罪業

「――ッ!?」


 ヤーラは大きな手で口を塞がれたまま、軽々と持ち上げられる。背後に立っていた人影にはゼクもロゼールも見覚えがあった。


「テメッ、ジジイ!!」


 ゼクの眼が捉えたのは、先ほど顔面に一撃叩き込んで戦闘不能にしたはずの老神父――サムソンだった。鼻はひしゃげて歯は砕けているが、相当タフなようで小柄な少年を絞め殺すだけの力はまだ残っていそうだ。


「そこを一歩でも動いてみろ……この坊主は即死だ……」


 ヤーラはすでに苦しそうにじたじたともがいている。ゼクの剣が届く間合いではなく、人質がいるので下手に動くこともできない。


 ロゼールの魔術ならば打開できるかもしれないが、さっきまで喋る体力のあった彼女はぐったりと床に寝そべっている。二、三度咳き込む声に視線を傾ければ、口を押さえた手元に血が滲んでいた。


 もはや打つ手はない。

 ゼクは自分が助かろうとするならば、ヤーラを見捨てなければならない。どのみちサムソンはここにいる全員を殺すつもりなのだと考えれば、それが最も犠牲の少ない方法だった。


 だが、そんなことはできるわけがない。<ゼータ>は1人でも失えば、エステルがかろうじて繋ぎとめている何かが崩壊する。


 なぜ奴を仕留めなかったのか。ゼクは今更ながら後悔した。この男は殺し屋で、エステルを狙っている勢力の1人だ。殺す理由は十分にあったのに、見逃した。


 ギリ、と歯を食いしばるだけのゼクに、サムソンは小さなナイフを放った。


「そいつで自害しろ」


 武器にするにはあまりにも頼りないが、自らの首に突き立てる分には不足のない刃物。


 拾って投げるという選択肢もある。しかし、そこまでコントロールに自信はないし、サムソンがヤーラを盾にする可能性もある。ヤーラには、以前トビヤとのゲームで誤って矢を放った負い目もあった。


 大人しく拾って、刃の部分を自分に向ける。うまいこと死なないように刺して、反撃の隙を伺う――それしかない。


 手で口を塞がれたヤーラの言葉にならない呻き声が漏れる。ロゼールは荒い息遣いで力のない瞳だけを向けている。


「早くしろ」


「……チッ」


 舌打ちと長い吐息の後、ゆっくりと刃先を首元に当てた。


 ――が、ナイフが刺さるよりも先に、サムソンのほうが血のあぶくを吹いて棒のように倒れ込んだ。


 白目を剥いて倒れた老神父はビクビクと痙攣したあと、すぐに動かなくなる。

 腕から解放されたヤーラは、息を弾ませて顔色をすっかり失っている。


 その小さな右手には、空になった注射器が握りしめられていた。


 床に横たえられた巨体はぴくりとも動かず、誰が見ても死んでいるのは明らかだった。無残な死体を見下ろす気弱な少年は、震えながらぎりりと爪を噛んでいる。


「おい、ヤーラ……」


「……」


「おい!」


 ゼクが大声で肩を揺すると、ようやく我に返ったらしくビクッと爪を離す。


「あ……す、すみません……」


 ヤーラは慌ててロゼールに駆け寄り、傷口に手を触れて治療をしようとする。動揺したままで手元は覚束ないが、無事解毒は済んだらしく、ロゼールの容体は落ち着いたように見えた。


