月の魔力
「ふっ……おおおっ……!!」
落石のように重い一撃を、ゼクは自分の両腕だけで受け止めた。どろどろと柔らかい感触が直に伝わってくるが、その力は大型の魔物にも引けを取らない。
仲間であるはずのヤーラは、その光景に薄ら笑いを浮かべている。月光を背負った立ち姿は、この世ならぬものにも見えた。
「もし僕があなたを殺したら……僕があなたに殺されたら、エステルさんは受け入れてくれるのかな」
さっきよりも鮮明な話しぶりが、かえっていっそう不気味だった。
――俺がヤーラを殺す? ふざけんな!!
ゼクは歯を食いしばる。いくら強いとはいえ、その気になればこのホムンクルスは倒せるだろう。むろん、あの華奢な少年だって。
だが、仲間を手にかけるなどということはもう二度としたくなかった。
そもそもヤーラがこうなったのは、自分のせいではないかとも思う。あの神父に扮した殺し屋をきっちり始末しておけば、うなされることも、正気をなくすこともなかったはずだ。
進退窮まった状況で、音もなく少年の背後に忍び寄る影。
どっ、とヤーラの身体が地に伏す。音がした頃にはすでに背中を押さえつけ、身動きを封じていた。術を使われないように、ご丁寧に視界まで封じて。
鮮やかな手捌きを披露したマリオだが、そこで手が止まる。
「……殺さないんですか」
「君は敵じゃない」
「僕があなたを攻撃すれば、敵になりますか」
「君を殺せって命令があれば、そうするよ。でもエステルは絶対にしないだろうから」
「く……ふふっ。いいなぁ……」
悲哀の混じった笑いがこぼれる。マリオは表情こそ変わらないが、どうしたらいいかわからないという戸惑いがかすかに見えた。
「僕も、あなたみたいに……何も感じずに、人を殺せればよかったのに」
はっとマリオの目が開く。反射的に手を離し、頭を庇うようにした直後。
砲弾のような何かが激突し、彼の長身を吹っ飛ばした。
「……は?」
バリバリと家屋の壁を突き破る音が遠のいていく。ゼクは目の前にいる怪物とそれを交互に見やる。
身体の自由を取り戻し、ゆらりと立ち上がった少年の傍にいるもの。
もう1体の、ホムンクルス。
ゼクが対峙しているそれと違って、さらに図体は大きく、頭も四肢もどこにあるかはっきりしている。が、出で立ちはやはりグロテスクな異形だ。
さすがに2体同時はきつい、とゼクは1体目の腕を振り払い、距離をとって剣を抜く。
ヤーラはあれを自分の弟だと思い込んでいて、だから倒してはいけないと認識していた。それが増えたらどうなる?
小さな錬金術師は、無残な親子の亡骸の前で膝をついた。そっとかざした手から、月明りにも似た淡青色の魔法陣が展開する。
「……死にたく、なかったはずなんだ……本当は……誰もが」
人間の死体だったものが、みるみるうちに姿を変えていく。皮膚は変色し、肢体は肥大化し、原形を失った怪物へと変貌していく。
1体だけであんなに手こずったのに、2体、3体と増えていったら――
「……くそったれ!!」
一斉に襲い掛かってくるホムンクルスたちに、ゼクは倒さないという選択肢を捨てた。
ヤーラは最初のホムンクルスだけを引きつれて、奮闘するゼクを残してどこかに去ってしまった。
◇
ロゼールさんは空いている民家で休んでもらって、スレインさんに後を任せ、私は生命の気配1つない集落の中を走っていた。
<伝水晶>を確認すると、ゼクさんとマリオさんを示す点からゆっくりと離れているものがある。これはヤーラ君だ。なぜか2人を残してどこかに行こうとしている。
――と、そこでマリオさんから連絡が来た。
『やあ、エステル』
「どうしました? ヤーラ君は?」
『1つずつ説明するね。まず、ヤーラ君はぼくらのことを覚えてはいるけど、まだ正気じゃないみたい。次に、彼は村人の死体までホムンクルス化させている。ゼクがそれに対応中だけど、気をつけて。ぼくのほうは吹っ飛ばされちゃって、今右腕が動かない』
「え……だ、大丈夫ですか」
