再出動

 連日降りしきっていた雨は嘘のように消え去って、煌々と輝く太陽が顔を出している。冷えた空気はすっかり温まり、濡れた地面には光の粒がきらきらと反射している。


 窓の外に広がる信じられないほどの晴天を確認したあと、私はベッドの上で安らかな寝息を立てているヤーラ君の寝顔に視線を移した。彼はあのあと糸が切れたように眠ってしまって、みんなが避難している家に運び込んできたのだ。


「これも、錬金術……なんですかね?」


 誰にともなく聞いてみると、スレインさんが腕を組んだまま首を傾げた。


「聞いたこともないが……これが本当にヤーラのやったことなら、まさしく神の所業だな」


「そんなこたァどうでもいい、あのクソガキどもの居場所はまだわかんねぇのか」


 ゼクさんは椅子の上でしきりに足を揺らしている。

 雨が止むやいなや、ファースさんが狐さんたちを連れてヨアシュとナオミの捜索に出たらしい。その行動の速さには驚かされる。


 今はその報告待ちで、ゼクさんはじれったそうにしているが、マリオさんはのんびりと道具の手入れをしているし、ロゼールさんに至ってはお風呂上りで濡れた髪を悠々と乾かしている。ようやくいつもの<ゼータ>に戻りつつある気がして、少しほっとする。



 やがてファースさんと狐さんが戻ってきて、顔が見えるか見えないかというところでゼクさんがガタッと立ち上がった。


「奴らは」


「……。ナオミは見つけました。といっても、少々厄介な問題がありますが――」


「ヨアシュのクソはどうした?」


 ファースさんは険しい表情のまま、狐さんに目配せする。


「や、実はっすね兄貴……野郎のにおいの痕跡が、まったく見つけられねぇんす」


「はあ?」


「俺が一番接近してたから、奴のにおいは完璧に覚えてるはずなんすけど……どこにもそのにおいが残ってなくて。マジで、狐に化かされた気分っす」


 狐さんがそう言うと変な気もするが、それは置いといて……嗅覚の鋭い獣人でも見つけられないなんて、どうなっているんだろう。


「『ゲート』を使ったんじゃないか?」


 スレインさんが閃いたように顔を上げる。

 確かに、アモスやサラも小さいゲートを使って魔界とこちらの世界を行き来していたようだった。それを使えば、一瞬で別の場所に逃げることができる。


「それじゃあ、魔界に帰っちゃったってことですか?」


「あの坊やの性格上、それはないでしょうね」


 ロゼールさんはすでにヨアシュの性格を読みきっているらしい。

 思い返せば、私を捕らえた時点で魔界に撤退してしまえば彼らの目的は達成されていたはずだった。そうしなかったということは、本当に私たちを自分の手でめちゃくちゃにしてやりたいのだろう。


「『ゲート』って、相当魔力を消費するよね? そうじゃなかったらもっと利用しているはずだし」


 マリオさんは考えを巡らせているように顎に手を添えている。


「そうだな、ぽんぽん使ってんのは見たことねぇ」


「単純に考えれば、移動距離が長いほど魔力の消費が大きくなりそうなものだよね」


「てことは、そう遠くには行ってねぇはずだな? 狐、行くぞ!!」


「ええ!? 急すぎません!?」


 気がはやっているらしいゼクさんは、狐さんの首根っこを引っ張って外に連れ出そうとしている。


「待て。ナオミのほうも処理しなければならん。ファース、さっき『厄介な問題がある』言っていたが、それは?」


「それがですね……居場所はにおいで簡単に突き止められたんですが――そのにおいというのがあまりに強すぎて、うちの獣人たちが近寄れないんです」


「なるほど、逆に強い臭気を放つことでギャングを遠ざけたか……。わかった、そちらは我々が受け持とう」


 スレインさんはすっと立ち上がって兜を装着する。その鋭い眼差しは、ある人に注がれている。


「……その『我々』って、もしかして私も入ってるのかしら」


「風呂は十分堪能しただろう、ロゼール」


「まあ、別にいいけれど。あーあ、また毒とか面倒な手を使うのを相手しなきゃいけないのね」


「問題はないさ」


 意味ありげに笑うスレインさんを見て、ロゼールさんも何かを察したらしく小さく微笑んだ。


「じゃあ、ぼくはここに残ろうかな。まだ街も安全とは言えないしね」


 マリオさんは変わらずのんびりと構えている。

 これで、ゼクさんはヨアシュを捜しに、スレインさんとロゼールさんはナオミのところに、マリオさんは私とヤーラ君と一緒に残ることに決まったわけだ。私の役割はというと――


「皆さん、よろしくお願いします」


 たった、これだけ。それだけでも、仲間たちはその顔に力強さを宿してくれた。



  ◆



 悪臭漂う広場の真ん中で、ゆっくりと紅茶を啜っている女が1人。傍には煙を噴き上げる装置があって、爽やかな晴れ間の空気を満遍なく淀ませていた。


 この煙は毒性は高くないものの、普通の人間でも耐えられないほどの刺激臭を放っている。ベンチにゆったり腰掛けているナオミが無事なのは、実は彼女の特性の紅茶に毒を無効化する作用があったからだ。

 当然周囲には誰もおらず、彼女は1人の世界に浸っていたのだが――


 薄いピンクの霧を払いながら、颯爽と現れる影が2つ。


「あっ! ようやく来まし――きゃっ!! お茶こぼしちゃったぁ!!」


 わたわたと紅茶を拭き取ろうと奮闘するナオミに、スレインとロゼールは呆れかえる。


「相変わらず、緊張感のない奴だな……」


「せっかくお風呂に入ったのに、髪に臭いがついちゃう」


「君も大概だったな」


 悪臭立ち込める中で平然と軽口を交わしている2人は、その口元を特性のマスクできっちりと防護していた。


「むむ! お洒落なマスクですね……。でも、負けませんよっ!」


 ナオミが煙玉のようなものを取り出すと、スレインとロゼールはすぐに身構える。


 「えいっ」と気の抜けた掛け声で放り投げられたそれは、誰にも当たることなく地面にコロコロと転がり、ぽん、と小さく爆発した。


 2人はその玉から距離を置き、十分な警戒をもって注視するが――特に、何も起こらなかった。


「……あれぇ?」


 ナオミは首をこてんと傾ける。スレインは待ってやる義理はないと言わんばかりに、迷いなく踏み込んで抜刀の構えを取る。


「はわわわ! ……あ、来た!」


 襲い来る剣士に慌てていたナオミだが、脇のほうに何かを発見してぱっと表情が明るくなった。不審がったスレインがその視線の先を追う。


「――!?」


 さながら巨大なハンマーのごとく振り下ろされる、黒い塊。足を止め、抜いた剣で受ける姿勢を取るが、細い刃など容易に折られそうな勢いだった。


 だが、黒い塊がぶつかったのは、どこからともなく現れた氷の板だった。

 ガン、と金属を打ちつけたような轟音が響いたが、その氷には傷1つついていない。


「すまない!」


「それより、前!」


 ジャストタイミングでスレインを援護したロゼールは、その前方にいる大きな塊を見据える。


 カビのような色の皮膚に覆われた、不自然な骨格の大きな人型の化物。目玉の部分はくりぬかれて真っ黒の空洞となっており、アンバランスに太く長い両腕が身体を支えている。

 そんなグロテスクな姿の異形が、虫の大群のように湧いて出てきたのだ。


 あの煙玉のようなものは、奴らを引き寄せるための誘引剤だったのだろう。ナオミは押し寄せる化物たちの後ろに隠れ、拳を突き上げて応援している。


「ほんっと、趣味の悪い魔物ねぇ……」


 ロゼールは不快感を顔に出したまま、氷の杭を入り組んだ形で地面から突き出していく。

 足止めを食らった化物たちの合間を、スレインは吹き抜ける突風のごとく斬り込んでいった。


 化物たちは頑丈さはそれほどではないようで、瞬く間に刻まれた皮膚から赤黒い血を噴き出してバタバタと倒れる。


 地面も氷の杭も鮮血に染まり、横たわった化物の呻き声が溢れる中――次の一太刀に踏みかかろうとしていたスレインは、ある声を聞いて足を止める。


「……ケテ……ダス、ゲテ……」


 明らかな言葉の形を持った音声を発したそれは、今まさに切り伏せた化物のうちの1体だった。同じような声は、他の個体からも聞こえてくる。


「こいつら、まさか……人間、か……?」


 人間を異形の怪物に変化させた悪魔のような女は、注射器を片手に揚々と別の場所に向かっているところだった。

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