ブラッディ・ヴィレッジ
それが姿を現したのは随分久しぶりのことだと、ロゼールは他人事のように懐かしむ。自分が壊してしまった少年は、両手で頭を抱えながらうずくまり、唸り声を漏らしながら苦痛に喘いでいる。
か弱い少年を守るように佇む、不定形の化物。
何かにヘドロを覆い被せたような出で立ちで、かろうじて頭らしきものと両腕の部分がわかる。大きな体躯の中心には、縦に裂かれた巨大な口がある。
どこに目があるかわからないが、その化物はロゼールを横目で睨んでいるように見えた。
「どうして……どうして、僕は……あんな、ことを……」
当のヤーラはひどく後悔しているようだ。その罪責の念は、出会う前からずっと根付いていたものなのだろう。
本当はすぐに逃げるべきなのだが、ロゼールはそうしない。健気な少年が嘆き悲しんでいる様を、ずっと見ていたかった。
「ああ……ごめんよ、ごめんよ……こんな、ひどい――可哀想に、誰、が……」
彼はとっくに記憶が混濁し始めているらしく、村人たちの餌食となった女の亡骸に近寄り、棺代わりの氷をそっと撫でる。
やがてよろよろと立ち上がると、いやにゆっくり顔を後方に向けた。生気のない表情と、鈍色に濁った瞳。
「ロゼールさん」
名前を呼ばれて、わずかに目を見開く。認識は曖昧そうに見えるが、仲間の判別はできるらしい。以前とは違う。死人のように力のない面相から、抑揚の消えた言葉がこぼれる。
「僕は、きっと、あなたがたの敵です」
剛腕がロゼールの細身にぶち当たり、猛烈な勢いで壁に叩きつける。
「――ッ!!」
身を守ってくれるはずだった氷の盾はなぜか発動されず、まともに食らってしまった。砕けた破片と一緒に身体が崩れ落ち、軋んだ骨が激痛を訴える。声を発するどころか呼吸すら難しい。
「あ……う、あぁ……だ、だめだ……」
再び頭を抱えだしたヤーラは、覚束ない足取りで傷だらけの仲間の脇を素通りし、出口へ向かった。ホムンクルスも身体を引きずりながらついていく。姿が見えなくなった後も、何かを破壊する音が続いた。
「……っ……ごほっ」
取り残されたロゼールは、耳のピアスを外す。息をするたびに胸が串刺しにされるような痛みが走るし、咳には血が混じっている。なんとか堪えながらもピアスの魔道具を起動させた。
「ふ……ふふっ」
思わず笑ってしまった。自分で作り出した状況なのに、助けを呼ぶなんて。
――逆よ、ヤーラ君。私があなたの敵なのよ。
心の中で訂正しつつ、ふとエステルの顔を思い浮かべる。一時の衝動で、絶対にしてはいけないことをした。それでも彼女は許してしまうだろう。ひどく悲しそうな顔をして。
ヤーラのことも同様に、すべて受け入れるだろう。この先、どんなことをしようとも。
だから、ロゼールは――水晶の先にいる心優しい少女に向かって、必死で謝罪の言葉を絞り出した。
◆
中央広場に群がる人々の中心に、温和な笑みを浮かべた老人が座っている。刃物や鈍器を手にした村人たちは、狩りの時を今か今かと待ちわびていた。
「あいつ、遅いですね。もう行っちまいません? 相手はたったの6人ですよ」
「いや。少人数とてAランク、油断してはなりません」
うんざりした顔の若者を、村長がやんわりとたしなめる。
「はぁ……。だからって、貴重な食い物をあの連中にくれてやることなかったんじゃねぇです?」
「ちょっと警戒されているようでしたからね。しかし、ついでに余興も楽しめた」
ふふふと笑う村長に、若者は首をかしげる。
「地下の腐りかけの女を混ぜてやったんです。1人分だけね。小さい坊やが当たりを引いていましたが」
「ハハハ! あれはそういう!」
ピリピリしていた若者はすっかり機嫌をよくし、他の仲間とどの女をどうしてやろうかという話に花を咲かせ始めた。
落ち着いて構えていた村長が立ち上がったのは、慌てて走ってくる自分の妻の姿を視認してからだ。
「あなた! あの子供とエルフの女が脱走したわ。うちの小間使いを氷漬けにして!」
「何?」
ちょうど同じタイミングで倉庫番が凍っているという知らせを受け、森は後回しにしてそちらへ向かうことにした。
