忘れられた思い出
「ドクター・クイーン」の正体はアイーダである――そうとしかとれないファースの言葉に、何も知らない狐はぎょっと目を丸めて自分の主を凝視する。
「えっ……だっ……え?」
やおらソルヴェイが椅子から立ち上がり、狐は飛び上がりそうになる。
「いつ知ったんだ? ビッグ・ボス」
「はじめはあなただと思っていました。狐に探らせたこともあります。こいつは記憶をなくして帰ってきましたが」
「あれはあんたの命令だったのか」
狐だけを置き去りに、何もかもわかっている2人は話を進める。
「正直、それで疑いを強めていましたが……1つ、妙に思ったことがありました。あなたは、『黒犬』が死んだことを知らなかった」
以前、支部が殺し屋に狙われて赤犬と青犬が助けに来てくれたとき、彼らの父親の話がちらっと上ったことがあった。
「クイーンなら必ず知っているはずのことですから、ソルヴェイさんではないとすぐにわかりました。でも、あなたは自分への疑いを積極的に晴らそうとしなかった。それは誰かを庇うためだと気づきました。あなたがそうする相手は、1人しかいません」
思えばソルヴェイはずっと、アイーダのことを気にかけていた。職員の嫌がらせでアイーダのデスクが荒らされたときも、黙って修復していた。手帳のどのページに何が書いてあるかも把握していた。トラブルにはなるべく巻き込まないようにしていた。
ソルヴェイはじっと沈黙していたが、やがて何かを悟ったらしく、観念したように呟いた。
「……そうか。黒犬は――」
「毒殺です。『白狼』も同じように」
父の名まで挙げられて、狐は戸惑いを隠せず2人の顔を交互に見る。
「え? いや、ちょ、待ってくれよ。親父たちは……殺されたのか? アイーダちゃん……に?」
信じたくない事実を、ファースは苦々しげに肯定する。
「おい……嘘だろ……」
狐は茫然と背後の棚にもたれかかる一方、ソルヴェイは小さく冷笑する。
「なるほどなぁ……アイーダを殺し屋に仕立て上げたのは、お前らか」
口元は笑っているが、垂れ下がった目の奥からは底知れぬ憎悪が漂ってきているようだった。
「魔族の連中もあたしがクイーンだと勘違いしてくれたらしくて……なんだっけ? あの熊みたいなデカイ勇者。魔族に唆されたかわかんねぇけど、この部屋荒らしに来てさ。たまたま居合わせたアイーダが、トンって」
ソルヴェイは注射器を突き立てる真似をする。その出来事には、ファースも覚えがあった。
「……アイーダさんの部屋から、遺体が見つかった事件ですか」
「そう。どうせ朝には忘れてくれるんだし、証拠は全部消して、まあ……そんなところ」
つまり、あの男を殺したのは本当にアイーダで、ソルヴェイが念入りに隠蔽工作をし、アイーダが濡れ衣を着せられたように演出したということだ。
「アイーダは、身体に染みついた記憶は消えないんだ。びっくりしたよ。眉1つ動かさず人が殺せる人間になって帰って来るなんて」
気のない調子だが、明らかにファースや<ウェスタン・ギャング>を責めているような話しぶりだった。
「……申し訳ありません」
「や、ちょ、待って。ソルヴェイちゃんとアイーダちゃんって……どういう関係?」
いろいろな衝撃に動揺しっぱなしの狐があたふたと尋ねる。代わりに説明を始めたのはファースだった。
「数年前、うちが別の組織と揉めてたとき……キングとジャックは研究者を引き入れて、薬物を使って敵組織を攻撃しようと考えていた。そこまではいいな?」
「親父から聞いたっす、確か」
「それで、目ぼしい人間を見つけて勧誘していたらしいんだが、何度も断られて……強硬手段に出ようとしたところで、その人の弟子が代わりに誘いを受けたそうだ」
「えっ? じゃあ、ソルヴェイちゃんが師匠で、アイーダちゃんが弟子……ってこと?」
ソルヴェイは肯定する代わりに、ふっと虚しく笑った。
