残酷な人
見るからに血色の悪い少年は、ベッドに横たわっているものの眠ってくれそうにない。彼の面倒を任されたロゼールも、これに関して自分ができることはないと早々に見切りをつけ、頬杖をつきながらただ見守っているだけだった。
今やることといえば、エステルたちの帰りを待ちつつ、薄気味悪い村の連中の襲撃に備えることだけだ。
すぐにでも村中氷漬けにしたっていいのだが、エステルが嫌がりそうなので控えておく。そういうところだ、彼女がこんなパーティのリーダーをやれる所以は。
「あーあ、どうせならエステルちゃんと一緒に残りたかったわね」
「……すみません」
ロゼールはわざと嫌味っぽく言ってみた。責めているつもりはないが、ヤーラの本心はわかっているし、彼もそれが悟られていることをわかっている。
「……別に避けることないんじゃない? エステルちゃん、地味にショック受けてるわよ。まあ、あの子メンタル強いから大丈夫でしょうけど」
「エステルさんは……僕なんかに、構ってる暇はないと思うので……」
嘘だ。本当は今誰よりもエステルを必要としているはずだったし、彼女のほうも誰よりも気にかけているはずだった。しかし、2人が交わることはない。
その理由を一番深く理解しているのは、外側にいるロゼールだ。
まともな人間なら憐れむべきところを、彼女は愉快と感じる性分で、傾けた顔に寒気のするような笑みを添える。
「あの子って、本当に優しいし――本当に、残酷よねぇ」
「……」
ヤーラが夜中にうなされるようになったのは、以前の殺し屋騒動のときからだ。あのときはちょうどマリオが勝手にいなくなって、エステルはそちらに行かなければならなかった。一番傍にいてあげなければならないときに、いられなかった。
それは誰のせいでもない。ロゼールとしてはかなり癪だが、マリオの行動も筋が通っている。
しかし、聡明な少年はそこで悟ってしまった。
彼女は絶対に、誰か1人を特別視することはない――できないのだ。
年若い少年にとっては、この上なく絶望的な真実だった。一緒にいればいるだけ苦痛になる。だから離れる。が、それではこの重篤な傷は癒えない。
ロゼールはそんな哀れな少年に同情を寄せることはない。なんていじらしくって可愛らしいのかしら――と、完全に自己本位の愉悦に浸るだけだ。
そんな彼女に、小さな少年は反撃を加える。
「……あなただって、残酷ですよ」
「あはははっ!!」
ヤーラは少し不満げで、それがさらに人格の歪んだ美女を愉快にさせた。ただ、その怒りによって彼を蝕んでいた憂鬱が少し晴れたようだった。
そこに飛び込んでくるノックの音。
「あのう、飲み物を持ってきたのですが……」
若い女の声だった。村長の召使の誰かだろう。ロゼールはすぐにドアを開け、にこっと微笑んでみせた。
「どうもご親切にありがとう」
「いえいえ。具合、どうですか?」
「そうねぇ……ちょっと来てくださる?」
召使の女は言われるがままに部屋の中に入った。ロゼールがなにげない仕草でドアを閉め、鍵をかける。ガチャ、という音に召使が振り返ったとき。
「――!?」
ロゼールは背後から抱き着くように女の口を塞ぎ、その身体をパキパキと薄い氷の膜で覆っていく。四肢の自由を奪ったところで、女が持ってきた飲み物をヤーラの前に差し出した。
「これ、どう?」
意図を察した錬金術師は、だるそうに上体だけを起こし、透明な液体を観察する。
「神経毒の一種ですね。致死性はありませんが、手足が痺れて動けなくなります」
「あら……素敵なお食事会のときは人形男が毒味してくれたけど、今度こそ黒だったのね」
その言葉の間にも女を覆う氷は肥大化し、ついには最低限呼吸ができるよう目鼻の周りだけ残してすべて凍りついた。
「向こうも動き出したみたいだし、ここから脱出したほうがよさそうね。動ける?」
「もう平気です」
敵の卑劣なやり方に腹を立てるだけの元気は残っていたようで、ベッドから降りたヤーラはすぐに壁に触れて出口を作り出した。
◆
すっかり日の暮れた集落の中を、ロゼールとヤーラは隠れながら移動する。といっても村人を見かける頻度はそう多くない。彼らは決まって、何かしらの武器を携行していたが。
武装した村人は広場のようなところに集まっている。森に向かったエステルたちを狩りに行くつもりなのだろうが、彼女の周りにいる3人の化物を退けられるとは到底思えない。ロゼールはいっそ同情したくなった。
今夜は満月らしいが、薄い雲に遮られてその光も頼りなく注がれるだけだ。気味の悪い灰色の空を見上げて、ロゼールは目を細めた。
2人が向かったのは、村の奥にある少し大きめの家屋だ。暇そうな見張りが1人立っている。
「ここに何かあるんですね?」
ヤーラが小声で確認する。この少年は臆病そうに見えて、こと敵前ではかなり肝が据わっている。
「さあね。ただ、あの目ざとい人形男がわざとらしいくらいチラチラ見てたから」
「マリオさんはすごいなぁ……」
褒めたつもりはないのだが、ヤーラはあの無駄に冷静な合理主義者をどこか尊敬しているきらいがある。ロゼールとしては面白くない。
自分たちが襲撃されるなど微塵も思っていないであろう見張りの男を、ロゼールは流れ作業のように凍らせた。何も言わずともヤーラは入り口の鍵の形質を変えて扉を開け、2人は中に侵入する。
真っ暗な屋内を、指先に灯した小さな炎魔法で照らす。そこは食糧庫のようで、農作物などが木箱に詰められていた。それ以外には特に変わった点はない。
「……あいつに限って外すことなんてないと思うけれど」
何の変哲もない食料の山を照らす傍らで、ヤーラは屈んで床のあちこちを叩き始めた。
「何してるの?」
「前にマリオさんが、地下があるかどうかを床の音で判別していたので……」
見様見真似ということらしいが、ある地点でコンと音が軽くなり、2人して顔を見合わせる。
ヤーラの細い手から魔法陣が展開し、床材が形を変えて正方形の空洞ができる。底の見えぬ暗闇から、嫌な臭気が漂ってくる。
「何が出てくるかわからないわよ。私だけで行ってもいいけれど」
「……そういうお気遣いは結構です」
スレインに休んでいろと言われたのが効いたのだろう。ヤーラはとにかく働いていないと気が済まない性質で、人に仕事を任せて自分は休むという発想がないのだ。
それに、戦力外扱いされたのが彼のプライドを傷つけたのかもしれない。半ばムキになっているようにロゼールの目には映った。そのいじらしさに、また笑みがこぼれる。
もしエステルちゃん抜きでこの子に出会っていたら、再起不能になるまでめちゃくちゃにしちゃってたかもしれないわね――なんて、縁起でもないことを考えながら。
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