無知な人形

 淡いピンク色を基調とした少し広めのベッドと、最低限の家具が置かれた簡素な部屋だけが、彼女の世界のすべてだった。


 その狭い世界で、楽しみといえば書物くらいしかなく、病に侵されて家族にも疎んじられて生きてきた少女は――本物の人間みたいに動く人形たちの芝居を、いたく気に入っていた。

 特に「勇者が魔王を倒してお姫様を救い出す」という単純なシナリオが好きだったらしく、何度もせがまれた。


『私がお姫様だとしたら、勇者はあなたよ、モーリス』


『ぼくは魔族とは戦わないよ』


『お姫様を助けるのが勇者なの』


 彼女はこれから殺される予定だった。言葉には出さなかったが、本人もそのことをよく理解しているようで、むしろ望んでいるようでもあった。

 一見そんなふうには見えない彼女は、無垢な子供のように勇者役の人形をか細い指でそっと撫でる。



『あなたが私を救い出すのよ。この世界から。ねえ、勇者様?』



 彼女は本当に救われたのか。

 首に手をかけたとき、どうして彼女は――彼女たちは、あんなに嬉しそうにしたのか。

 この人殺しを善人だと言い切るのは、どういう理屈なのか。

 痛くないと言っているのに、どうしてあの少女は自分のほうがよほど痛そうにするのか。


 何も、わからない。ずっと、わからない――



  ◆



 目が覚めたということは、生きているということだ。

 急所は外れていたし、支部がすぐ近くにあったから助かったのだろう。上体は起こせる。腹部に違和感があるだけで、やはり痛みは感じない。


「おはよう、このくそ馬鹿」


 ベッドの脇から上品な声で下品な罵りが聞こえる。声は1つだが気配は2人分だ。

 なんということはなく、ロゼールとその隣で彼女にもたれかかって寝ているエステルがいただけだ。


「勝手に刺されるなんていい度胸ね。エステルちゃんがどれだけ心配したと思ってるの? スレインの悪癖が伝染ったのかしら」


 ロゼールはひどく怒っているようだが、マリオはどうすればいいかわからずに黙っている。


 なぜあのジョーという少年のナイフを避けなかったのか、どうにも思い出せない。考え事をしていた気がするが、彼の姿はちゃんと見えていた。理由を聞かれても答えられないだろうし、ロゼールも察しているのか、そのことには言及しない。


「大慌てで戻ってきたエステルちゃんと――あれは可愛かったわね……あと、治療してくれたソルヴェイに感謝しなさい」


 処置したのはやはりソルヴェイか、とマリオは身体の具合を確かめる。治癒魔術のレベルも相当高いことが伺える。すぐに動けるようになるだろう。


「そうそう、ソルヴェイといえば」


 ロゼールは頬を支えていた指をゆっくり離した。ここからが本題、というように。



「あのスパイ君はいつまで放置しているつもり?」



 マリオはそっと顎を撫でる。当然といえば当然だが、ロゼールも気づいていたのか。


「ギャングのみんなが正式にこっちに協力してくれるらしいから、まだ放っておいていいと思う。下手に問い詰めて今の関係がこじれるのも困る」


「あら心外。あなたと意見が一致するなんて。まあ……そうね。変なことしたら、あの子パニックになりそうだし」


「ただ、彼らの目的が『クイーンを探すこと』なら――もちろん何か根拠があって、ここに潜入したはずだ。君は見つけたかい?」


 ロゼールは視線を横に傾けながら、やけに考え込んでいた。


「……わからないわね。今のところは」


 半分嘘だな、とマリオは判断した。なんとなくの目途はついているが、確実性がないし、言うメリットもない。それはマリオも同じだったが、当たりをつけた人物が彼女と一致しているかは不明だ。

