夜を越えて

 血染めの夜を越えた村落を、薄い霧がすっかり覆い隠す。この中で生きているのは、私たち6人しかいないだろう。損壊の少ない民家を一軒借りて、そこで休ませてもらっていた。


 ヤーラ君は、ずっと眠っている。悪夢にうなされることもなく、疲れ果てたように、ぐっすりと。


 ここの住民は2人暮らしだったらしく、2つしかないベッドはヤーラ君と特に重傷だったロゼールさんが使っている。彼女は時折目を覚ましていたが、今は眠りについている。


 ほのかな呼吸の気配だけが漂う部屋に、のっそりとマリオさんが入ってくる。


「やあ。パン焼いたんだけど、食べるかい?」


「ありがとうございます」


 ボロボロのトレイに乗ったパンを1ついただく。香ばしくて歯ごたえもあるが、マリオさんが作ったにしては味気ない感じがする。この村の食材では、これが限界なのかもしれない。元々貧しい場所なのだ。


「腕、大丈夫ですか?」


「平気だよ。ほら」


 彼は笑顔で折れたという腕をひらひらさせる。動けば問題ないと考えているのだろう。


 ちょうどそこで、村の見回りに出ていたゼクさんとスレインさんが帰ってきた。


「住民の生存者は0人だ。……まあ、ここの人間がやってきたことを考えれば、そのほうが都合がいいのかもしれないがな」


 スレインさんは嫌悪感を隠そうともしない。

 この村の人たちが死んでよかった、などと私は思いたくないけれど、放っておいたらまた犠牲者が出るかもしれないとなると……何も言えない。


 ゼクさんはマリオさんの作ったパンを遠慮もなくつまむ。「味がしねぇ」と文句を吐いて、タバスコをどばどばとかけ始めた。


「こうしよう。村の住民たちは先遣の勇者たちも含め、すでに魔物にやられていた。当該の魔物は討伐した。撮影用の魔道具は、壊れた」


 スレインさんは撮影を切っておいた魔道具を踏みつぶす。ここであったことは、私たち以外知らないほうがいい。



「ん……」


 もぞもぞと布の擦れる音と、小さく漏れた声。


「ヤーラ君」


 名前を呼ばれて、彼は布団をひっくり返しそうな勢いで飛び起きた。顔面蒼白のまま、私たちの顔をおそるおそる見回す。


「あのっ……僕……」


「大丈夫だよ。それより、気分はどう?」


 誰とも顔を突き合わせたくないかのように、ヤーラ君は気まずそうに視線を落とす。


「……何が、あったか……覚えて――ます」


 その恐怖と罪悪感で染まった顔を、思わず注視する。


「い、今までは……あんまり記憶に、残ってなかったんですけど……昨日のは、全部……」


 あの正気を失った異様な振る舞いに、一番驚いて怯えているのはヤーラ君本人だろう。私だって最初に見たときはそうだった。今はそれも彼の一面なのだろうと受け止めている。


「僕は……今まで、ずっと……あんな、恐ろしいことをしてたんですね……?」


「だって、あれはヤーラ君の本意じゃないんでしょう?」


「わからない……わからない、です。あれが僕の本性なのかもしれない……」


 消えそうな自我を守ろうとするかのように、小さな頭を両手で抱え込む。


「……しけたツラしやがって。誰も気にしてねぇよ」


 ゼクさんは言い方こそぶっきらぼうだが、不器用なりに慰めようとしてくれているのだろう。それでもヤーラ君の表情は暗く沈んだままだ。


「本当に……すみませんでした。やっぱり僕は……」


 小動物みたいに虚弱な瞳が、上目がちに私の顔を伺う。この中にいる誰も、ヤーラ君を責めようとしてはいない。彼を追い詰めているのは、彼自身だ。


「くっ、ふふふ……」


 布団の中から低く這い出る、くぐもった笑い声。いつの間に起きていたのだろう、彼女は毛布越しに肩を震わせている。


「ヤーラ君がここからいなくなるなら、私は打ち首にでもなるのかしら」


 ロゼールさんは咳き込みつつも、不敵に笑う。


「どっちが本性、なんて……そんなの、どっちも、よ。あなたの望みは変わらない。それを無理やり抑えているときと、意図せず爆発するときがあるの。それだけ」


 ちょうど、コインの裏表みたいなものだろうか。何かのきっかけで裏返るときがあるけど、同じコインであることに変わりはない。どちらにしたって、私の態度は変わらない。


「でも、僕は皆さんにひどいことを……」


「怒らせるようなことをするのはね、本気になってほしいからよ。そのためならどっちが傷ついたっていい。そうでしょう?」


 すっかり心を見透かしているような語り口だが、どこか自嘲しているようにも聞こえる。


「熱情的なあなたはとっても素敵だったわ。でもね、どんな攻撃的なことを言っても、誰を傷つけようとも、エステルちゃんには通用しないわよ。諦めなさい? 絶対に勝てないんだから」


 いつの間に勝ち負けの話になったんだろう。ヤーラ君は私をちらっと見て、納得したように小さく頷く。


「そもそも原因を作ったのは私なんだから。ごめんなさいね。二度としないわ……たぶん」


 反省の色がなさそうなのは、何か意図があってのことだろう。スレインさんは呆れたように嘆息していた。


「詳しい事情は知らんが、君はもう少し言動に気をつけたほうがいい」


「無理ね、性分だもの。怒鳴ってるあなたも結構好きだったわよ」


「この悪癖は死ぬまで治らんのか……?」


 私が誰も責めるつもりなどないのは、彼女もきっとわかっている。道義に反するようなことをしたって、私はみんなのことが大好きだから。


 きょとんと固まっているヤーラ君を、ゼクさんが苦々しげな顔で小突いた。


「お前、ちったぁあのババアにキレろよ。なんなら俺がぶん殴る」


「ごほごほっ。ああ、傷が痛むわ」


「む……っかつく野郎だなオイコラ」


「喧嘩はやめてくださいね」


 私が釘を刺すと、ゼクさんは凶悪な目つきのまま舌打ちをして、ロゼールさんはわざとらしく胸を押さえたまま舌を出す。


 怒れと言われたヤーラ君はぽかんとしたまま見守っているだけで、私は思わず微笑んだ。


「やっぱり、ヤーラ君は優しいよね」


「え? いや、僕は……」


 私は包帯の巻かれた細い右手をそっと包み込む。


「ヤーラ君が辛いときはいつでも助けるから……これからも、私たちを助けてくれるかな」


 その目は大きく右手を凝視したまま硬直し、やがてゆっくりとこちらを向く。


「……エステルさんは、ひどいです」


「へ!? わ、私、何かまずいことした……?」


「いえ、何も。エステルさんはそれでいいと思います」


 一転して穏やかな表情に戻ったヤーラ君を見て、とりあえず問題はなさそうだと安心した。


「ヤーラ君、パン食べるかい?」


「あ、1ついただきます」


 マリオさんが陽気に勧めたパンをゆっくり食べる姿を見て、私もなんだかお腹がすいてしまった。みんなも同じ考えに至ったのか、全員で軽い食事を楽しんだ。

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