ジョーカー
エステルたちが出て行った後で街の騒ぎが大きくなっていることに、ファースは一抹の不安を抱いていた。彼らが強いのは身にしみて理解しているが、今は異常事態だ。何が起こってもおかしくはない。
そんな折、<ゼータ>が帰ってきたとの知らせを受けて、その不安を取り払えたのも束の間――帰還したのがマリオ1人だけだとわかって、また不穏な予感が生まれてきた。
「お帰りなさい。その……いかがでした?」
「だいぶまずいね。エステルが死んじゃったかもしれない」
「は……」
突拍子もない報告をさらりと放たれ、ファースは固まった。その発言は、支部全体をどよめかせる。
「ああ、違うんだよ。『かもしれない』なんだ。どうも、わからないことが多くて」
「……と、いいますと?」
「ぼくらはエステルが魔族に捕まって殺されるところを見たんだけど、それは敵の魔術か何かじゃないかって思うんだ。不自然なところが多かったし……。それに、その術があれば、ソルヴェイに濡れ衣を着せることもできるよね」
「なるほど、疑似記憶を信じ込ませる能力ですか。それなら……<ウェスタン・ギャング>内で起きた不可解な殺人も説明がつきます」
ファースは呑み込みが早かった。ギャングのボス「キング」が腹心に殺されたことも、構成員が身内にありえない動機で殺害されたことも、魔族が幻惑したとすれば謎は解ける。
「だけど、一番わからないのは……この可能性に気づいたのが、ぼくしかいないってこと」
<ゼータ>の戦闘力が常人離れしているのは承知しているが、彼らの頭脳面にもファースは一目置いていた。トラブルを持ち込めば、冷静沈着に意見を交わし、対策を打ち立ててくれる頼もしさがあったはずだが――
「エステルさんを……失ったと思っているなら、混乱してしまうのも無理はないんじゃないですか」
「それもわかるんだけど、その前から妙だったと思う」
ファースはクエストから帰ってきた後の<ゼータ>のことを思い返す。いつもより神経質になっていたような気もするが、それは街の危機的状況に由来するものかもしれない。
「他の皆さんは、何を?」
「わからない。落ち込んでるのもいれば、敵を捜しに行ったのもいる。少なくとも、冷静ではないね」
そこで、職員の1人が思い出したように声を上げる。
「俺、外見てきたけどヤバかったっす。あのデケェ奴と騎士の奴が誰彼構わず大暴れしてて。また街ぶっ壊されるんじゃないかって思いましたよ」
ファースはごくりと唾を飲み込む。前に街が滅ぼされかけたときは、エステルに危害を加えられて逆鱗に触れたことが原因だった。だが、彼女を失ってしまった今は? タガが外れてとんでもないことになるかもしれない。彼らはリーダーに殉じて死ぬつもりなのかもしれなかった。
マリオの切れ長の眼が、背の低いファースを見下ろす。
「たぶん……頼れるのは君しかいない」
声色は淡々としていたが、はっきりと確信がこもっていた。ファースはその意図をかすかに察する。
「……あなたは、もしかして……ボクのことを、ご存じなんですか」
「確証はない。けど、それとは関係なしに、エステルも君を選ぶんじゃないかな」
「そうですね。じゃあ……狐!」
表に出てこなくても、あの耳ざとい獣人はこちらの動向を常に気にかけているはずで、案の定柱の影からおそるおそる姿を現した。
「な、なんです、旦那……」
「行こう。ボクらが行かなきゃならない時が来た」
「……」
狐は黙っていたが、その意は不足なく汲み取ってくれたはずだった。
「マリオさん、留守を任せます。特にソルヴェイさんを……」
「わかってるよ」
「ありがとうございます」
小柄で気優しいホビットは、確かな足取りで大きな傘を片手に外へ向かう。その後ろを、ひょこひょこと臆病な獣人がついていった。
◆
街の大通りはゴーストタウンのような無残な姿を晒していた。往来には魔物の死骸や退けられた暴漢たちが転がっているばかりで、まともに歩いているものといえば、取り憑かれたように彷徨い続けるゼクとスレインだけだった。
