#21 ギャンブル・ロワイヤル

招待状

 親指で弾かれたコインがくるくると回転しながら真上に飛び、重力に従って下降するとパシッと紺色の手に捕らえられる。

 穏やかな笑顔の青年は、コインを閉じ込めた両手を三つ編みのお下げの女の前にそっと突き出す。


「う~~~ん……どっちでしょう。表か裏か……そんなの決められないですよぉ。だって、表も裏も確率的には50%ずつじゃないですかぁ」


「そりゃあそうだよ。こういうのは勘とか好みでいいんだ」


「そういうトビヤさんは10回のうち8回も当ててるくせにぃ……」


「俺の勘と好みがこいつと一致したのさ」


 お下げの女――ナオミは、コインが挟まれた手を細目でじーっと見つめながら、ああでもないこうでもないと唸っている。悩みに悩んだ末に彼女は自分の上司に当たる、安楽椅子でゆったり寛ぐ少年に縋るような視線を送った。


「うぅ~~。ヨアシュ様は、どっちだと思いますかぁ?」


「僕は不確実なことは言わない主義なんだ」


「そんなぁ~~」


 ほとんど涙目でテーブルに突っ伏すナオミに、トビヤは眉を下げながら笑う。


「じゃ、俺が決めちゃうよ。裏だな。うん、裏」


 蓋を開ければ本当にコインは裏向きで、ナオミは今度はのけぞるほど驚いている。


「ほんとだっ! な、なんで? ずるしてませんよねぇ?」


「しないよ。俺はイカサマは嫌いなんだ。人間どもと違ってな」


「そういえばトビヤ、人間を使って<ゼータ>を攻める作戦はどうだったの?」


「俺の勝ちだよ。つまり、お前の兄貴たちはまだ生きてる」


 ナオミは話が呑み込めずに小首を傾げるばかりで、察したトビヤがまた垂れた目を細める。


「人間を雇って賭けをしたんだ。ちょっと金出してやったら、すぐ食いついたよ。内容はシンプルに、<ゼータ>に勝ったらあいつらの勝ち、そうでなければ負け。賭け金は、いつも通りお互いの命さ」


「えーっ!? 死んじゃったらどうするんですかぁ!?」


「それも運命だよ。やっぱその辺の人間じゃダメだったな。あの<ゼータ>となら――命懸けの、脳味噌のシビレるギャンブルができそうなんだよなぁ。そのためなら別に死んだって構わないさ」


 くくくっと嬉しそうに笑うトビヤに、ヨアシュは静かに漆黒の眼差しを向ける。彼は決して命を軽んじているわけではない。命は重い。重いからこそ賭けたくなる。そういう性分なのだ。


「……そういえば、あのヒーロー君はどうした? 最近見ないな」


「あ、ヘロデさんならこないだ殺しちゃいましたけど」


「へぇ……まあ、それも運命か」


 あっけらかんと殺人の告白をしたナオミは、検体の人間がいくら死んでも気にしていないことも踏まえると、生命に関してどういう価値観を持っているのかはわかりにくい。気弱そうに振舞っているが、本性はかなり冷酷な女なのではないかとヨアシュは考えている。


 ナオミもトビヤも、雨の降らない世界が生み出した歪な人間だ。そんな2人を観察して楽しんでいるヨアシュ自身も、例外ではない。



  ◇



 街の広場から首を切断された惨殺体が見つかった、その日。

 借金の返済も問題はなく、なんならお金は少し余るくらいだったとか、青犬さんからもう騒ぎを起こすなと念押しされたとか、そんな報告も上の空で聞いていた。


 だけど、私宛に差出人不明の手紙が届いているという話は、なぜかはっきりとした輪郭をもって私の意識に届いていた。


 凄惨な死体を見たショックを無理やり振り払って、支部長室で仲間たちと一緒にその手紙を確かめることにした。念のためにと、スレインさんが封を切ってくれて。


 中から出てきた少し古びた紙には、綺麗というわけではないが丁寧に書かれた字が整列している――が、内容を読めばやはりというか、私たちに好意的な人物からのものではなかった。


