ゼータクライシス

 <ゼータ>は元のパーティを追放されたあぶれ者ばかりの異色の集団で、彼らを1つのパーティとしてまとめるという奇跡を起こしたのが、リーダーであるエステルだった。


 どんなに協調性がなくとも彼女にだけは協力し、彼女の意志に従い、彼女のために戦った。そうしたくなるような何かを持っていた。


 その、パーティの要となる彼女は――あっけなく魔族に捕まり、首を裂かれて死んだ。


 彼女を磔にしていた黒い煙が消え去ると、細い身体がぐったりと血だまりの中に滑り落ちた。いつでも屈託なく笑って、苦境に立たされても弱音を吐かず、周りを元気づけてくれる彼女の面影は、もうない。


 尊い命を奪った小さな魔族は、さも嬉しそうに高笑いをしている。


 一方で、曲がりなりにも天下無双の勇者たちは、魂を抜かれたように茫然としていた。眼前で繰り広げられたことが受け容れられなかった。


 エステルが、死んだ。


 その事実は、すべての望みを奪い、自制心を喪失させ、彼らを繋ぎとめていた何かを打ち砕くのには十分すぎた。


「……て……てんめええええええええええッ!!!」


 ゼクは魂の底から叫んだ。そうするしかなかった。彼女を奪われた絶望に突き動かされるまま、ありったけの怒りを爆発させた。

 憎むべき仇であるヨアシュを、剣でずたずたに引き裂いてやりたかった。が、その激情に逆らうように身体は硬直している。


「くくくっ……ああ、面白い。無駄だよ。兄ちゃんたちは何もできないまま終わるんだ」


 何かの魔術か、ゼクたちの中で身動きできる者は1人もいなかった。ヨアシュは薄ら笑いのまま悠長に歩み出て、ゆらりと手を雨雲に突き上げる。


「じゃあね」


 痛いほどの閃光が瞬き、突風のような衝撃波がゼクたちを吹っ飛ばす。


 再び身体を起こしたときには、ヨアシュの姿も、エステルの姿もなくなっていた。



 細かい雨粒が、取り残された5人を等しく濡らしていた。そこだけ世界から切り離されたように、静かだった。

 失ったものはあまりにも大きく、彼らを結び付け、支えていたものが徐々に決壊していくのを全員が感じ取っていた。


「……あ、の……野郎……うおああああああああああッ!!!」


 ゼクはあらん限りの力で叫び、手近なものを取り憑かれたように破壊し始める。その感情をすべて怒りに押し込めることで、なんとか正気を保っている状態だった。


「嘘だ……嘘だ、こんなの……嘘だ、嘘だ……」


 幼いヤーラはそのショックに耐えきれるはずもなく、青白い顔で一心に爪を噛み続ける。自我を保っていられる時間もそう長くはないのかもしれなかった。


「……奴を捜して、殺そう。それしかない」


 スレインは不気味なほど冷静だった。その瞳からはいつもの凛々しさは失われ、虚ろな覚悟が佇んでいた。


「止めてくれるなよ」


「……」


 その無謀を諫める役だったロゼールは、何も言わずに瓦礫に腰掛け、何もかもを諦めたように虚脱していた。


 剣を抜いたまま亡霊のように歩き始めたスレインの後ろから、野獣のように息を荒くしたゼクが無言で続く。仇討ちだけが2人の剣士の生命線だった。


「もう……おしまいね。全部、ここで終わりよ……」


 誰にともなく、ロゼールは消え入りそうな声をこぼす。白い肌も艶やかな髪もすっかり濡れて、灰色の雨に溶けてしまいそうだった。


 その傍らで、ヤーラは頭を抱えたままぶつぶつと何かを呟いている。曇天みたいに色褪せた瞳は、無残な瓦礫に落とされている。


 唯一――マリオだけは、この状況に違和感を抱き、ずっと思考を巡らせていた。

 これはおかしい。何かがおかしい。そう感づいていても、何も言わなかった。彼の話に耳を傾けられる人間が、1人もいなくなっていたからだ。


 マリオの考えは、ともすれば彼らに一縷の望みを与えることができた。しかし、自分1人ではこの絶望を塗り替えることはできないとわかっていた。実質、味方は誰もいなかった。


