救済

 黒装束を纏った女――「マムシ」は礼拝堂の中を縦横無尽に飛び回りながら、砲弾のようなどす黒い水魔法を連射する。当たったら毒に侵されること必至のそれは、ロゼールに届く前にすべて氷となって床に散らされた。


 水と氷ならば、水を封じられる氷のほうが有利だ。しかし、敵は毒使いの暗殺者。何をしてくるかわからない怖さはある。

 それに、マムシは水圧を駆使して常に動き回っている。一瞬で凍らせるのは難しく、今のところ攻撃を防ぐので手いっぱいだった。


 まるで誰かさんみたいね――と、ロゼールは心の中で忌々しげに呟く。暗殺者という人種は、どうにもやりにくい。あまり姿を現さず、基本的に奇襲戦法を仕掛け、無駄な動きを嫌う。機械的で人間味がなくて、つまらない。


 ――まあ、あいつのほうが手強かったけれど。


 マムシの手が高い天井に突き上げられると、今度は細かい水滴が豪雨のように降り注いだ。数があればすべて凍らせるのは難しいと判断したのだろう。


 ならばとロゼールも守り方を変える。目の前に大きな傘のような形状の氷を素早く作り出して、毒の雨をすべて弾く。濁った水たまりが足元に広がっていく。


 攻め手を緩める気のないマムシは足元から水の柱を噴き上げて高く飛び上がった。空中で一回転した勢いで、蛇のような水流を何本も射出する。


 絡まった糸のような複雑な軌道を描きながら襲い掛かる毒水を、ロゼールは触れることなく一気に凍らせる。


 細長い氷が螺旋階段のように入り組んだまま広い空間に残された。マムシはその氷面を滑って一気に距離を詰める。

 ロゼールは彗星のように迫る敵を正面から待ち構えた。


 だが、攻撃が来たのは後ろからだった。


 床に散っていた水たまりが、高速でマムシのところに引き寄せられたのだ。矢のように鋭い毒水がロゼールの腕を小さく裂いていた。


「っ……!!」


 急いで傷口を凍らせるロゼールに、マムシは不敵な笑みを見せた。


「私の毒は強力だ。少量でも確実に身体を蝕み、死に至らせる」


 ねじれ曲がった不安定な足場から悠々と飛び降りた暗殺者は、ゆっくりと標的に歩み寄る。

 完全に姿を晒した隙だらけの相手を前に、ロゼールは何もできずに膝をついた。


「持って数十分から1時間といったところか。あの傷顔の男もついでに片付けねばな」


 背を向けて去ろうとする女を、はっきりとした声が捕まえる。


「詰めが甘いのねぇ。本当に殺し屋?」


 死にかけているとは思えないほどの、あざ笑うかのような挑発的な文句。青い顔で呼吸を荒くしているにもかかわらず、その表情は余裕に満ちていた。


「私の知っている殺し屋なら、最後まで油断せずに確実に仕留めるわよ。意識が低いんじゃないの?」


 遠回しに褒めているみたいで癪ではあったが、この毒使いは自分の仕事にプライドを持っているタイプだ。他者との比較はかなり効くはずで、装った無表情の下に怒りの色が見えた。


「そんなに死にたければ、すぐに――と言いたいところだが……そうやって冷静さを失わせる手なのだろう?」


 マムシは見下すような嘲笑を返し、あえてロゼールから距離を取る。自分を怒らせて近づかせ、何か仕込むつもりなのだろうと看破しているように。


 ロゼールは、その思考すらも読んでいた。


 入り組んだ氷の塊が一気に解凍し、毒水の雨を降らせる。ちょうど真下にいたマムシは、両腕で頭を庇う姿勢を取った。


「馬鹿め、自分の毒などとうに対策済みだ!」


「馬鹿はあなたよ。言ったでしょう、詰めが甘いって」


 たっぷりと浴びた水が、再び異様なスピードで凍りつく。身動きが取れなくなったマムシは、さらに肥大化していく氷に全身を捕らわれていき――薄く濁った巨大な十字架に両腕と下半身を封じられてしまった。


