職業殺し屋
むわっとした悪臭で目が覚める。起き上がろうとして、手足をベルトのような拘束具で縛られていることに気づいた。薄汚れた煤色の天井と壁に、べったりとこびりつく黒い跡。ぼんやりとした意識が徐々にはっきりしてきて、私は戦慄した。
マリオさんを始め、仲間は誰もいない。その代わりに、中年の男性の影が視界の隅に入る。
「目を覚ましてしまったね」
どこにでもいそうな、普通の中年のおじさん。思い出した、協会にお客さんとして来ていた人だ。
まさか……客のふりをして、潜入していたの?
「眠っているほうがまだ幸せだったかもしれないが、仕方のないことだ」
穏やかというか平板な声で、男は奇妙な剣を持ち上げる。切っ先が丸くなっていて、かなり重量がありそうだ。
「今から手足を切り落とす」
怖気と寒気でぶるっと身体が震えた。私は今から縛られたまま、手足を切り落とされるんだ。そんなことをする人間は、記憶に新しい。
「処刑屋……?」
「知っていたんだね」
ルゥルゥさんから聞いた中でも、最も危険な殺し屋。標的を必ずバラバラに切断して殺し、磔にして晒すという暗殺者らしからぬ目立つ行いをするが、当人の顔を知る者はほとんどいないという。
「どうして、こんなことを……」
殺し屋にそんなことを聞いても無意味なのかもしれない。けれど、処刑屋はどこか悲壮な濁った瞳で私のほうを一瞥し、質問に答えてくれた。
「方法は何でもいいんだ。苦痛を感じながら、悲惨な最期を遂げ、無残な姿を晒す――そういう『演出』によって恐怖心を植え付ける。そこまでが、私の仕事なんだ」
ひどく冷たい声音で、独り言のように言葉を紡ぐ。好きでやっているのではなくて、「仕事」だからやる。そんな仕事が成り立ってしまうのが、この街なんだ。
「だから、君にも痛みを感じてもらわないといけない」
やつれたような、魂の抜けたような眼が私を見下ろす。
怖い。いやだ。死にたくない。でも――
振り上げた刃は、落ちることはなかった。
何かに引っ張られるように、後ろにのけぞって動かなくなる。
「やあ、処刑屋くん。ぼくと友達になろう!」
同じ平板さでも、その声は私の恐怖心をあっという間に吹き飛ばしてくれた。
「マリオさん……!」
来てくれると思っていた。私が突然いなくなったら、真っ先に気づいて探してくれる人だから。
糸で武器を封じられた処刑屋は、空いたほうの手で小さなナイフを取り出して素早く投げる。マリオさんもほぼ同時にナイフの軌道からその身を外したが、ぷつんと音がして処刑屋の剣が引き戻される。狙いは糸の切断だったんだ。
マリオさんはすかさず糸の束を投げて、ぐいっと引く。棚か何かを倒したのだろう、物が落ちたりガラスが割れたりするような音が立て続けに起こった。
そのわずかな隙に私に近づいて、ナイフで右手の拘束具を切ってくれた。
「ごめん、あとは自分でやって」
ナイフを置いて戦闘に戻ったマリオさんに言われた通り、私は自由になった右手で手足を縛っていたベルトを切る。もたついてしまったけれど、マリオさんが気を引いてくれたお陰で処刑屋の意識が私に向くことはなかった。
乾いた血の跡が残る木製の台から降りて、その下に隠れながら様子を伺う。
マリオさんは狭い部屋の中でもあちらこちらに動き回っていて、処刑屋の投げナイフを綺麗にかわしている。あれはきっと、逃げながら部屋中に糸を張り巡らせているんだ。
しかしその魂胆は処刑屋にも見抜かれているようで、見えないはずの糸はあっさりと剣で切断されていった。
処刑屋は4本の投げナイフをそれぞれ指の間に挟んで構える。一振りしただけでナイフは軌道もタイミングも見事にバラバラで飛んで行った。
マリオさんも上体を反らして1本、倒れそうな姿勢で左手首の魔道具を盾に1本、足を上げて1本と次々かわしていく。
最後の1本はまったく別の方向に飛んでいた。それは空中で緩くカーブして――
「――え?」
こちらに向かってくる。
ドッ、と刃物が食い込んだのは私の身体ではない。
「マリオさん!!」
彼の二の腕には、深々と銀色の刃が食い込んでいる。やっぱり痛がる様子はなくて、平然とナイフを抜いて手を握ったり開いたりを繰り返している。