 ただ1つ言えるのは、「クイーン」が魔族と組んでいる線は薄いということ。ヨアシュたちが盗んだ研究も――


「ふにゃ……?」


 気の抜けた声に、2人の視線が集中する。


「おはよう、エステルちゃん」


「やあ、エステル」


「ほぇ……?」


 まだ意識が眠りから覚めきっていないエステルは、ぼんやりと自分の名前を呼んだ2人を交互に確認し――急に覚醒したのか、椅子から立ち上がった。


「マリオさん!! だ、大丈夫ですか!? 痛いところは……」


「別に平気だよ」


「ああ……そう、ですよね。でも、無事でよかった……」


 はぁ、と深く安堵のため息を漏らしたエステルは、今度はロゼールのほうに視線を移す。


「あれっ? そういえば私、ロゼールさんによっかかってました? ごめんなさい、全然気づかなくて……」


「いいわよ。天使の寝顔が見れて幸せだったわ~」


 ロゼールが本気で恍惚とした表情になったせいか、エステルは頬を染めて何も言えなくなっている。


「でも、この人形馬鹿の顔は1秒も見たくないし……ちゃんと説教してやってね」


 気まぐれな彼女は、急に立ち上がってエステルの背中を軽く叩き、さっさと部屋を出ていってしまう。説教などする柄ではないエステルは、取り残されて少し困っているようだった。


「じゃあ……ちょっと頼み事してもいいかな」


「は、はい?」



  ◇



 マリオさんからのお願いを受けて、私はソルヴェイさんの仕事場にお邪魔している。ちょうどアイーダさんがお手伝いしていたようで、珍しく白衣を着ていた。作業を中断してもらって、私の頼みを聞いてくれたソルヴェイさんは――


「……で、次に投与したのが一般的なポーションに止血効果を付与したやつで、おもな成分は――」


 自分の傷の処置をどのようにやったか詳しく聞いてほしい、というのがマリオさんの依頼だった。理由はわからないし、ソルヴェイさんが説明している内容もちっともわからない。


 戻ったらなんて話そうかと悩んでいると、説明が終わったタイミングでアイーダさんがメモを渡してくれた。


「今のお話の内容を書き留めましたので、ご参照ください」


「あっ、ありがとうございます」


 メモを取ることに慣れているとしても、ものすごい速さと正確さだ。とりあえずこれをそのまま渡せばいいんだ、助かった。


「今、何をしてたんですか?」


「君んとこのおチビが持ってきた薬を調べてた」


 そういえば、ヤーラ君が教会を調べたときに魔族が作った薬品が出てきたんだっけ。


「何かわかりました?」


「んー…………わかんねぇ」


「では、ファースさんにはそのように報告を」


 そんなことまで律儀にメモするアイーダさんに思わず苦笑しつつ、仕事の邪魔をしてしまったお詫びをして、私は部屋を後にした。



 マリオさんのいる臨時の医務室の手前まで来ると、がりがりと何かを削る音がする。ドアをそっと開けてみれば、彼はベッドの上で木をナイフで掘っていた。


 ああ――人形だ。


 誰を作っているのかは聞くまでもない。可愛らしい三頭身の出で立ちに、肩まで伸びたウェーブがかった髪型まできちんと再現されている。お父さんのほうはすでに出来上がっていて、脇のテーブルに精巧な人形が置かれている。


「やあ、どうだった?」


 当然のように気配を察知したマリオさんに、私は黙ってアイーダさんからのメモを差し出した。彼はざっと目を通して、「なるほどね」とだけ呟き、作業に戻った。


 マリオさんを刺してしまったジョー君は、自分がしたことが恐ろしくなったのか、すぐに青ざめて逃げてしまった。何か声をかけてあげればよかった。もう、二度と会うことはないのだろう。


 全体の形が出来上がって、顔を描く段になった。人形の顔は、いつも笑っている。マリオさんみたいに。


「……ハティちゃんと……クラリスさんは、どんな話をするんでしょうね」


 ふと、そんなことを聞いてみた。マリオさんは細い目をぽかんと開いてこちらを見る。


「きっと、クラリスさんはマリオさんの話をいっぱいしますよ」


「ハティはぼくのことを聞いたら嫌がるんじゃないかな」


「大丈夫です。クラリスさんがちゃんと説明してくれます。いい人だから……優しい人だから、って」


「君とクラリスは会ったこともないはずだよ」


「わかりますよ。友達の友達だから、私とクラリスさんは友達なんです」


「ぼくには、さっぱりだなぁ」


 困ったように笑って、人形のほうに視線を戻す。細やかな作業の音だけが残る空間に、ぽつりとこぼれる言葉。


「――……いつか、君たちのことをわかる日が来るのかな」


「来ますよ、きっと」


 人形の顔から、だんだんと面影が浮かび上がってくる。なおも彼は精妙に絵筆を動かす。ずっと忘れないように、丁寧に、丁寧に……。

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