怪力乱神

 青みがかった黒のベールが、湿気を含んだ風に揺れる。暗色で統一された地味な衣装に身を包んでも、元々の器量の良さも相まってどこか荘厳な美しさが漂っている。


「一芝居、といってもそんな手の込んだことはしないわ」


 修道服を纏ったロゼールは、シスターらしからぬ妖艶な微笑を浮かべてゼクとヤーラを振り返る。


「相手の顔が見れればいいの。だからヤーラ君はいつも通り、しょんぼりした顔で後ろについていればいいわ」


「……僕、いつもそんな顔してますかね」


「ああ、大抵犬のクソ踏んだみてぇなツラしてるぜ」


「汚いなぁ……」


 ゼクはへらへらとヤーラの格好を眺める。今回はシスターに連れられた孤児という設定で、普段のぶかぶかのローブではなく、幼い子供サイズのボロボロの服を着せられている。


「こうして見ると、マジでチビだな。もっと食えよ」


「余計なお世話です」


「つーかなんでいつもあんなデケェ服着てんだ? 動きづれぇだろ」


「幼い子用の服を着るのはプライドが許さないから。そうでしょう?」


「…………」


 何も言い返せないヤーラに、ゼクはぶはっと噴き出した。


 まったく緊張感のない3人は、灰色の空に向かって高くそびえる教会の前に辿り着く。

 手筈通りにゼクは外に隠れて待機。ロゼールとヤーラは正面の大きな木製の扉の前に立つ。新築したばかりだという話だが、どこか不気味で淀んだ雰囲気を醸していた。


「ごめんください」


 中に入ったロゼールの第一声は、普段の悪女ぶりからは到底想像もつかないようなか細さで、深閑と静まり返った厳かな礼拝堂に溶けていった。


 ただ1人置物のように座っていた老神父が、ロゼールたちに気づいて緩慢な動作で立ち上がり、温和な笑みで迎えた。


「どうされましたかな」


「ああ、神父様……。私たちは訳あってこの街に流れ着いた者です。この子は私どもで預かっていた孤児ですが、行くあてがなくなってしまい……どうか彼をお願いできませんでしょうか」


 ロゼールの名演に老神父は疑念の1つも抱かず、哀れな修道女と少年に慈愛の眼差しを向けた。


「ええ、もちろんですとも……。このような場所ですが、神は憐れんでくださる」


 老神父はヤーラの華奢な肩にそっと皺ばんだ手を添える。

 来客に気づいたのか、他のシスターたちがぞろぞろ集まってきた。老神父が簡単に事情を説明すると、皆一様に哀れな2人に同情を寄せた。


 ここにいる全員は聖職者の典型を大きく外れず、いわばどこにでもある普通の教会のようだった。

 暗殺者の斡旋など眉唾ではないかと疑いかけていたヤーラだったが、隣に佇むロゼールの目がわずかに濁ったのを見逃さなかった。


「――ところで、神父様」


 その声音から、演技の色が消える。



「うちのエステルちゃんに下品な殺し屋どもを差し向けたの、どういう意図かしら」



 髪をかき上げた右手から、小さなロザリオがちらりと光る。腹芸一切なしの挑発に、時が凍り付いたように誰もが動きを止めた。


「……あら、全員黒だなんて」


 2人を囲む聖職者の格好をした暗殺者たちが、一斉に武器を構える。

 そんな展開も当然読んでいたロゼールは、腕を大きく一振りすると同時にその全員を氷に閉じ込めた。


「私の氷は100年は解けないわよ」


 戦場となりかけた礼拝堂は、すべての音が冷気に吸い込まれたように、一瞬で元の静けさに戻ってしまった。


 だが、敵がこれで全員だとは限らない。当初の予定通り、ヤーラは木製の長椅子に身を隠しながらその場を離れる。


 ガラスがぶち割れるような音が静寂を引き裂いた。新手かと振り返ったロゼールは、信じられない光景を目にする。


「そうか、お前たちが<ゼータ>とかいう勇者どもか」


 先ほどの温厚な調子は欠片もなく、地の底の悪魔のような低い声をじわりと浸透させていく。

 パラパラと氷の破片を埃のように払いながらゆっくりと近づいてくるのは、あの柔和な笑顔で出迎えた老神父だった。


 涼しい顔で構えながらも、ロゼールは内心穏やかではない。強固鉄壁が自慢の氷が、人間の腕力だけで破壊されてしまった。この男、見た目に反して尋常ではない膂力を持っている。