「……何年前だか、わかんねぇけど……アイーダは、雨の日に拾ったんだ。路地裏で、頭から血を流して死にかけてた。会ったときにはもう記憶障害があって、どこまでなら覚えられるか試そうと思って……いろいろ教え込んだ」
怪我がその障害の元なら、よほど重傷だったはずだが――そんな痕跡はなかったようにファースは認識している。ソルヴェイの手当がよほどよかったのだろう。
「何度も触れた知識はわりと覚えてるし、覚え直すのも早い。元々の情報処理能力も相当高いから、助手やれるくらいにはなってたよ」
さらりと言ってるように見えるが、ソルヴェイがどれだけアイーダのために尽くしたのかは、その記憶の性質を熟知していることからもはっきりと見て取れる。
魔族の薬品を調べるときも、アイーダは優秀な助手のように要領よく仕事をこなしていた。ソルヴェイにとっては、懐かしい時間だったのかもしれない。
「……昔はよく笑う子だった――って言ったら、信じるか」
ファースが初めてアイーダと会ったときの印象は、仮面でも被っているかのような無表情の「鉄人」だった。そうなったのは、紛れもなく<ウェスタン・ギャング>が原因だった。
「……クイーンについては、キングとジャックが徹底してボクらを関わらせないようにしていました。顔すら知らなかったのは、わかっていただけると思います」
「だから関係ないって?」
「狐たちは、です。まだ子供でしたから。すべてはボクの責任です」
ホビット特有の童顔ながら、その眼差しからは意志の強さがギラギラと煌めいている。
「だから、責任を取らせてください。組織にいたときのアイーダさんのことを、何か知りませんか」
ソルヴェイは少し俯きがちに目線を落とす。
「……わかんねぇ。協会に戻ってきたときは、全部忘れてたみたいだから。ただ……研究に関することに触れれば、なんか思い出せることはある、かも」
アイーダは無意識に得た記憶は残っているという。ただ、ギャングにいた頃のことは彼女にとっても辛い経験だったはずで、ほとんど忘れているとはいえ、それを思い出させるようなことをしていいのか。ファースはためらいがちにソルヴェイの顔を見上げるが――
「……もう、しょうがねぇよ」
「すみません」
ファースが深々と頭を下げると、ソルヴェイの物憂げだった顔がわずかに緩んだ。
「ギャングのボスが、そんな腰低くていいのか?」
「はは……。ボクはご存じの通り、元来気の弱い性格だもんですから。正直、この<勇者協会>でヘコヘコしながら働いてるほうが、自分らしいなって思います。ですが……今はやるべきことがある」
気弱だというのが嘘のように、彼は堂々としていた。同じく臆病な狐も、その背中を見て奮起したようにうんうんと頷く。
「……この時間、アイーダは自室で待機だったな」
ソルヴェイは独り言のように呟き、さっさと部屋を出る。ファースと狐もその意を汲んで後に続いた。
「悪かったな」
廊下を歩く足を止めず、ソルヴェイはぽつりとこぼした。
「……何がです?」
「や、さっきの……あんたらの事情はわかってるつもりだよ。あれは、まあ……八つ当たり」
自嘲気味に笑う彼女は、むしろ自分を責めているようにも見えた。
「誰も、なんにも悪くねぇよ! ソルヴェイちゃんもアイーダちゃんも、なんにも悪いことしてねぇ!」
狐は自信満々にふんすと鼻を鳴らしながら断言する。何の根拠もないのだろうが、その単純な発言が責任感の強い2人の顔を和らげた。
部屋の手前でソルヴェイに促され、ファースはノックをしてからドアを開ける。
――が、彼女の部屋には主の姿はなく、かわりにソルヴェイの製作した撮影用の魔道具がわかりやすくデスクに置かれているだけだった。
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