#23 人喰いの化物
朝日昇れど
「……ぅぁ……あ、うぅ……」
真夜中、暗闇の中にじわりと染みる呻き声。苦しみ、悲しみ、痛み――いろんなものが入り混じった、静かながら重たい叫び。
「ヤーラ君。……ヤーラ君」
「ぐ……う……あぁ……」
彼の心はすっかり悪夢に囚われていて、私の声は届かない。それでも目を覚ましてくれるまで、名前を呼び続ける。
「大丈夫だから。ヤーラ君……」
「……う……っ……ぅ、あああっ!!」
起きるときは、決まって恐ろしいものを見たような悲鳴を上げる。汗びっしょりのまま息を弾ませて、焦点の合わない目をうろうろ動かす。
「……あ……エステル、さん」
「よかった」
私は安心したけれど、当のヤーラ君は暗い顔でうつむいている。ここ数日、夜にうなされるようになってしまって、そのたびに私が起こしにきていることに引け目を感じてしまっているのだろう。
こうなったのは、ロゼールさん曰く――人を殺してしまったことが原因らしい。
街の殺し屋に私が懸賞金をかけられたとき、その出所である教会に潜入してもらったのだが、敵の1人がヤーラ君を人質にとったというのだ。そこから助かったのは、ヤーラ君が敵に毒を注射したからだった。
仕方のない状況だった。でも、自分の手で人を殺めてしまったことを深刻なまでに引きずっているようだ。
同室のゼクさんはどこかバツが悪そうで、マリオさんはただ冷静に観察している。そんな2人に対しても、ヤーラ君はひどく申し訳なさそうにしていた。
◇
今朝の「最果ての街」は珍しく晴れていて、気持ちのいい朝日が部屋に差し込んでいた。最近はお寝坊さんモードだったロゼールさんも、珍しく早起きしている。窓の外をぼーっと眺めていた彼女は、私が起きたのに気づいてにこっと微笑みかけた。
「おはよう、エステルちゃん。もう少し寝てたほうがいいんじゃない?」
「いえ、もう十分眠れました」
確かに、昨晩はうなされているヤーラ君を起こしに行った分睡眠時間が少し削られたけれど、私は元々そんなに長く寝なくても平気なタイプだった。私が眠そうにしていたらヤーラ君も気にしてしまうかもしれないし、さっさと起きることにする。
「何してるんですか?」
早く起きたときのロゼールさんは、誰もいない街をふらふら出歩いたり、早朝トレーニングに出たスレインさんをからかいに行ったりしているみたいだけど、今日は……。
「別に、空を見ているだけ」
「今朝は久しぶりに晴れましたもんね」
いつもは灰色だった空も、今日はさわやかに青みがかっていて綺麗だ。長命ゆえか生来の気質からか、ロゼールさんは景色を楽しむようなゆったりとした時間の中で生きている。
「そうね……嫌いよ、曇り空」
緩やかさの中に、時折垣間見える哀愁。それはきっと、彼女にしかわからないものなんだろう。かける言葉も見つからなくて、私はそっと隣に寄り添って同じ空を見上げてみた。
「……何をしているんだ?」
背後から投げかけられた声は、トレーニングを終えたスレインさんのものだった。
「空を見てたんです」
「そうか。仲のいいことだ」
「なぁに? 嫉妬?」
ロゼールさんはいたずらっぽく笑いながら私に抱きついてきて、スレインさんを呆れさせる。
「もうすぐ朝食の時間だし、そんなに仲がいいなら2人まとめて食堂まで担いでいってやろうか」
「ちょっと、この前みたいなのはやめてよ。恥ずかしいから」
「恥ずかしがっている君を見るのは楽しかったよ」
「性格の悪さならあなたもいい勝負だわ」
スレインさんとロゼールさんのほうがよっぽど仲良く見えるけど――とは、なんとなく口には出さないでおいた。
食堂に向かうと、すでにマリオさんが食卓の準備をしてくれていた。大怪我をしてからそう日は経っていないのに、もうテキパキと動き回っている。
「もう、傷は大丈夫なんですか?」
「うん。全然問題ないよー」
元々痛みをほとんど感じていないようだから、辛そうな素振りは一切なかった。だからといって無理をしているわけでもなさそうで、ひとまず安心する。ソルヴェイさんの処置がよかったのかな。足にナイフを刺されたゼクさんも、1日でピンピンしてたし。
当のゼクさんはどことなく不機嫌そうに椅子を揺らしている。寝起きはいつもだるそうにしているが、そのせいだけではないだろう。ぴく、と何かに気づいて椅子を止めた。
「あ……おはよう、ございます」
ヤーラ君だ。声にも元気はなく、目元にうっすらと隈ができている。今日もよく眠れなかったのだろう。
「ヤーラ君、休んでてもいいんだよ?」
「……いえ、大丈夫ですから」
どう見ても大丈夫でないのは誰でもわかるのだが、どう言っても休もうとしてくれないので困ってしまう。
食事中もなんだか前より空気が重々しい。マリオさんの作ってくれる料理はもちろんおいしいけれど、ヤーラ君はあまり食欲もなさそうだ。
夜中にうなされるようになってから、日中もずっと調子が悪そうだった。いつもより集中力がなくてぼーっとすることが多くなったし、動作や反応が鈍い気がする。
それでもいつもやってくれている家事や手伝いなどは欠かそうとせず、食後もコーヒーを淹れようとすぐに立ち上がった。
「あ、いいよ。コーヒーくらいなら私淹れるよ?」
「いえ! ……気にしないでください」
突っぱねるように言われてしまって、何も返せなくなる。ヤーラ君は相変わらず几帳面に分量をきっちり計るが、やけに時間がかかっている。
そんな様子を見かねたのかどうかわからないが、ロゼールさんが冗談めかして声をかけた。
「そうだわ、ヤーラ君。今日はエステルちゃんの話し相手にでもなってあげたら? 確か、支部長の仕事は今そんなにないのよね」
「えっ……」
ヤーラ君はぴたりと手を止めて、そろそろとこちらに視線を合わせたかと思うと、すぐに目を反らしてしまう。
「や、あの……僕なんかと話しても、しょうがないと思うので……。せ、洗濯物、干してきます」
そう言って、逃げるように食堂から出ていってしまった。別にしょうがないなんてことないし、話したいことなんてたくさんあるんだけど……もしかして私、避けられてる?
「珍しいねー」
「1人でウジウジしやがって、あのチビ」
マリオさんがコーヒーを覗き込んでいる傍ら、ゼクさんが苛立たしげに舌打ちする。
口は悪いけれど、本気で心配しているのだろう。そのモヤモヤをかき消そうとするようにコーヒーカップを手に取る。
「砂糖と塩を間違えるなんて」
「しょっぺぇ!! なんだこれ、畜生ふざっけんな!!!」
思い返せば、ヤーラ君は本当に手がかからない子だ。真面目で気が利くし、身の回りのことはもちろんみんなの手伝いも積極的にやってくれていた。それで私もあまり気にかけてあげていなかったのだ。避けられているのだとすれば……それは、私のせいだ。
結局今はとりつく島もなく、ただ見守ってあげることしかできない。
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