デッドヒート

 さっきまでずらりと並んでいた物騒な仕掛けは地面に吸い込まれるように消えてしまい、代わりに広い長方形の台のようなものが出現した。


「そこの仕切りの台から落ちたほうが負けってことにしよう。本当に殺し合いになっちゃあ君たちが不利すぎるし、仲間同士じゃ気が引けるだろう……と思ったんだけど、そうでもないのかな?」


 トビヤは眉尻を下げて小さく笑いながら、静かに火花を散らす2人を見下ろした。


 ロゼールさんは悠然と伸びをしているが、その碧眼にはなぜか戦意が漲っているし、マリオさんもゆっくりと準備体操をしながらも、その切れ長の目はしっかりと対戦相手を見据えている。お互い、手を抜く気はないみたい……。


「今なら、賭けの内容を変更してもいいぜ」


「いえ、そのままでいいです」


 トビヤは親切心から申し出たのかもしれないが、私は自分の意志を変えるつもりはなかった。

 普通に考えれば、圧倒的に確率の低い賭け。それでもあの2人なら、私が何を考えているかわかってくれているはずだ。そんな思いに呼応するかのように、2人はお互いに小さく頷き合った。


 ――わかってるわよね?


 ――もちろんさ。


 そんな確認をし合っているように見えた。



「んじゃあ、ぼちぼち始めるかい」


 トビヤは気のない合図を出すが、2人にはそんなので十分だったらしい。


 長方形の戦場が、あっという間に起伏の激しい氷山で埋め尽くされた。


 地面が見えるのは魔術を放ったロゼールさんの半径数メートル以内で、それ以外は剣山のような氷で覆われている。あんなのに閉じ込められたら、身動き1つ取れなくなってしまう。


 だが、マリオさんは違う。峻険な岩山のような難所を糸を使って軽々と飛び回り、信じられないスピードでロゼールさんに接近していた。


 しかし、ロゼールさんはそこまで読んでいたらしい。慌てる素振りは一切なく、すっと上から飛び込んでくるマリオさんのほうに手をかざすと、左の手首と足首をピンポイントで凍らせた。あれは、糸の魔道具がある位置だ。


「ああ、誘導されてたのか」


 武器を封じられたにもかかわらず、マリオさんはどこに足をかけているのかわからないほど狭い足場に立って、ぼんやりと呟いた。あの氷でできた地形はめちゃくちゃに造られたように見えるが、マリオさんがどこを通ってくるか計算されていたようだ。私にはもう理解が追いつかない。


「――っ!?」


 とんでもない読みと技術を見せたロゼールさんだが、急にその身体が何かに引っ張られるようにして浮き上がる。腰や腕のあたりに食い込んでいるものは、間違いなくマリオさんの糸だった。魔道具は凍らされたはずなのに。


「……そうね。あの糸巻、同じところに装着してるとは限らないものね」


 マリオさんがいつも左手首につけている糸巻は間違いなく氷漬けになっている。それともう1つ小型のものを作ってもらって、足首に仕込んでいたみたいだったが――その小さいほうを、今は右手首に隠していたのだ。


 ロゼールさんは鋭利なナイフのような形の氷を生成して、さっさと糸を切断して着地する。


 そんなわずかな隙でも、マリオさんにとっては十分だった。

 はっとロゼールさんが顔を上げる頃には、彼はそびえ立つ氷山の中に姿を消していた。


 この地形はもはや格好の隠れ場所だ。見晴らしをよくするため、ロゼールさんは惜しげもなく広がる氷を一瞬にして消し去った。


 背後から来るだろうと踏んでか、彼女は素早く振り返る。

 が、マリオさんの姿はどこにもない。客席にいる私にもすぐには見つけられなかった。


 正解は、天井だ。


 まるで蜘蛛のように1本の糸に吊られて、ロゼールさんの頭上から気配なく迫っていた。


 気づいて上を見上げる頃には、背後から長い腕が首元に回り込んで身体の自由を奪う。殺し屋の眼は淡々と彼女の命に照準を合わせている。


「ッ……触らないでよ!!」


 苛立たしげな高い声を上げて、ロゼールさんは自分に絡みつく腕を薄い氷の膜で覆っていく。素早く離れるマリオさんに、身を翻して怒りのこもった眼差しを向けてぐっと手を伸ばす。