「動くから大丈夫」
そういう問題じゃ……と口を挟む余裕もなく、マリオさんは抜いたナイフを処刑屋と同じように構えた。
「君は先に逃げて」
ヒュッ、と投げられたナイフは空中を突き進む。処刑屋は剣で防御の姿勢を取るが、真っすぐ飛んでいたナイフはぐわっとカーブして細長い剣を回り込み、肩に突き刺さった。
今だ。私は低い姿勢のままたった1つの扉に急いだ。
マリオさんの横顔を一瞬だけ振り返って、体当たりするように木製のドアを開いて外に出る。
私がいたのは地下室だったようで、階段を駆け上がって屋外へ飛び出した。そこはどこかの路地裏で、あまり堂々と歩いていい場所ではなさそうだった。私は建物の陰に身を潜める。
しばらく待っていると、誰かが近づいてくる気配がした。おそるおそる顔を出せば、そこには見知った顔があった。
「エステル! そこにいたか!」
「スレインさん!」
よっぽど心配してくれたのだろう、肩を弾ませながら汗をびっしょりかいている。
「怪我はないか? 何もされてないな?」
「はい、マリオさんが助けに来てくれて……。そうだ、まだ中で戦ってるんです!」
「わかった」
スレインさんは疲れているにもかかわらず、さっと剣を抜く。
が、ちょうど私の<伝水晶>にマリオさんから連絡が来て、中に突入する必要はなくなってしまったのだけど――
◆
処刑屋は肩に刺さったナイフを抜き、床に放る。溢れた血が腕を伝ってポタポタと垂れているが、表情は変わらず暗然とした眼でマリオを見据えていた。
「……私の……ナイフの投げ方を、見ただけで真似したのか。すごいな」
「途中で曲がるやつだね。勉強になったよ」
「まるで曲芸師だな。聞いたことがある。……<サーカス>の"殺人人形"」
細い三日月のような目が、わずかに開く。
「<サーカス>は消滅したと聞いたが……生き残りがいたのか。それとも……君が、消したのかな?」
「……みんな、いい友達だよ」
2人が踏み込んだのはほぼ同時だった。
処刑屋は真っ向から剣を振り上げ、マリオは糸の束を引っ張り出して頭上に盾として構える。落下した刃は重く、糸を少しずつ千切っていくが――本命は、そこではなかった。
マリオは腹部に重たい衝撃を受ける。後ろに吹っ飛んで尻餅をつき、何度か咳き込む。
蹴りを受けたらしいと気づいた頃には、処刑屋は目の前に迫って剣を振り下ろしていた。避ける余裕もなく、無防備な腕を上げて刀身の行く末をただ目で追っている。
刃が身体に食い込み、血液を溢れさせた。
血を流したのは、マリオではなく処刑屋のほうだった。彼の背中には、床に落ちたナイフが刺さっている。
「な……っ」
処刑屋は崩れ落ちるように倒れ、マリオは平生の作り笑顔のままゆっくりと立ち上がる。
「ナイフか……投げたのか、その糸で……?」
「そうだよ」
地に伏した男の身体はすでに無数の糸が絡みつき、ぴくりとも動けなくなっている。彼が手放した剣を拾ったマリオは、袖を少しまくってブレスレット型の<伝水晶>を起動させた。
「やあ、エステル。ぼくは生きてるよ。……うん。そこにスレインもいるんだね? よかった、まだちょっと調べたいことがあるから、先に帰っててくれる?」
通信を切って、息も絶え絶えの処刑屋を見下ろす。
それから、奪った剣の薄汚れた刀身を軽く撫でた。
「これは、首を落とすことに特化した武器なんだね」
マリオは身を屈めると、動けない処刑屋の右手をしっかりと握る。
「これでぼくたちは友達だ。それで……ぼくが聞きたいこと、わかるよね?」
「……無駄だ。私は何も喋らない」
処刑人の剣が、男の上腕に叩き込まれた。
「――っぐぉ……!!」
「難しいな。ごめんねー、慣れてないから手間取っちゃうかも」
中途半端に食い込んだ刃に足を乗せ、ぐいぐいと押し込む。処刑屋は苦痛の呻き声を漏らすが、それ以外の言葉を吐こうとはしない。
「ものすごく痛いと思うけど……まあ、君も散々やってきたことだし。ぼくもほら、仕事だから」
どこにでもいそうな平凡な顔をした殺し屋は、自分の運命を悟ってか、すべてを諦めたような微笑を浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます