天の光の下

『まさか、あいつ――敵の狙いを自分に向けるために、あんなことしたんじゃ……』


 宿舎でロゼールさんがそう呟いたことで、私はようやくぼんやりと状況を理解できた。と同時に、マリオさんが1人で戦おうとしていることがわかって、すぐに行かなければと決意した。


 マリオさんは強いし、彼なりに考えもあるだろうから、1人で片付いてしまうかもしれない。でも、上手く説明できないけれど――それではダメだ。


 体調の悪そうなヤーラ君のことは、申し訳ないけれどスレインさんとロゼールさんにお願いして、私はゼクさんと一緒に外に出た。<伝水晶>のお陰で居場所はわかるので、それに従って合流したのだけど――



「マリオさん……」


 彼を狙っていた暗殺者は、自らの武器を首元に突き刺されて倒れていた。胸の辺りが大きく上下していて、まだ生きているらしいが、時間の問題なのは明白だった。


 それよりも目を引くのは、体躯の小ささ。


 子供だった。しかも、その顔に見覚えがある。


「……ハティちゃん、ですか?」


「うん」


 街で聞き込みをしていたとき、マリオさんが芸を見せていた子供のうちの、1人。

 すぐには信じられなかった。大人しくて優しそうなあの女の子が、どうして……。


「彼女は、処刑屋くんの娘なんだよ」


「そんな……」


 確かにあのナイフは処刑屋が使っていたものと同じだった。彼は娘にも殺人の技術を教えていたのか。いろいろな思いがぐるぐると頭の中を駆け巡る。


 困惑する私をよそに、マリオさんは黙って彼女の首に手をかけた。


「っ……殺す、んですか……」


「君がやめろと言ったらやめるよ。助からないと思うけど」


 平坦な声が、ひやりとした空気に溶ける。

 できることなら助けてあげたかった。そんなの、甘い考えなのはわかってる。子供だとしても彼女は殺し屋で、きっと何人も殺めてきて、父親の仇であるマリオさんを恨んでいる。



「……ろ……して……」



 あまりにも弱々しくて、消え入りそうなかすかな声だったが――それは私の身体の髄にまで刺さるような、感情を全部塗り潰すような、そんな響きだった。


「……。楽にしてあげてください……」


「わかった」


 光が失われかけている眼がこちらを向く。


「ごめんね……」


 あなたが平和な家庭に生まれて、両親にたくさん愛されて、いろいろなことを勉強して、大人になって――そんな幸せな人生を送れたらよかったのに。こんなことは考えても無駄だ。無駄だけど、考えてしまう。


 もしも天国があるなら、どうか彼女を温かく迎え入れてあげてほしい。痛みや苦しみなんて全部忘れて、安らかに過ごしてほしい。この願いが神様に届くのならば、いくらでも祈ります。どうか……。


 少女が息を引き取ったのを見送って、私は目を閉じて手を合わせた。


 後ろから、金属を叩く音と足を引きずる音が近づいてくる。剣を杖にして無理やり来てくれたのだろう、彼は立ち止まって黙っている。朝日がゆっくりと世界を照らし始めたのを感じながら、私はじっと手を合わせている。



  ◇



 教会が壊滅し、大物の殺し屋が次々と姿を消したことで、私を狙おうという人間はほとんどいなくなったらしい。マリオさんと2人で街を出歩いても、襲われることはなくなった。


 帰りがてら、マリオさんは今回の件のことを詳しく説明してくれた。


「最初に支部で襲撃されたとき、ナイフは前から飛んできたのにエステルは背後から襲われたよね? その時点で、『処刑屋』は2人以上で行動してるってわかったんだ。それに、ナイフの飛んできた位置が低かったから、背の低い人か、子供かなって」


 言われれば納得する。処刑屋は2人いて、そのもう1人をおびき出すためにあんなことをしたんだ。狙いを私から反らすために。


 それは、許されることだろうか?


