真実への道

 誰彼構わず暴力を撒き散らす人、過剰なまでにやり返す人、恐怖で逃げ惑う人、ただただ狂う人、そして彼らを踏みつぶす魔物たち。静止しているのは破壊された家々と、往来に点々と転がる傷ついた人間だけ。


 そんな恐ろしい世界は見えない壁で隔てられているみたいで、どこか遠くに広がっているように感じられた。


「絶景だね」


 私の隣には、そう言って悪魔のように笑う少年がいる。雨の当たらない屋根のしっかりしたベランダで、私たちは街の様子を見下ろしていた。


「……何が目的なの?」


「これだよ。こういうのを見たかったんだ」


 混乱、喧騒、破滅……ヨアシュはそんな地獄のような光景を楽しんでいるらしかった。……いや、「楽しい」なんてポジティブな感情ではない。か弱く醜い人間の営みを見て、感傷に浸っているようだった。


 当然、私は楽しいことなんて何もない。ただただ悲しいだけだ、こんなもの。仲間たちのことだって、心配でたまらない。

 だけど、今できることをやろうと思い立った。みんなも頑張っているに違いないのだから。


「あの……私は、なんのために連れて来られたの? ゼクさんを連れ戻したいんじゃなかったの?」


「ゼカリヤ兄ちゃんは、いてもいなくてもいいんだ。君を連れてこいっていう命令が出てね。五体満足で」


「私を?」


「魔王様は困ってるんだよ。僕みたいなのがいるせいで」


「……?」


 私が魔王に必要とされているってこと? どうして?

 その真意を知りたくてヨアシュの横顔を見下ろすが、彼はもう私の質問に興味をなくしているようで、再び眼下の惨劇を静かに眺めていた。


「……よく、ゼカリヤ兄ちゃんと仲良くなれたね」


「え?」


「会った人間全員殺すのかってくらい尖ってたのに、君1人にあんなに入れ込むなんてさ。人間界に来てから丸くなったのかな。それとも……君が何か、したのかな」


 淀んだ暗黒色の中に浮かぶ赤い瞳が、じっとりとにじり寄る。あまりいい感情を抱かれていないのはすぐにわかった。


「ゼクさんは……元から、いい人だよ」


「元から、なんてどうしてわかるの?」


「なんていうか……生まれたときから悪い人なんて、1人もいないと思う」


「……おめでたい発想だなぁ。世界が正義と愛でできてると思ってるの? 笑える」


「そうかもしれない。けど、あなただって、本当は――」


 そう言いかけた途端、ヨアシュの空虚な眼差しに何か激しい嫌悪感みたいなものが滾ってくるのが見えた。


「嫌いだよ、お前みたいな奴」


 はっきりわかるほどの憎々しげな声を残して、ヨアシュは部屋の中に戻ってしまった。



  ◆



 リーダー不在の勇者たちは、近場の無人の家に避難してようやく雨を逃れることができた。たっぷり浴びた毒水は薬で浄化され、剣士2人の痛々しい生傷も回復薬で治癒が進んでいる。


 それでも鬱屈とした空気は変わらないし、何より人数が1人欠けて4人しかいない。いなくなった彼はおそらくもう正気ではないのだろう。リーダーがいなければ、彼のことはどうしようもない。



 初めに異変が起こったのは、ゼクとスレインだった――と、マリオは記憶している。妙に神経質になっていて、危うく衝突しかけていた。2人に共通していたのは、外の見回りを担当してたっぷり雨に濡れていたということだ。それが、マリオが雨に疑いを向けたきっかけだった。


 ヨアシュに呼び出されたときもそうだ。誰も傘を差さず、濡れながら目的地に向かっていた。薬で冷静さを欠いた状態で、エステルが殺されるという幻覚を見せられた。まともな精神状態を保っていられるわけがなかった。