「なっ……!?」


「私の氷は100年は解けないわよ。……せっかく礼拝堂にいるんだもの、祈る時間をあげるわ。だけど、あなたは何人もの命を奪ってきた罪深い殺し屋……」


 修道服を纏ったロゼールはふらふらと立ち上がり、それらしく小さなロザリオを握りしめつつ手を合わせる。



「神はあなたを救うのかしら」



 冷たい透明の膜が、絶望に染まった顔を覆いつくした。


 人殺しの罪人を、神は天国に迎え入れるだろうか。

 清廉潔白な人間しか天国に行けないのなら、あの子以外は全員地獄行きね――と、ロゼールは心の中で皮肉った。


 視界がぼやけ、傍の長椅子に倒れ込むように身体を預ける。早くヤーラと合流して解毒してもらわなければならないが、足がうまく動かない。


「……何やってんだ、おい!?」


 目線だけ動かしてみれば、見慣れた傷だらけの顔がある。


「ええ、ちょっと……死にかけてるだけ」


「ばっ……かじゃねぇのか、ヘマしやがって!!」


 ゼクは罵倒しつつもロゼールのほうに駆け寄り、ぐったりと脱力したその身体を乱暴に肩に担ぎ上げた。


「ちょっ……!?」


「うるせぇ、文句言うな!! とっととあのガキ探すぞ!!」


 粗暴で雑な扱いにも、ロゼールはすでに抵抗する気力すら残っていなかった。



  ◆



 何かあるなら地下の納骨堂だ、というルゥルゥからの情報を頼りに、ヤーラは棺桶がびっちりと収納された不気味な場所に辿り着く。


 敵はゼクとロゼールが対応してくれているが、それでも警戒を緩めてはならない。もし敵に遭遇したら、薬品で煙幕を作って逃げればいい。


 万一、ここで正気を失くしてしまったら――そんな不安が過るが、すぐに首を振る。最近は例のホムンクルスが出てくることはない。大丈夫だ……。



 ひとまず、何かが隠されているならここしかないと無礼を承知で棺桶を開けてみる。死体が出てくるのが一番困るのだが、箱の中には大量の硬貨と紙束がぎっしり詰められていて、ひとまず安心した。


 書類には暗殺のターゲットや依頼主の情報がそのまま書かれており、この教会が「不可侵領域」と形容されるのも納得がいく不用心さだった。


 いくつか箱を調べていると、よく見知った似顔絵が出てくる。

 その下には「勇者協会西方支部長」といった個人情報とともに、並ではない金額が併記してあった。依頼主は不明のようで、この教会は金だけで動いたことになる。


 もう1つ気になったのが、書類と一緒にしまわれていた瓶や注射器だ。じっくり精査すると、魔族が悪用しようとしている「Q」と呼ばれる麻薬と成分が一致した。人間に注射したら死ぬような分量だ。


 他にも見たこともないような猛毒の薬品が並んでいる。ナオミという魔族が提供したものかもしれない。

 人間どころか魔物でも即死に至らしめるほどの劇薬で、作った人間の人格を疑ってしまう。


 やはり殺し屋を仕向けたのは魔族が関わっているのか――と思い至ったところで、胸のブローチ状の<伝水晶>が光を発した。


『おいヤーラ、今どこだ?』


「ゼクさんですか? 言われた通り、納骨堂にいます。どうしました?」


『ロゼールが毒で死にかけてやがる。すぐ行くから待っとけ!』


『だ、から、もっと静かに走ってよ……ああ、髪がぐしゃぐしゃ……』


『るせぇな、邪魔な髪なんざ切っちまえ!』


『この、デリカシー皆無男』


 毒にやられたとはいえ、不毛な言い合いをするだけの元気は残っているらしい。

 ヤーラは急いで見つけた証拠品を鞄に詰め込み、医療器具の準備をする。


 どかどかと太鼓を連打するような足音が近づいてくる。本当に大急ぎで来たようで、人一人抱えているとは思えないスピードだった。ヤーラの姿を見るやいなや、「おーい」と大声で呼びかける。


「大丈夫ですか!? とりあえずそこに寝かせて――」


 早く手当しなければと焦ったのがいけなかった。


 背後に迫っていた大きな人影にヤーラが気づいたのは、岩のような手にその小さな身体を宙に浮かされた後だった。

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