 "怪力乱神"サムソン――ルゥルゥから聞いた、人間離れした筋力を誇る殺し屋。


「ガラス細工みたいな氷魔法しか芸がないわけではあるまい」


 サムソンは長椅子の1つを蹴り上げると、中に隠していた巨大な十字架を軽々と持ち上げる。あんなもので殴られたら、身体の一部が消し飛んでしまいそうだ。


「なら神父様、もっと面白いものをお見せいたしますわ」


「ほう、何かね」


 雷鳴と聞き違えるほどの轟音とともに、教会のステンドグラスが粉砕される。

 割れ目から突き出た大剣が引っ込むと、外から大男がどしんと飛び込んでくる。


「始まってんならさっさと呼べや、クソババア」


「呼ぶまで待ってるなんて、随分お利口さんになったのねぇ」


 舌打ちをしながらも、ゼクの赤い眼は長身の老神父を睨みつける。サムソンは黙って大型の十字架を槌のように構えた。


 巨大な鉄板のような剣と、人の背丈ほどもある太い直方体の塊が大きく弧を描いてぶつかり合う。

 隕石が激突するような音がびりびりと空気を裂き、こぼれた武器の破片が弾丸のように壁や床を抉る。


 ゼクとサムソンの力は、今のところ互角だった。力と力の真っ向勝負の均衡を崩したのは、両者のどちらでもなかった。


 サムソンの足が、硬い氷に封じられる。わずかによろけたその隙に、ゼクは渾身の一撃を叩きこんだ。


「オラァ!!」


 その凄まじい衝撃は十字架を伝って全身に達する。冷たい足枷はべりべりと剥がれ、サムソンの老体は砲弾のように吹き飛ばされて教会の壁を突き破った。


 ゼクが油断することなく外へ追い打ちをかけに行こうとしたところで、背後から甲高い警告が飛んできた。


「待って!!」


 足を止めたゼクの頭上から、泥のような液体が降ってくる。それは瞬く間に氷となり、床にガチンと落下した。


「無粋な横槍はお互い様ってことかしら?」


 ロゼールは柱の狭い突起に立っていた人物を見上げる。

 こちらもルゥルゥからの情報にあった、水魔法に毒を混ぜるという風変りなスタイルを取る魔術師――毒使いの「マムシ」。黒装束に身を包んでいるが、どうやら女のようだ。


 何も言わずにゼクは外へ、ロゼールは柱の上の毒使いに狙いを定めた。



  ◆



 分厚い壁を突き破ったサムソンは、さしてダメージもなさそうにゆっくりと立ち上がる。破れた服の隙間から、老いた見た目では想像もつかないほどの鍛え上げられた肉体が見える。


「ジジイの割には頑丈じゃねぇか」


「お前も若い割に相当鍛えているな」


 本当はテメェより遥かに年上だけどな、とゼクは心の中で吐き捨てる。


 再び剣と十字架がめいっぱいの力で衝突し合い、そのまま力比べの押し合いとなる。

 だんだんと姿勢をのけぞらせていたサムソンだったが、その長い足でゼクの踵を引っかけてバランスを崩させた。


「うお!?」


 仰向けに転ばされたゼクに向かって、大きな十字架の先端が落石のように降ってくる。反射的に剣でガードしたものの、その衝撃に腕の骨が軋む。サムソンは容赦なく重たい十字架を何度も何度も叩きつけ、そのたびに鐘楼のような音を響かせた。


 防戦一方のゼクはといえば、度重なる熾烈な攻撃を受けて――苛立っていた。

 なんで俺がこんなジジイにバカスカ殴られなきゃいけねぇんだ? そう考えると、腹が立ってくる。


 十字架の短い突起が顔面に向かって飛んでくる。ゼクは剣を手放して素手で受け止めた。

 ぐぐぐっと握力を込めて、鉛のように重量のある塊にヒビを入れる。武器を掴まれたサムソンはわずかに動揺したものの、それを奪い返そうと一層力を入れる。


「ぬおお……おらあああああぁぁぁ!!」


 ゼクはその筋骨隆々の老神父の身体ごと、まとめて十字架をぶん回した。


 半円を描いて地面に叩きつけられたサムソンは、自慢の武器を手放してしまう。

 起き上がったゼクは横たわった老体に近寄り、片手に持った十字架を思いきり振り上げ――容赦なく、顔面に叩きこんだ。


 鼻は陥没し、歯は砕け、潰れた蛙のような悲鳴が上がる。飛び散った血液が十字架にこびりつき、雫が地面を湿らせる。


 頭部を跡形もなく砕いてやろうか――そう思ったところで、ゼクは手を止めた。相手は人間で、魔族ではない。エステルを狙った憎むべき相手ではあるが、奴は殺し屋。誰かに依頼されてやったことだ。


「……二度とツラ見せんじゃねぇぞ、ジジイ」


 舌打ちとともにそう吐き捨てて、ゼクは教会の中に戻っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る