『ぼくのことは心配しないで。あとは君に任せるけど、だめだったら逃げたほうがいい』
事務的な報告だが、その深刻さは十分に伝わった。
ホムンクルスを増やしてる? 私たちのことは覚えているのに正気じゃない? 考えなきゃいけないことはたくさんあっても、今はただ足を動かす。行かなきゃ、早く――
――辿り着いたのは、屋根が半分吹き飛んでしまった木造の民家だった。
そっと中に入ると、血の臭いが鼻をつく。ダイニングテーブルとその周りにバケツを振りまいたような血の跡はあるが、ひと気らしいひと気はまったくない。
1階には何もなく、軋む階段を上って2階へ向かうと――屋根がすっかり消え去ってしまった部屋に、彼らはいた。
雲の破れ目から覗くまどかな月に照らされた、1人と1体の影。
見つけられてよかったという安堵が半分、いつもとは何かが違う異様な雰囲気への緊張が半分、私の意識を陣取っている。
「ヤーラ君……」
疲れ切っているような虚ろな双眸がこちらを向く。ホムンクルスが1体だけなのは幸いだった。それに、今まで私にだけは攻撃しないでくれたはずだ。大丈夫。
「……ごめんね。私、全然気にかけてあげられなくて――」
違う。謝罪なんて求められていない。こんなの私の自己満足だ。
「ロゼールさんに、会いましたか」
一切感情の入っていない声音に、少しぞっとした。
「うん。今、スレインさんと一緒だよ」
なぜか彼は視線を落とし、深く溜息をつく。にじり寄った眉根に嫌悪感みたいなものが刻まれている。
「――僕は……あの人、嫌いです。怖いから……。あの眼に見つめられたくない。殺しておけばよかった、って思いました。今」
「……」
「マリオさんも、嫌いです。当たり前のように人を殺せるあの態度が。スレインさんも、嫌いです。ずるいんだよ、あの人……真っ当そうなふりして。ゼクさんも……あんなやつ、大嫌いだ」
仲間への恨み言の1つ1つが、針のように突き刺さる。私は何も言わない。
重たい沈黙。静寂に包まれた、朽ちた家。ホムンクルスの獣みたいな呼吸だけが耳に入って、あれも息をするんだと思った。ヤーラ君は細い指でその生命体を指し示す。
「これ、何だと思いますか」
「……ホムンクルス」
「そうです。僕はこれを弟の名前で呼んでいた。でも違う、アーリクは……死んだ。僕のせいで」
君のせいじゃないよ、という安直な言葉を飲み込む。彼がそう思っている限り、私が否定しても意味はない。
彼は不定形の身体にそっと手を添えて、顔らしき部分を見上げた。
「これは……この、醜い人喰いの化物は――僕だ」
巨躯の裂け目から、深い吐息が悲鳴のように漏れ出た。
「僕が一番嫌いなのは、自分です。お願いです……こんな奴、見捨ててください。許さないでください……」
悲痛に歪んだ顔を俯けて吐き出した苦しみが、私の胸にまで浸食してくる。それでも、喉につっかえた異物を吐き出すように言い切った。
「見捨てないよ。絶対に」
鈍色の瞳だけが、ゆっくりと動く。
「ヤーラ君が、誰を嫌っても……誰かを傷つけても……私はあなたを嫌いになったりしないよ」
「どうして……」
「理由なんてないよ。どんなヤーラ君でも、私は――好きだよ」
陰っていた横顔が、徐々に月光を帯びて青白く照らされる。虚ろだった目は力を取り戻したようにはっきり開き、口元には穏やかな微笑が浮かんだ。
「……そう言ってくれると、思いました」
まだ覚束ない足取りで、しかし確実にこちらに歩み寄ってくる。
「エステルさんは、本当に……優しくて、温かい人です。こんなにいい人、他にいないと思う」
あまりにもストレートに褒められて、ちょっと恥ずかしくなったけど――なんだか奇妙な違和感があって、じっと彼を見据えた。
「だから、僕はあなたのこと――」
右手には、銀灰色に閃く何か。
「殺して、食べてみたいんです」
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