 ――そんなようなことをマリオは丁寧に説明したが、真剣に耳を傾けていたのはスレインだけだった。

 ゼクはおそらく何もできない現状に無性に腹を立てていて、反対にロゼールはぼんやりとテーブルに伏したまま完全に気力をなくしている。彼らをどうにかできるのは、やはり今は不在の彼女しかいなかった。


 だが、ヨアシュが何かしたのだろう、<伝水晶>にも彼女を示す反応はまったく出てこなかった。完全に手詰まりの状態だった。


「いまだに信じがたいが……ファースが<ウェスタン・ギャング>のボスだと、どうしてわかった?」


 スレインはかなり疲弊しているように見えるが、意識は徐々にはっきりしてきている。唯一普段通りに笑っているマリオが、その問いに応じる。


「狐君と仲が良かったからね。正直、確証は持てなかったんだけど……当たっててよかったよ」


 狐は隠し事が得意ではなかったのだろう、露骨にギャング仲間を避ける態度からすぐに察しがついたが、ファースはかなり巧妙に<勇者協会>に溶け込んでいた。ただ、何か凄まじい精神力のようなものを内に潜めているのは確かだった。


 ファースやギャングたちが<ゼータ>を敵に回したくないと考えているように、マリオも彼らとの対立は避けたかった。それは大きなリスクを伴うからだ。だから彼のことには深入りしなかったし、おそらく気づいていたロゼールも同じ判断をしたのだろう。


「彼らは信用できるのか?」


「利害は一致しているし、下手なことはしないよ」


 ガン、と衝突音がして椅子が倒れる。ゼクが力任せに蹴ったらしく、椅子の脚が1本へし折れていた。憤激しているらしいことはマリオにもわかったが、なぜ怒っているかまでは理解できなかった。


 ファース達は今、協会に向かっているのだろう。「ドクター・クイーン」の手がかりを得るために。

 マリオはクイーンが誰かというのを明確に特定していた。だからこそ、情報を集めることがいかに困難かということまで悟っていた。



  ◆



「副支部長! おかえりなさい!」


「大丈夫でしたか?」


 入って傘を畳むとすぐに、働き者の部下たちが温かく出迎えてくれる。自分をギャングのボスだと思っている者は誰もいないだろう、とファースは苦笑する。それでつい、副支部長としての気優しい自分に戻りそうになる。


 だが、ボスとしての使命がその気の緩みを叱咤する。外側を穏やかな困り顔で繕いつつ、会わなければならない人物のことに意識を向ける。


「……ええ、ボクらは無事ですよ。どうも。それで……ソルヴェイさんは?」


「一度も出て来てないですよ」


 職員の1人が気まずそうに答える。ファースは端的に礼を言って、びくびくと落ち着かない狐を引っ張りつつ奥に向かう。


 業務停止中でいつもより支部の中は閑散としているが、特にその部屋はなにか厳とした静寂を醸していて、扉を開けることすらためらわれた。


 重く閉ざされた木の板を、こんこんと鳴らす。返事はなく、ファースはそっと中を覗いた。


 彼女は変わらず椅子の上で足を組み、一見気のない垂れ目をわずかに動かすだけだった。


「失礼します」


 いつもなら「あー」とか「おー」とか適当な返事を寄越してくれるのだが、ソルヴェイは依然何も言わない。息の詰まるような空気に、狐は肩を硬直させている。


 何から話そうかとファースは迷ったが、聡明な彼女ならばすべてわかっているのではと思い、素直に要求を切り出した。


「クイーンの研究について知っていることがあれば、教えてください」


 この名前を出すたびに、彼女のぼんやりしたような顔がかすかに強張る。無理もないことだと、ファースは申し訳なくなる。


「……その名前で呼ぶな」


 はっきりと輪郭のある、尖った声。並ではない怒りがこめられているのは明らかだったが、ファースは粛然とその意に応じた。



「失礼しました。では――<ウェスタン・ギャング>にいた頃のアイーダさんについて、何か知っていることはありませんか」

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