 今度こそ武器を封じられると思ったのか、マリオさんは右手を庇うように身構えるが――魔術が放たれたのは、彼の足元だった。


 綺麗な円柱型の氷塊がすさまじい勢いで斜めに突き出し、その長身をカタパルトのように吹っ飛ばしたのだ。大きな放物線を描いた先の着地点は、間違いなく場外だ。


 しかし、吹っ飛んだのはマリオさんだけではない。ロゼールさんの身体も連動するかのように空中に飛ばされている。背後を取ったとき、抜かりなく糸を絡ませていたのだろう。


 ぐいっと腕を引けば、2人の距離は一気に縮まる。糸はそのままロゼールさんのほうを先に地面に放り投げようとするが、黙って落ちる彼女ではない。通り過ぎざまに、振り上げた手の上から岩のような氷の塊を出現させると、それを思いっきり投げつけたのだ。


 先に落ちるのは、糸に引っ張られたロゼールさんか、氷に叩きつけられたマリオさんか――



 どしゃっ、と地面に何かが激突する音で勝負が決まった。



「……マジかよ」


 食い入るように2人の熾烈な戦いを見ていたトビヤは短い感想を漏らし、ひと呼吸置いてから結果を告げた。


「場外に落ちたのはほぼ同時。引き分け……だな」


「じゃあ、私の勝ちですね」


「ああ。……信じらんねぇ」


 そう。私はこの勝負、「引き分け」に賭けた。ロゼールさんとマリオさんのどっちが勝つかなんて、選べなかった。2人とも同じくらい強いし、同じくらい好きだから。


 私が引き分けを選んだのも2人にはわかっていたはずだ。だから、そうなるように調整して戦っていたと思うんだけど――端から見れば本気で互角の勝負をしているようにしか見えなかった。本当に、すごい。


「なんだ、せっかく応援してやったのに」


「ちゃんと仕留めろよ、糸目野郎!」


 スレインさんとゼクさんがわざとらしくヤジを飛ばす。ロゼールさんとマリオさんが私のために引き分けに持ち込んだのはみんなわかってるのだろうけれど……なんてちょっと和んでいたら、今回の功労者2人が同時にキッと睨み合った。


「どうせあなた、私の背後を取った時点で本当は自分が勝っていたとか思ってるんでしょう?」


「君はぼくの武器じゃなくて、全身を凍らせておけば勝算はあったと考えてるかもしれないね」


「あんなの回避できたって? そもそも私に糸を絡めたときに殺せたとか言うつもりなんでしょう」


「その前に氷で自分の身体を保護すれば、ぼくの糸の攻撃は無効だって主張するなら――」


「……もう、いいじゃないですか。エステルさんが勝てたんですから」


 恒例の「お互いの言い分を言い合う喧嘩」は、少し顔色が良くなったヤーラ君の正論ですぐに終わりを迎えた。


「ははは、仲がいいんだねぇ」


 あと1敗すれば命を落とすことになるトビヤは、のん気にもみんなのやり取りを見て笑っている。恐怖心というものがないのか、それとも――


「おい」


 挑発的な低い声が飛んでくる。その主は、まだ指名されてもいないのにゆっくりとフィールドに上がっていた。


「そろそろ俺の出番だろ。テメェに引導渡してやっから覚悟しやがれ」


「やる気満々だねぇ。面白い」


 まったく違う種類の笑顔を向け合う2人を前に、私はこれが最後のゲームになることを願っていた。

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