2人とも、血と泥を全身に浴びて薄汚れていた。長い時間戦っていた疲労と、ただ刻まれ続けた負傷で、ひどく消耗しているはずだった。それでも、止まることはなかった。
彼らの行く手を遮ったのは、魔物でも薬物に狂った人間でもなく――小さなホビットと、気の弱い獣人だった。
ゼクとスレインも、さすがに顔見知りとあって足を止める。
ファースは狐の持つ傘で雨を凌ぎながら、生来の温和な顔に覚悟を滲ませて、諭すように言葉を紡ぐ。
「やめにしませんか。こんなことしても、何にもなりません」
主をなくした2人は黙って険しい眼を突き刺している。
「マリオさんから、事情を聞きました。お気持ちはわかります。でも、冷静になってください。あなたがたは魔族に騙されてるだけかもしれない。エステルさんは、生きているかもしれない――いや、生きてますよ。簡単に死ぬわけないじゃないですか、あの人が」
ファースは力強く笑ってみせるが、2人の顔は陰ったままだ。
「だとしても、ヨアシュを見つけて殺さねばならん。一刻も早く、だ。そこをどいてくれ」
「だからこそ、ですよ。この街を闇雲に暴れて回ったって、敵は出て来ません。支部に戻って、話し合いませんか。ボクは、あなたがたに話していないこともあるんです」
「そんなまだるっこしいことしてらんねぇんだよ」
スレインの鋭い眼光に射られても、ゼクの抑えきれない憤りに触れても、ファースは退く気配がない。重々しいにらみ合いを見かねた狐が、上ずった声を発する。
「兄貴、落ち着きましょうぜ? らしくないっすよ。いつもの兄貴たちなら、こんなの――」
「どけ。テメェらには関係ねぇだろ……!!」
狐のほうはプレッシャーに耐え切れず、言葉を切ってしまった。ファースは悲しげに溜息をつく。
「……わかりました。<勇者協会西方支部>の副支部長として、ボクが言えることは以上です」
そう締めくくったファースは帰るでもなく、高そうな葉巻を1つ取り出し、悠長に火をつけて煙を吐く。その姿にはどこか貫禄を感じさせ、先ほどまでの温厚なホビットとは別人のようだった。
彼は帽子を脱ぎ、トレードマークの大きな丸い眼鏡をパチンと畳んで懐にしまう。晒された裸眼から得も言われぬ気迫を発し、ずしりと響く言葉を放った。
「今からは――<ウェスタン・ギャング>現首領として、実力行使に移らせてもらう」
死の覚悟を決めたはずの2人の勇者は、気圧されて思わず身を引いた。
「右からやれ、ヴォルフガング」
ギャングのボスに背中を軽く叩かれた獣人は、はっと顔を上げたかと思うと、途端に彼の中の獣性を目覚めさせる。傘を放り出し、さっきまで畏怖の対象としていた2人の勇者に、荒々しい牙と爪をもって突っ走った。
命令通り、彼から見て右側にいたスレインの頭を兜越しに横殴りにする。ハンマーで打ちつけられたような衝撃に、疲弊しきっていたスレインは抵抗もかなわず浅い水たまりへ頭から突っ込んだ。
剥き出しの本能に我を失った獣は、間髪入れず、自分よりはるかに屈強な大男に迷わず飛び掛かる。
日頃の彼からは想像もつかない怪力に、ゼクは驚きもあって踏ん張り切れず、背中から地面に押し付けられる。その勢いで丸いサングラスは弾け飛び、猛獣のような眼光を露わにする。
「ウウゥゥ……グァルルルルル……!!」
「こ……の……クソ犬っころ……!!」
拮抗した力と力の押し合いが続く傍で、ファースは傘を拾って葉巻をふかしつつ、地面に突っ伏しているスレインのもとに寄る。
「大人しくしていてください。殺すつもりはありません。……今のところは」
「くっ……貴様――」
なおも立ち上がろうとする傷だらけの騎士は、ホビットの頑丈な足で押さえつけられてしまう。
「無駄です。ヴォルフガングは――あなたがたが呼んでいたところの『狐』は、本来は狼の獣人で、うちの『エース』なので」
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