ギャングの方針

 その日の狐は、妙な倦怠感と頭重感とともに目を覚ました。

 何かとてつもなく恐ろしい目に遭った気分だが、昨晩の記憶は一切なく、悪夢を見たのだろうと適当な理屈をつけた。


 廊下でばったり出くわしたファースは、顔を合わせて早々苦言を呈してくる。


「お前……あとでソルヴェイさんに謝って来いよ。酔い潰れてその辺で寝てたところを、介抱してくれたみたいなんだから」


「マジっすか? 全然覚えてねぇや……」


 実際、狐には酒を飲んだところから覚えがなく、昨日の記憶がかなり曖昧だった。ファースが偶然魔人と出会って大騒ぎしていたような気はするが、何か大事なことを忘れている気がする。


 あまり深く考えないようにしていたが、謝れと言われた当のソルヴェイの姿を視認した瞬間、今朝の謎の恐怖が蘇った。


「おはようございます、ソルヴェイさん。ほら、狐」


「えっ!? あ、いや、えっと、その……す、すみません、でした」


「あー……? わかんねぇ」


 ファースに促されて無駄に甲斐甲斐しく頭を下げた狐だが、ソルヴェイは普段通りぼんやりと返答してその場を後にした。


「お前、昨日ソルヴェイさんを口説くとかなんとか言ってなかったか?」


「そ、そんな恐ろしいこと言いましたっけ!? む、む、む、無理っすよ、あんな……」


「ソルヴェイさんはいい人だよ」


 そう穏やかに言い添えたファースは、やたらと上機嫌に仕事に向かっていった。



 やることのない狐はなんとなく居心地が悪くなり、雨が降りそうな曇天の中を適当にぶらつくことにしたのだが――街は殺し屋の話で持ち切りで、どことなく落ち着かない雰囲気だった。


 どっかで軽く飯でも――と思っていたところで、今一番見たくない顔を見つけてしまい慌てて踵を返す。



「どこに行かれるのです」



 低い声が背後から飛んできて、ビクッと毛が逆立つ。恐る恐る振り返ると、四角い眼鏡越しに自分の顔を真っすぐ見つめるきりりとした目があった。


「いっ……今話しかけんなよぉ。ばれたらどーすんだ」


「この辺りに人の気配はありません。あなたもわかっているでしょう、若」


「……その呼び方やめろよ、青犬」


 観念した狐はそわそわと辺りを見回し、もう少し人通りの少なそうなところへそろそろと歩いていく。青犬も黙ってその後ろについて行った。


「で……な、なんか用?」


「近況をお聞きしたく。いけませんか」


「どうもこうも……ドクは見つからねぇし、手がかりは魔族が持ってっちゃったし……。キングとジャックはたぶん魔族の仕業で確定でいんじゃね? あとは知んねー」


「ドクターが魔族と組んでいるという線はありえますか」


「うーん……ない気がするなぁ」


「では……あの方のご意向でもあった、<勇者協会>を手中に収めるという件は」


「いっ!? いやいやいや無理無理無理!! エステルちゃんたちに逆らったらマジで殺されるって!! お前もわかんだろ!? 実務はファースの旦那が仕切ってるし、俺は大人しく従ってるだけだよ……」


「協力体制で行くということですね。俺もそれが賢明だと思います。ただ、兄貴がまたちょっかいかけなきゃいいんですが」


「赤犬は誰が何言っても聞きやしねぇだろ……。とにかく俺のやれることはないよ。元々潜入っていうより逃亡目的みたいなとこあるし……」


 <ウェスタン・ギャング>はキングやジャックをはじめとする「最果ての街」土着のギャングたちの派閥と、エースや赤犬・青犬などの獣人による傭兵出身者の派閥に分かれていた。