 名前を偽って視察に来たあのおばさん、カジノで勝負を仕掛けたらしい女性、地下闘技場のオーナー。

 広場で殺されていた3人は、私たちをうまく陥れれば勝利するというゲームをしていたらしい。その敗北の代償が死だった、ということだ。


 その恐ろしいゲームを主催した――おそらくヨアシュの下についている魔人は、手紙の最後をこう締めくくっていた。


『ぜひ私とも命懸けのゲームをしましょう。かわりに魔族に関する情報をお教えします。北東の廃教会でお待ちしています。トビヤ』


 トビヤ、というのがこれを書いた魔人の名前なのだろう。

 丁寧な物言いだが、命懸けのゲームに誘うという行動は普通じゃない。


「……どうします?」


 いつも通り、まずはみんなに相談する。最初に意見したのはゼクさんだった。


「クソゲームなんざ、付き合う義理はねぇ。居場所がわかってんなら、ぶっ殺しに行くだけだ」


「先方もそれは想定しているはずだ。どうにか我々をゲームとやらに引きずり込む算段があるのかもしれない」


「どうせあなたは自分の命を賭ければ済むって考えてるんでしょう? この自己犠牲中毒」


「……ダメですよ、スレインさん」


 ロゼールさんの言ったことは図星だったのか、スレインさんは気まずそうに黙ってしまう。かわりにマリオさんがのんびりと話に入った。


「ゲームだったら勝てばいい、と思うけど……このトビヤ君が主催するとなると、向こうに有利な状況を作られちゃう可能性もあるよねー」


「どうかしら。公正な条件下で自分もリスクを負って楽しみたい、っていう手合いに見えるけれど。生粋のギャンブラーっていうか……」


 顎に手を当てて文面を見つめるロゼールさんには、マリオさんも特に反論しない。


「エステルさんは、参加しなくていいですよね? そもそも魔族の人たちは、エステルさんの命は奪わないようにしているみたいですし……」


 ヤーラ君は私のことを心配してくれているみたいだ。

 確かに、魔王の長男であるアモスを初めとして、彼らはゼクさんを連れ戻すために私を利用しようとしているらしい。

 けれど、マリオさんは別の方向からの見解を述べた。


「トビヤ君が快楽主義的な性格だとしたら、その魔族側の意向を優先するかどうかはわからないよ」


「それは……そうですけど」


「……ここでごちゃごちゃ言ってても仕方ねぇ。野郎のツラ拝みに行こうぜ。話はそっからだ」


 話し合っている時間も惜しいのか、ゼクさんは私たちの返答を聞く前にさっさと出ていってしまった。



 手紙で指定された「北東の廃教会」へは、支部にいた人に場所を聞いて無事に辿り着くことができた。この街の人々も滅多に寄り付かない場所らしく、薄暗い曇天の下にそびえる建物は植物に浸食されて神聖さを失っていた。


 仲間たちは当然、周囲を警戒しながら進む。一見普通に歩いているようで実は一番敵の気配に敏感なマリオさんが、軽く辺りを見回す。


「誰かが隠れてるってことはないみたい。そっちはどう?」


 話を振られたヤーラ君は、ボロボロの扉に手を当てて神経を集中させている。


「何もない……というより、ちょっとわからないです。魔力を反発する仕掛けがあるのか、手がかりが何も……」


 中で魔人が何か仕掛けているのは間違いないみたい。どうしようかとためらっていると、ゼクさんが何の迷いもなくずんずんと扉に近づく。


「どけ」


 そう言ってヤーラ君を離れさせると、ほとんど壊れた扉を足で思いっきり蹴破り――というより粉砕して、昼間だとは思えないほどの暗闇に向かって、大声を飛ばした。


「クソ魔族コラァ!! 手紙通り来てやったぞ!! とっとと出てきやがれェ!!!」


 その怒声は闇に反響するだけで、返答はなかった。

 ゼクさんは舌打ちしながらも、堂々と中に入っていく。私たちも後ろから、もちろん警戒を緩めずについて行った。


 一筋の光も差さない漆黒の世界を進んでいくと、不意にぱっと辺りが明るくなり――私たちは目を疑った。


 教会だったはずのそこは楕円形の広い空間を中心として、その周りを客席が囲む闘技場のような場所になっている。廃墟とは思えないほどしっかりとした造りだった。


 そのど真ん中で、癖のある黒髪に人のよさそうな垂れ目の男が、この場の不気味さにはまったく不釣り合いのさわやかな笑顔を浮かべていた。


「やあ、待ってたよ。今日は、お互い悔いの残らない勝負をしよう」

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