「っし、とっととこのカビ臭ぇ教会から出るぞ。めぼしいもんはあったか?」


 とにかく人を殺してしまったという事実から意識を逸らしてやろうと、ゼクは話を振る。

 ヤーラは黙って鞄から書類の束を出した。そこにはエステルの似顔絵と個人情報、報酬などが記されている。


「チッ、こんなふざけたことしやがった野郎の名前はなしか」


「たぶん、魔族です。さっきの……注射器、魔族が作ったものです」


 図らずも、その話を思い出させてしまった。「あんなものを……」と思い詰めたように呟いたヤーラは、再び親指の爪をガリガリと噛む。


「あれは……そもそも、俺が仕留め損ねたんだ。なんだ……悪かったな」


 ゼクのぎこちないフォローもあまり効果はなく、少年は暗澹とした表情のままだった。


「……私も、あの場にいた敵は全員殺したわよ」


 少し回復したらしいロゼールが、青白い顔のまま静かに言う。


「でも……そういう問題じゃないのよね、あなたは。罪の意識があるだけ、立派だと思うけれどね」


「だって、僕は……」


「そうね。私たちが何を言っても、どうにもならないわ……」


 ロゼールは初めから諦めているようで、気優しい少年の罪悪感は宙に浮いたまま彼に纏わりついて離れない。


 ――あいつがいりゃあな……。


 ゼクはこの場にいないリーダーのことを思い浮かべる。彼女はどんなことでも許して、受け入れて、安心させてくれる。特別なことは何もしていないのに、どんな人間でも救ってくれるような頼もしさがある。


 だったら早く戻るべきだ、とゼクは横になっているロゼールを今度は丁寧に抱き上げ、「帰るぞ」と一言声をかけて出口へ向かった。



 外に出てみれば、街は相変わらず騒がしかった。殺し屋もあれで全部ではあるまいし、懸賞金を巡って殺し屋同士で衝突したということも珍しくないらしい。

 敵も教会にいた連中だけではないだろう。少しでも情報を集めようと、ゼクは耳をそばだてる。


 飛び交う噂の中に、絶対に看過できないものが紛れているのを聞き逃さなかった。


 街中の殺し屋が、こぞって<勇者協会>に襲撃をかけている――そんな話だった。



  ◇



 支部の中はいつもより慌ただしく、ファースさんが集めてくれた勇者たちもピリピリと緊張感に満ちている。

 その異様な雰囲気に、魔族の報告をしに来てくれたお客さんも辟易としていた。


「あの……今日、ここで何かあるんですかね」


「いやぁ、最近物騒ですから……。お客様も、手続が済みましたらすぐにお帰りください」


 ファースさんが来客の応対もしてくれているお陰で業務は通常通りできているけれど、いつ誰が私を狙ってくるかわからない状況なのは間違いない。隣にいるスレインさんは、いつにもまして眼光を鋭く光らせている。


 唯一普段通り落ち着いているマリオさんが、のそのそと戻ってきて笑顔で手を振った。


「やあ、エステル。仕掛け終わったよー」


「ありがとうございます」


 念のためにと、マリオさんは建物の周囲に糸の罠を張ってくれたのだ。あとは私が大人しくどこかに隠れていればいいのだけど……。


「私、どこにいたほうがいいですかね?」


「一番大きい会議室にしよう。広いから戦いやすい」


「わかった。襲撃の際は私が――」


 一緒に会議室に向かおうとしたところで、マリオさんがスレインさんを引き止めた。


「君は入り口のほうを守っていてほしい」


「なぜだ」


 スレインさんは厳しい表情のままで、どこか不満そうでもあった。マリオさんは構わず続ける。


「君はエステルに気を取られて負傷することが多い。だから、敵の戦力を削るほうに集中したほうがいいと思う」


 確かにスレインさんは私のせいでよく怪我をしているイメージがある。当の本人も反論せず黙っていた。筋は通っているけれど……。


「あの、私がよく足引っ張っちゃってるからですよね。スレインさんが敵を抑えてくれれば、こっちも安心ですから……」


「いや、君のせいじゃ……。……そうだな。その通りだ」


 その言葉には自戒の気持ちも少し含まれているような気がした。スレインさんが傷つくのは、何より私が一番嫌だ。それをわかってくれているのだろう。


「どのみち、この建物には正面玄関からしか入れないようにしてあるし。ここを突破されない限り、侵入はほぼ不可能だよ」


「なら、虫一匹通さん」


 凛とした声で言い放ち、警備に当たってくれる勇者たちのところに向かっていく。

 私もマリオさんと会議室に赴き、待機することにした。


 だけど、敵は早々に、しかも大胆に仕掛けてきた。

 有名無名問わず、街中の殺し屋がこの支部に一斉に攻め込んできたのだ。

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