「処刑屋くんはほとんど姿を知られてないからね。同じ殺し方をして、気づくのはその仲間だけってことさ。どこで話を聞かれるかわからないから伏せておいたんだ。ごめんね」


「いえ……」


 とても理にかなっていると思う。彼は最もリスクが少ない方法を考えてくれたのだ。私のために。

 私がマリオさんを責められる道理なんて、1つもない。


「ありがとうございます」


 お礼を言うと、彼はきょとんと首を傾げた。


「あの、ほら……私たちのこと、いろいろ考えて行動してくださったんですよね。私を……あえて敵に襲わせたのも、助けられるっていう確信があったからですよね」


「そうだよー。君が死んだら、何も意味はないからね」


「……。私、やっぱりマリオさんはいい人だと思います」


 笑顔が少し薄らいで、小さな瞳がわずかに露出する。視線はただ義務的に前を向いているだけで、意識は別のところに集中しているらしかった。

 俯きがちだった顔が、ゆっくりと上を向く。



「――天国って、どういうところなんだろう」



 それがマリオさんから発せられた言葉なのだと、すぐに認識できなかった。笑ってはいるけれど、その顔は真剣そのものだ。


「……私の村の神父さんは――正直者が行くところ、っておっしゃってました。人間は罪を犯す生き物だから、たとえ悪いことをしてもきちんと反省すれば、天国に行けるって」


「へぇ……それは、クラリスから聞いてなかったな」


「クラリスさん……」


「いいことをしたら天国に行って、悪いことをしたら地獄に行くんだってさ。そっちに行っても、友達は友達なんだって」


 ああ、と納得した。

 きっとクラリスさんは、マリオさんにとって理解できないものを理解するための助けで、世界と自分を繋ぎとめるための糸なのだろう。


 でも、彼女はもう――


「天国はいいところだとも言ってたな。だから、早くそっちに行きたかったみたい」


 抑揚のない言葉の中に、確かに浮かび上がる彼女の輪郭。


 病弱でほとんど部屋から出られず、相続を巡って殺されてしまった哀れな少女。彼女の目に、世界はどう映っていたんだろう。マリオさんのことは、どう見えていたんだろう。


「まあ、ぼくには確かめようがないけどねー」


「え?」


「ぼくは人殺しだから、地獄に行くんだよ。たぶん」


 悲しい運命を語るには、あまりにも軽薄だった。


「反省、って言われても……よくわからないしね」


「必要ないですよ」


 思ったより語気が強くなってしまって、自分でもちょっとびっくりした。マリオさんも予想外だったのだろう、切れ長の目がじっとこちらを見つめている。


「その……マリオさんは、何も悪くないです。だって、悪気があってやったわけじゃないでしょう?」


 マリオさんに善悪はない。目的を遂行するために、合理的な手段を使うだけ。正しいとか間違ってるとか、たぶんそういう次元の話ではない。


「あんなことにはなっちゃったけど……でも、マリオさんはちゃんと聞いてくれましたよね。『どこまでならいいか』って……。私に合わせてくれようとしたんですよね?」


「……」


「マリオさんが地獄に落ちるなら、私も一緒ですよ」


 それっきり、会話は途切れた。

 珍しく晴れ渡ったこの街の日差しの温かさもあって、その沈黙もどことなく心地よかった。



 支部の建物が見えてくる。入り口手前に小さな人影があった。お客さんかな、と思ったが――どこか不穏な雰囲気だ。


 その少年の顔は、私の記憶にもはっきり残っていた。



「――お兄さんが、ハティを殺したの……?」



 初めて会ったときとまるで別人のような、虚ろな眼差し。

 彼は、マリオさんが芸を見せてあげたもう1人の――


「そうだよ」


 いつもと変わらない無機質な声。でも、心なしかさっきよりも重く響いた。


「どうして……」


 悲壮と絶望が、少年にのしかかる。小さな右手には、銀色の何かが煌めいていた。

 やがてその双眸が憎しみに染められて、真っすぐ友達の仇に駆け寄って――


「マリオさん!!」


 彼はどんなときでも冷静沈着で、周りをよく見ている。ナイフを持って襲い掛かろうとも、ひらりとかわしてその武器を奪う。ずっと、そうしてきた。



 だから――戦うことに慣れてもいないであろう少年に、何の抵抗もなく刺されたのが――本当に、信じられなかった。

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