 だが、キングたちが殺されたことを獣人たちの派閥による暗殺ととらえる構成員も少なからずおり、狐は調査という名目で<勇者協会>に身を隠すことにしたのだ。


「共同歩調、ってのはわかりましたが……今は協会に戻らねぇほうがいいですよ」


「え、なんで?」


「どこの誰か知りませんが――そっちの支部長に懸賞金をかけた奴がいるみたいです。街中の殺し屋が血眼になってあのお嬢ちゃんを探し回ってますぜ」


 狐は一気に血の気が引く。殺し屋も怖いが、それよりもこの街に不釣り合いなあの優しい少女の顔が思い浮かび、いてもたってもいられなくなった。


「たっ……大変だっ!! 早く伝えなきゃ……!!」


 自分を気遣う青犬をほっぽって、狐はどこかへ走り去ってしまう。



 1人残された青犬は苦笑交じりに嘆息しつつ、煙草をくわえて火をつけた。

 支部長のお嬢ちゃんを狙う奴らなんて、あのおっかねぇ連中が黙っちゃいねぇでしょう――と、言い損ねた言葉を頭の中で呟く。


「……ま、俺はあんたのそういうところが気に入ってるんですがね」


 ゆらりと漂う細い煙は、曇天の中に溶けていった。



  ◇



「ぶっちゃけ、殺し屋の見本市ッスよ」


 小さな会議室の真ん中を陣取っている彼女は、どこか他人事のように――いや、実際他人事なのだが――さらりと呟く。

 対照的に、私の仲間たち5人は怖いくらいに真摯な面持ちで、ファースさんと狐さんは揃って青い顔で怯えている。


 狐さんから私に懸賞金がかけられているという警告を受け、急いで支部に戻った私たちは、ここの責任者でもあるファースさんも交えて対策を話し合うことにした。


 するとどこから噂を聞きつけたのか、<サラーム商会>のルゥルゥさんが今動いている殺し屋についての情報を教えに来てくれたのだ。……もちろん、有料だけど。


「まず"怪力乱神"サムソン、毒使いの"マムシ"、"カマイタチ"、"吸血鬼"、それから"処刑屋"。有名どころだけでこんなもんッス」


「うひゃぁ……ヤベェのばっかりじゃねーか……」


 毛を逆立てている狐さんの様子を見るに、手練れの人たちばかりのようだ。


「刺客どもは全員退けるとして」


 スレインさんが臆面もなくさらりと頼もしいことを言ってくれる。


「その出所を叩かないと、後から後から敵が湧いてくるだけだ。懸賞金とやらを出しているのは、どこの輩だ?」


「まだ確証はないッスけど……こんだけ有名人を集められるなら、『教会』がクサイと思うんスよね~」


「教会って、あの……?」


「神様にお祈りする方々の集まる尊~い場所ッス」


 私の疑問に、ルゥルゥさんはやや皮肉交じりに答える。


「なんて、この街じゃ宗教施設イコール不可侵領域、みたいなとこあって。金と人と権力が集まって、今じゃ一大殺し屋斡旋所みたいになってるッス」


 故郷の村にあった教会では、優しそうな神父のお爺さんがいろいろなお話をしてくれてたけど……所変われば、なんだなぁ……。


「なら、俺が全部叩き潰してきてやる」


「待て、ゼク。その『教会』の全員が敵だとは限らない」


「確かに、表向きは普通の教会ッスからね。礼拝もするし、貧乏人に施しもするし、子供も保護するし……内情はぶっちゃけ謎ッス」


 ルゥルゥさんの話を聞いて、スレインさんはある人に視線を移す。


「あら。私にこの特大幼児のお守りをしろって言うの?」


「シッター代は割増しておこう」


「テメェらぶっ飛ばすぞ」


 ゼクさんの怒りを軽く流したロゼールさんは、別の1人を横目で示した。


「だったら、ヤーラ君をご指名していいかしら」


「……僕、ですか」


「軽く一芝居打とうと思って」


 ロゼールさんは目を細めて意味ありげに笑う。なんとなく、スレインさんが何か企んでるときの顔に似ているな、なんて思ったら失礼だろうか。


「教会のほうは3人に任せるとして……私とマリオはここに残ってエステルの護衛だ。だが、この支部も安全とは言えないな」


「あ……じゃあ、ボクがここの勇者さんたちに声をかけておきます。聞いてくれるかはわかりませんが……」


 びくびくと震えていたファースさんだけど、ちゃんと動いてくれるところが頼もしい。


「お、俺も誰か声かけてみるかな……」


「狐。お前にそんな知り合いがいたのか?」


「えーと……ま、まあ誰かしら」


 失礼だけど、狐さんにはあんまり期待しないでおこう。


「そんじゃ、お話もある程度まとまったところで! 『最果ての街』殺し屋徹底解剖のコーナー行くッスよ~!」


 唯一陽気なルゥルゥさんが、なぜか妙に明るいテンションでこの街の恐ろしい人たちについて詳細に説明し始めた。

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