雨中に散る

 天井が砕け落ち、壁が爆ぜ飛び、床が引き裂けて、その隙間から異形の化物たちが這いずり込んでくる。


 あれらはみんな、ナオミが生み出した人工の魔物なのだろう。手足が異常に長かったり、おぞましい顔がいくつも生えていたり、鋭いツノが体毛みたいにびっしり身体を覆っていたり、地獄にひしめく悪魔のような風貌をしていた。


「気色悪いゲテモノどもだぜ」


 そう吐き捨てたゼクさんは、すでに背中の剣の柄に手をかけている。私は急いで物陰に姿を隠した。それと同時、仲間たちは一斉に攻勢をかける。


 先駆けはいつも通りスレインさんで、槍のような長い手が何本も伸びてくるのを身を捻りながら掻い潜りつつ、流れるように敵の四肢を斬り落としていく。そのままがら空きになった身体の中心部に一突き、あっという間に1体葬ってしまった。


 次に速かったのはマリオさんで、狭い室内を器用に飛び跳ね、魔物の1体を絡めとる。別方向から異様に牙の発達した獣型の魔物が飛び掛かってくるが、最初に捕縛した魔物をぐっと引っ張って盾にし、相打ちにさせていた。


 遅れてどしんと前進してきた岩の塊みたいな魔物に、ゼクさんが真っすぐ向かっていく。防御が堅そうだから弱そうな部分を、という考えは一切ないようで、力任せに大剣を叩きこむ。


 ――が、その鉄塊はガキンと高音を響かせて弾かれてしまう。


 それは魔物の装甲のような皮膚ではなく、よく見知っている氷の膜。地面から盛り上がるように魔物の下半身を覆いつくしている。


「おいババア、邪魔すんじゃねぇ!!」


「あなたが別のやつ狙えばいいでしょう」


 ……あれ、と思った。


 みんなが強いのは重々理解している。事実、あのおぞましい魔物もじわじわと数を減らしている。

 だけど、なんだか違和感が拭えない。


 ところどころで標的が被って攻撃の狙いがずれたり、ロゼールさんの氷やマリオさんの糸に予期せず阻まれてしまったり、どうにも息が合わない。


 <ゼータ>は前からチームワークに問題があったけれど、最近はこういうちぐはぐな状態にはなっていなかったはずだ。どうしたんだろう。


 不思議に思っているところで、ヤーラ君の鋭い声が飛んでくる。


「そこ! 魔人が起き上がっています、魔術で氷を溶かして!」


 私たちは一斉にナオミがいたほうに視線を集め、彼女は気づかれたことに少しびっくりしていた。


「わっ! ままま、待って……じゃない! ま、まだまだ私の魔物さんはこんなものじゃないですからね!!」


 ナオミが「えいっ」と手をかざすと、空中に黒い渦が出現する。そこから黒い岩石のようなものが押し出されるようにしてごろりと床に転がった。全員がそれに視線を移し身構える。


 転がり落ちたのは、かなり大きめの――骨のついたお肉だった。


「……あ――っ!! 間違えちゃったぁ!!」


 ナオミは両手を頬に添えて渾身の叫び声を上げる。本当にこの魔人はよくわからない……と呆れたのも束の間、ナオミが妙に焦り出したのが気になった。


「まずい、まずいですよ、早くしまわなきゃ……まだ私、避難してないのにぃ!!」


 ……避難?


 いぶかしむ暇もなく、突然地割れのような音が響いたかと思うと――世界が一回転した。


 建物ごと振り回されているかのようなひどい揺れが起きて、中にいた人間も魔物も、まともに立っていることはできなくなる。私も穴だらけの壁や天井に身体のあちこちをぶつけるはめになった。


「いや――っ!! 助けてぇ――っ!!」


「クソボケ眼鏡!! これはどういうことだ!?」


 ゼクさんはおでこの痣をさすりながら、目をぐるぐる回しているナオミに怒鳴っている。


「ひぃん……こっ、この建物自体がぁ、大きな亀の魔物さんの上に建ってましてぇ、あのお肉のエサに反応して暴れ出しちゃってるんですぅーっ!!」


「なんだとぉ!?」


 ここは最上階、下に亀の魔物がいるのなら、上にあるエサを求めようとするはずで……。


「きゃああっ!!」


 部屋が真横に傾いた勢いで私は宙に投げ出される。落ちていく先には大きな裂け目があって――


「エステル!!」


 伸ばしてくれたゼクさんの手を掴むことは叶わず、私は雨の降りしきる屋外に放り出されてしまった。



  ◇



 ……頭がぼんやりする。意識に靄がかかっているみたいで、感覚はふわふわと曖昧だ。視界には一面モノクロの海みたいな雲が広がり、細かい雫が私の顔を濡らしているらしい。身体のどこが痛いというわけでもないのに、なぜだか起き上がれるだけの力がない。


