一番手
おそらく手紙の差出人であろう魔人――トビヤは、廃教会の中に現れた闘技場のような空間に戸惑う私たちをよそに、1枚のコインを取り出す。それを親指で弾きあげ、ぱしっと両手に包んで私たちの前に差し出した。
「表」
マリオさんが即答する。トビヤがコインを覆う手をゆっくり離せば、答えた通り表を向いていた。
「お見事。でも、君はそのとんでもない動体視力で言い当ててたな。俺はもっとこう、勝負勘みたいなのを働かせてほしかったんだけど……」
「勘もクソもあるか。とっととテメェを叩っ斬らせろ」
ゼクさんが背中の大剣に手をかけると、トビヤは呆れたように笑って手のひらを突き出す。
「落ち着きなよ。ここは俺が生み出した、俺だけの闘技場だ。ルールを守って公平に、ゲームをやらせてもらうよ」
パチン、と紺色の指が高鳴れば、私の首に冷たく硬い何かの装置が巻き付いた。
「!?」
「広場の負け犬どもは見てくれただろう? ゲームに負けるか、不正行為を働けば――そいつから鋭い刃が飛び出て、綺麗に首と胴がお別れするってわけ」
「テメェ!!」
「そうカッカするなって、ヨアシュの兄貴君。もちろん俺も条件は同じさ。俺はあの人間どもみたいにイカサマやズルはしないから、安心してくれ。要は、君たちは勝てばいい。そうすればここから出られるし、俺も殺せる」
トビヤはさわやかな笑顔で、自分の首にもついた装置をこつこつ指で叩いている。当たり前のように自分の命を危険に晒す彼は、やっぱりどこか普通の感性とずれている。
この空間が彼の意のままに動くのだとしたら、ここは勝負を受けるしか選択肢がない。
「やります」
私の決意表明に、トビヤは満面の笑顔になった。
「いいね! そうこなくっちゃ! いい顔だ、勝負師のそれだよ」
彼はご満悦のまま、私だけを見晴らしの良い特等席のような場所に案内してくれる。
「ルールは簡単。俺が用意したゲームを5つ、君たちのうち誰かにやってもらう。先に3勝したほうが勝ち。もちろん俺に有利になるような細工なんて一切してないし、逆に君らがルール違反をしたら、その時点で負けだ。面白いだろ?」
負けたらどちらかが死ぬ。そんな状況なのに、トビヤは子供みたいにはしゃいでいる。
「どうかしてるわ……」
ロゼールさんがぽつりと呟く。彼女にそこまで言わせるなんて相当なものだ。
「それじゃ、最初のゲームに参加してもらう人を指名するよ。まずは――君だ」
魔人の指先を向けられた彼は、噛んでいた爪をぱっと離した。
「僕……ですか」
「そう緊張することはないさ。2回までなら負けてもいいんだぜ。気楽に行こう」
トビヤは年の離れた弟を励ますように声をかけるが、ヤーラ君は逆に少し険のある顔で睨み返した。
「そういう手には乗りませんよ」
「はははっ! フツーに元気づけたつもりだったんだけどなぁ。まあいいや、さっそくやろうか。坊や以外はそっちの席に引っ込んでてくれ」
トビヤがまたパチッと指を鳴らすと、小柄な少年が1人残された広いフィールドに、小さなテーブルのようなものが出現する。その上は大きな箱が被せられていて、中に何があるかはわからない。
「その箱の中には、液体が入ったコップが5つある。うち2つは毒入りだ。そこから2つ選んで、吐かずにきっちり飲み干せれば君の勝ち。ただし――君は錬金術師だったな。飲む前に中身を変えるのはルール違反だ」
聞いた限りでは、こちらに有利なルールのような気がした。優秀な錬金術師のヤーラ君なら、飲む前に中身がわかっちゃうんじゃないだろうか。
箱は自動的に開き、中から等間隔に配置されたガラスのコップが姿を現す。
さっそくヤーラ君はそれらの中身をじっくり吟味し始める。はっと何かに気づいたかと思うと、その表情がどんどん曇っていく。
「っ……こんな――!!」
「2つ、吐かずに飲み干せば君の勝ちだ」
抗議の声を遮って、トビヤが余裕たっぷりの笑顔で念を押す。
そこで絡繰りに気づいたスレインさんが、独り言のように低く呟いた。
「……毒の入っていないほうが普通に飲める代物だとは限らない、ということか」
よく見れば、コップに入った液体は透明のものもあれば、おどろおどろしいまでに変色したものまで様々だ。嫌な色のほうが「当たり」なのだとしても、全部飲まなければ勝利条件を満たせない。
ヤーラ君は顔を強張らせたまま、じっと5つのコップに視線を集中させている。少し考え事をしたあと、トビヤのほうに顔を向けた。
