しているが、頭頂部近くの大きな口がぐわっと開くと、緑色に濁った液体を溶岩のように噴出させた。
「――っ!!」
降りそそぐ濁液にロゼールは氷の盾を張るが、いくつかすり抜けた雫が衣服にこびりつき、じゅっと焦げ付かせる。まるで硫酸だ。
「鬱陶しいわね……!」
絶え間なく流れ込んでくる液体を、端から凍らせて食い止める。やがて口元まで達した氷は、頭部を丸ごと氷漬けにした。
上部と下部を氷に挟まれた化物のほうへ、矢のように直進する影。
「せめて、楽に葬ってやる」
兜から覗く眼光に、迷いはもうない。
無事に残っている触手が襲い来るのを一瞬で斬り払い、雷光のような速度をそのまま刃に乗せて、無防備な胴体に、一突き。
銀色の剣は、泥のような身体に深く深く沈んでいった。
どくどくと血のような液体が噴き出し、地面に血だまりを広げていく。化物はもうぴくりとも動かない。
――が、そこで問題が起きたことにスレインは気づいた。
剣が突き刺さったまま、抜けないのだ。どんなに力を入れても、死んで硬直してしまった肉体に挟まれて取り出せそうにない。
「あらら~、武器がなくなっちゃったのはお互い様ですねぇ」
ナオミはのん気に笑っている。ロゼールには、それが気に障ったらしい。
「数の有利はこっちにあるわ」
今度はナオミのほうを見据えて、細長い指先を真っすぐ向ける。
途端にその身体が指先から氷に包まれていき、ナオミはぎょっと肩を跳ねさせる。
「ひゃあ!! ……じゃないや。魔法なんて、こうですっ」
凍りついた手から魔法陣が展開し、すぐにその手が自由になる。錬金術のようなものらしい、とスレインもロゼールも眉をひそめた。
2人は横目に視線を合わせ、小さく頷く。まずはスレインがゆっくりと前に出て、拳を構えた。
「そんなので大丈夫ですかぁ?」
「十分だ」
ナオミはくすくすと無邪気に笑いながら、小さな玉を放り投げる。間もなく爆発が起き、吹き上げられた土煙がスレインを取り囲む。
剣を失った騎士は煙幕の中を駆け抜けて、小細工なしに一直線、ナオミのほうに突進していく。
悠長に微笑む魔族の顔面に、右の拳を突き出した。が、その顔はひらりと斜めに下がり、空振りに終わる。
脇に回り込んだナオミの手には、注射器が握られている。素手では防御が間に合わない距離だった。
「もらい、ですっ!」
勝利を確信した声と同時――注射器を持っていた手が、ばっさりと手首から切り離される。
「……へ?」
ぽかんと目を丸めたナオミは、いつの間に自分の胸元に鋭利な何かが刺さっているのを認識した。
その胸を貫いているものは、間違いなく刃物だった。――ただしそれは異様に冷たく、そして透明だった。
その刃が思いきり引き抜かれると、彼女は血を吐き出してどさっと地に伏した。
「この氷は100年は解けないからな」
「ちょっと、決め台詞取らないでくれる?」
素手で突っ込んだと見せかけて、途中で氷の剣を生成し、それを突き立てる。よほど息が合っていないとできない芸当だ。
一方、おびただしい量の血で地面を染め上げているナオミは、光の消えた眼で手首の切断面を眺めている。
「あ……あ~……私、死ぬ……ん、ですねぇ……」
あまり興味のなさそうな声色だった。ロゼールは死にかけの魔族の顔を屈みこんで覗く。
「ええ、そうよ。あなたはこの街を混乱に陥れて、無辜の民を大勢犠牲にした悪党として死ぬの。素敵でしょう?」
虚ろな無表情を浮かべていたナオミは、しばらくぼんやりと黙り込んでいたが、急に口元を歪めた。
「……く、ふふっ。あはっ、あははははっ!! きゃははははははっ!!」
狂ったような笑い声とともに血反吐を撒き散らし続けていたが、だんだんとその甲高い声がしぼんでいき――最後に「ヨアシュ様」と主の名を呟いて、やがて動かなくなった。
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