 そのうち何かに操られるように、ゆっくりと身体を起こす。目の前にはあの建物だった瓦礫が乱雑に散らかり積み上がっている。それを乗せていた魔物の姿はなかった。私の足は建造物の残骸を踏み上っていく。自分ではない何かに操られているかのように。


 少し高いところに出て辺りを見回すと、水たまりと瓦礫でどろどろになった地面に何人か倒れている。


 ――みんな……!!


 叫ぼうと思ったのに、声が出ない。駆け寄ることもできず、ただ棒立ちになっていることしかできなかった。

 でも、仲間たちは死んでいるわけではなかった。意識を取り戻してくれたようで、それぞれ徐々に起きあがっていく。


「エステル……?」


 ゼクさんと目が合って、その名前を呼び返そうとした――が、彼の顔が急に険しくなって、先に緊迫した声が飛んでくる。


「後ろ!!」


 振り返る隙もなかった。


 自分の全身が何か黒い煙みたいなものに纏わりつかれ、ただでさえうまく動かなかった身体が完全に自由を奪われる。



「――会うのは初めてだね」



 不気味な冷気を纏った声が、ひやりと背中に触れる。静かで単調なのに、そら寒い恐ろしさを全身に染みこませてくるような、そんな声。


 視界の右下のほうから、小さなツノのついたつややかな黒髪が生え出てきた。背格好の小ささからは想像もつかないほど、慄然とした雰囲気が放たれている。


「ヨアシュ……!!」


 その小さな魔人の名前を、ゼクさんが憎しみをこめて呼ぶ。私からは小柄な後ろ姿しか見えなかったが、ヨアシュは確かに笑っていた。


「このクソガキ!! その女から離れろ!!」


 荒々しい怒声を受けても、ヨアシュは微動だにしないどころか、肩を震わせ始める。


「……ふふっ、あはははははっ!! ゼカリヤ兄ちゃんがこんなに人間に執着するなんて!!」


 この兄弟の感情はちょうど真反対で、兄が不愉快を示すほどに弟は喜ぶらしかった。

 無邪気にはしゃぐ魔族の少年を、立ち上がった他の仲間も刺すように睨んでいる。


「やっぱり兄ちゃんは、雨が好きなんだよ。僕らは枯れ果てた荒漠の世界で育った。だから、渇きを潤してくれるものを求めるんだ」


 笑っていたときも、今も、ヨアシュの言葉には温度が感じられない。


「でも……この街は、こんなに雨が降るのに誰も満たされない。この世界で一番悲しい場所なのかもしれないね」


「……テメェの戯言なんざ聞いてる暇はねぇ」


「そうだね」


 短い返答は深淵の底から響いてくるようで、得体の知れない寒気が走った。


「僕は思うんだ。兄ちゃんたちの世界から『雨』を奪ったら――どうなっちゃうのかなって」


 わずかに振り向いた横顔から覗いた瞳は、吸い込まれそうなほど真っ暗だった。その奥には恐ろしいまでの虚無がどこまでも広がっているように見えた。


 ゆらりと持ち上げた手の先には、ナイフのような鋭い爪。


「おい、何を……」


 小さな悪魔は薄笑いを浮かべながら一歩一歩近づいてくる。手足は動かない。それどころか、全身のどこにも力が入らない。目だけがふわりと掲げられた黒い手を追っている。


「待て……やめろ……」


 ゼクさんの震えた声が耳を通り抜ける。仲間たちがどんな顔をしているのかわからない。


「これで兄ちゃんたちの世界が壊れるなら、この目でぜひとも見てみたいんだよ」


「やめろおおおおおおおおおおおおおッ!!!」



 ひゅっ、と黒い疾風が首元を通り過ぎた。



 まもなく濃い飛沫が放射状に噴き出して、降りしきる雨を濁らせた。視界は黒い靄に浸食されていって、遠のいていく意識の中で、悲惨な絶叫と空虚な笑い声が混じり合っていった。

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