 <ゼータ>は緩やかに崩壊していた。



  ◆



 ナオミの魔物はさらに数多く潜んでいたらしく、街に放たれたそれらが混乱に拍車をかけていた。当の創造主はどこにいるのかわからない。


 だが、ゼクとスレインにはそんなものは眼中になかった。頭にあるのはヨアシュを殺すこと、ただそれだけだ。それ以外のものはすべて有象無象だった。魔物だろうと薬物中毒者だろうと、関係なく叩きのめした。


 魔物の死骸の山を積み上げた2人の前に、ひときわ巨大な亀の魔物が立ちはだかった。あの建物を支えていたという魔物で、背中にはボロボロの土台や壁の残骸が乗っている。


「……どけ」


 スレインは心の内に渦巻いている感情のすべてをその眼差しに乗せ、剣の柄を握りしめる。


 地面を蹴り出すと同時、亀は大きく口を開け、立ち並ぶ鋭い牙で待ち構えたが――スレインは回避することもなく、腕の肉を抉られながらも刃を叩き込んだ。

 血が噴き出すのも構わず、二撃、三撃と硬い皮膚に切創を刻んでいく。


 痛みによろけた亀の脇に、ゼクがゆっくりと回り込む。


「ぬあああああああああああああッ!!!」


 筋肉が千切れんばかりの勢いで剣を振り、魔物の横っ腹をぶち破る。それは明らかに致命傷だったが、ゼクの血走った目は敵から離れることはない。


「クソ!! クソ魔族が!! テメェらは、そうやって、いつもいつも……!!」


 グチャ、グチャ、と裂けた傷口に何度も何度も剣を突き刺す。亀の魔物が動かなくなっても、返り血と脂にまみれても、やむことはなかった。


 スレインは抉られて血の溢れる腕はそのままに、ただ当てもなく真っすぐ進んでいく。どこにも焦点が合っていない眼は、ただ死に場所を見据えていた。


 彼らはもはや勇者ではなく、動かなくなるまで戦い続ける死の亡霊だった。



  ◇



「はぁ、はぁ、はぁ……!!」


 わけがわからない。わけがわからない。わけがわからない。どうして? なんで? 何が起こってる? 立っていられない。呼吸すらうまくできない。


 私は死んだ。その後に目が覚めた。あれは夢なんだと思った。なのに、その悪夢がまだ続いている。みんな、私が死んでしまったと思っている。


 妙にリアルな夢だった。雨に濡れた感触も、みんなの声も、血のにおいも、全部本物のようだった。でも、首を裂かれたときの痛みはほとんど感じなかった。


「楽しんでもらえたかな」


 混濁する意識に、静かで冷たい声がずるりと入り込む。


 殺風景だが、そう古くはない部屋だった。安楽椅子と数冊の本が乗った小さなテーブル、簡素なキッチンにはティーセットが一式あって、広い宿泊施設の一室のようだった。


「最初に君が見た、"君が死ぬ記憶"はもちろん僕の作り上げた虚構だけど……今見せてあげた<ゼータ>の様子は、僕がついさっき見てきたありのままの真実だからね」


 ヨアシュは目を細めて穏やかに微笑みかける。嘘ではないのだろう。彼は私がショックを受けるのを楽しんでいるのだから。


 あの建物が崩れ落ちたとき、ヨアシュは私たち全員に同じ「記憶」を与えた。私が捕まって殺される、という記憶を。それでみんなは私が死んだと思い込んで、バラバラになってしまったのだ。


 誰かに記憶を植え付ける――それが、ヨアシュの魔術だった。


「すみませぇん、ヨアシュ様……」


 半泣きで部屋に入ってきたのは、ナオミだった。一緒に崩落に巻き込まれたはずなのに、傷1つ見当たらない。


「別にいいよ。当初の計画からは外れてない。紅茶でも淹れてよ、エステル姉ちゃんのぶんも忘れずにね」


「かしこまりましたぁ」


 パーティはめちゃくちゃになって、私が敵に捕らわれているという事実は変わらない。

 だけど、たった1人だけ――こんな事態になっても冷静に行動してくれそうな人を知っている。私は彼に賭けることにした。

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