聞いた通り倉庫番は氷像になっていて、役立たずとなったそれを乱暴に蹴っ飛ばしてそっとドアを開ける。中は暗闇だが、何かがうごめいている音がする。ときどき何かが壊れる音も。
ようやく闇の中から人影らしきものが見えてきた。そこにいる全員が臨戦態勢を取る。
「……誰、ですか」
不気味な声音だが、その小柄を確認して全員緊張を解いた。体調が悪いと寝込んでいた華奢な少年だ。
「おい坊や、そこは立ち入り禁止だぜ。こりゃあちょっとお仕置きが必要だな?」
さっきの若者が少年に近づき、ニヤニヤ笑いながらその肩を掴む。散々待たされて痺れを切らしていた若い連中が、ここぞとばかりに少年を取り囲む。
瞬間、若者の上半身が消し飛んだ。
残った下半身がぐらりと倒れ、断面から血や内臓が流れ出ていく。村人たちは皆理解が追いつかず、その場に硬直して若者の残骸を見下ろしていた。
「――ひぁっ!!」
誰かの間抜けな悲鳴で、全員が少年の後ろにいるそれに気づく。ヘドロの塊のような、大きな黒い影。硬いものが砕け、すり潰される音とともにぐにゃぐにゃと身体が収縮を繰り返す。中心部の裂け目からは、赤黒い液体がだらだらと垂れ流されている。
「……ぎゃああああああああっ!!」
誰かの絶叫を皮切りに、人々はパニックを起こし散り散りに逃げ出した。
取り残されたヤーラは、虚ろな顔から一転苛立たしげに眉根に皺を寄せる。
「……う、る、さいなぁ。お前が泣き喚くせいで、いつも僕が怒られるんだよ」
泥水のような瞳が、恐怖で腰を抜かした女に狙いを定めた。ホムンクルスも追従するようにゆっくりと近づいてくる。
「い、いやぁっ!!」
女は震える手で持っていたナイフをホムンクルスに投げつけた。刃は泥のような身体に沈むだけで、ダメージはない。抵抗虚しく大きな腕が振り下ろされ、女をミンチにした。
その衝撃でぐにゅりとナイフが押し出され、地面に落ちる。細い手に拾い上げられた刃物は、銀色の刀身に青白い顔を映し出す。
「……ふっ、あははっ」
少年は無邪気に笑うと、遠くで響く叫び声のほうへ歩き始める。
恐怖で混乱した村人たちは、我先にと門のほうへ走っていく。後ろから恐ろしい化物を連れた少年が迫っているのは、全員がはっきりと認識していた。
ようやく門の手前に辿り着いた1人が扉に手をかけると、違和感に気づく。
「あ……あれ?」
押しても引いても叩いても、分厚い木の板はびくともしない。その部分だけ時が停止したかのようだ。業を煮やした村の力自慢が門を破壊しようとしたが、傷1つつかない。
「――出られないよ」
すぐ真後ろに、薄ら笑いを浮かべた不気味な少年。左目からぼうっと朧げな光がちらつく。
出られない。逃げ場はない。追い詰められた人々が絶望しかけたとき。
「あの小僧を殺せ」
唯一冷静さを残していた村長はあの化物を操っているのがヤーラだと見当をつけ、元凶を叩くよう指示を出した。
その一言が村人たちを奮起させ、自分たちが狩る側だったのだと思い出させる。血走った目の殺人鬼たちが、虚弱そうな少年を睨んだ。
「死ねェ!!」
先駆けてハンマーを振り上げる男の姿が、暗い光を宿した左目に映る。
木製の武器は標的に達する前に粉々になり、それを握っていた両手だけが虚しく空振った。
「……は?」
あっけにとられた隙に、獣のように猛っていた村人たちはホムンクルスの剛腕で肉片にされて飛び散っていった。
凶暴な化物、得体の知れない魔術を使う少年。もはや打つ手はない。
血飛沫が噴き上がり、臓物が撒き散らされ、肉塊が食い荒らされる、まさに地獄絵図。
最後に残った村長は、茫然としたまま立ちすくんでいた。少年もまた虚ろな眼で老人を見上げる。
「た、頼む……命だけは……」
その命乞いに、少年は悲しげな瞳を返した。
「……僕らみたいな、人殺しは……自分の罪から、逃れられないんです」
老人の身体が泥のような腕に半分に引きちぎられ、1つずつ口の中に放り込まれた。
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