「質問があります」
「なんだい?」
「飲む前に錬金術を使うのは禁止と言っていましたが――飲んだ後なら、構いませんか」
トビヤの目がきょとんと丸くなる。すぐに質問の意図を察したようで、くくくっと楽しげに肩を震わせた。
「ああ、もちろん。それならルール違反にはならない。だが、君が死んでも負けだよ」
「わかってます」
私も何をしようとしているのかがわかってきて、心配が顔に出ていたんだろう。ヤーラ君は私に気づくと、緊張していた顔を優しく緩めた。
「大丈夫ですよ。心配しないでください」
「うん……頑張って」
そんな短い言葉だけで彼は満足してくれたみたいで、再びテーブルのほうに向き直る。その表情は真剣そのものだが、変な硬さは抜けたように見える。ものすごい集中力。まばたき1つしない真摯な眼差しに、こんなにたくましい子だったっけ、なんてひどく場違いなことを考えてしまう。
最初に選ばれたのは、透明な水のようなものが入ったコップだ。一見すると無害だが、このゲームの性質を考えれば、わかりやすく「はずれ」だった。
重たく静まり返った空間に、やけに長い呼吸の音だけが微かに聞こえた。
そっとコップに口をつける。そこからはあっという間だった。中身を一気に飲み干すと、容器が割れるほど思いっきり床に投げつけて、顔を歪めて胸をぎゅっと押さえたまま床に蹲った。
「ぐっ……う……っ!!」
言葉にならない苦痛の呻き声が漏れる。血走った少年の目は必死に毒に抗っている。その小さな身体に魔法陣が出現すると、力が抜けたようにその場に四つん這いになった。
「はぁ……はぁ……!!」
「……お見事。1つ目、クリアだ」
トビヤが淡々と結果を告げる。ヤーラ君はすでに相当疲れているように見えるが、ふらふらになりながらも立ち上がった。
ここからもう1杯――おそらく毒を、選ばなければならない。ぎゅっと握った手に汗がにじむ。死んでしまうんじゃないか、なんて恐怖はなるべく遠ざけて、今はただただ信じるしかない。大丈夫、やれるよ。
次に選んだのはジュースみたいな黄色い液体のコップだった。小刻みに揺れる水面を見下ろす顔が、さっきよりも躊躇しているように映って、効き目はこちらのほうが強いのかもしれないと不安が過った。
もう周りのことなど意識に入っていないのだろう。小声でぶつぶつと何かを呟いている。私にはよくわからない物質の名前や計算式のようで、最後に「よし」と決意する言葉だけが聞き取れた。
潔く、一気に毒杯をあおる。
ガシャンとグラスが割れた。投げたのではなく、手から滑り落ちたみたいだった。ばったりと小さな身体が地面に突っ伏したのが見えて、たまらず立ち上がってしまった。全身をぶるぶる震わせているから、生きてはいる。だけど。
青白い顔はさらに色を失っていて、滴り落ちるほどの脂汗がにじんでいる。左手は苦痛のあまり地面を抉っているが、右手は決して吐くまいと口元を押さえつけている。苦渋に満ちた表情は、魔法陣が出ても変わらない。
それでも、彼は立ち上がった。
絶対に立ってなんかいられないはずだ、と見ている誰もがわかるほどだった。足はガクガクで、かろうじてテーブルに手をついて姿勢を保っている。鬼気迫った眼差しは、真っすぐに自分に試練を与えた魔人に向けられていた。
「君の勝ちだ。おめでとう」
それを聞いて安心したのか、毒に侵された華奢な少年は一気に全身の力が抜けたように崩れ落ちる。
「ヤーラ君!!」
もう1秒も辛抱できない私は考えるより先に飛び出していて、息も絶え絶えの彼のもとに駆け寄った。
「大丈夫!? ごめんね、無理させちゃって……」
「い……いえ……――ッ!!」
起き上がろうとしたところで急にえずき始めたかと思うと、堰を切ったように嘔吐した。私は服が汚れるのも厭わず背中をさすってあげたけれど、血の混じった吐瀉物は止まらない。
「いやほんと、脱帽だよ。ここまでやってくれると思わなかった。あえて毒を飲んですぐに解毒する、なんて攻略法をとったのは君が初めてだ。尊敬するよ」
トビヤは穏やかな調子で賞賛する。敗北した彼はそのぶん自らの死に一歩近づいたことになるが、そんなことは微塵も気にしていないふうだった。
「それじゃ、次のゲームに行こうか」
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