暴風一過
薬と怒りで正気を失ったゼクさんと、戦闘狂いの赤犬さん。この最悪の組み合わせによる争乱で荒れ果てた街角に、その優雅な初老の女性はかなり浮いていた。
先ほど彼女を危うく巻き込みかけた2人は、そんなことなど気づいていないように戦いを続けている。
「まあ、なんだかここも危ないみたいねぇ。お嬢さん、ちょっと離れましょうか」
「え? あ、いえ……あの、2人を止めないと」
支部のほうに用があると言っていた彼女は、しどろもどろな私の言葉に「あらそう」と短く返事して、ゆっくりと戦禍の中に歩みを進めていった。
「ちょっ……そっちは危な――」
言い切る前に、女性がすっと手をかざす。
瞬間、嵐のような爆風が巻き上がり、その渦にゼクさんと赤犬さんを閉じ込めた。
「ぬあああああああっ!?」
「うわわわわっ!!」
悲鳴を上げながら旋風にぐるぐる回転させられた2人は、風がやむころにはふらふらと地べたに這いつくばってしまった。
「こんなものでいかがかしら?」
「す……すごい!! あなたはいったい……?」
「名乗っていなかったわね。私は――」
女性が自己紹介をしようとしたところで、ゼクさんがよろよろと起き上がろうとしていた。まだ目は血走ったままだ。
「てめ、この、ババア……!!」
ガツン、という甲高い音がゼクさんの巨躯を再び地面にへばりつかせる。
いつの間にか背後に立っていたヤーラ君が、なんと酒瓶でゼクさんの頭をぶん殴って気絶させてしまったのだ。
「薬、抜きますね」
「あ、はい」
あまりにも手際が良すぎてつい敬語になってしまったが、ヤーラ君はそのまま無感情に作業に取り掛かってくれる。
一方の赤犬さんも目を回してぐったりしており、ようやく出てこれた青犬さんがお兄さんを回収していた。
「おろしてよトニー! まだ決着が……うぇっ」
「うるせぇ!! 二度と勝手こかねぇように縛り付けてやる! ……それで――そちらの化物ご婦人もあんたらの仲間か? 支部長さん」
化物呼ばわりされた女性は、のん気に私を見てぱっと顔を輝かせる。
「支部長さんって……あら! あなたがあのエステルちゃん?」
どのエステルなんだろうと疑問に思いつつ、私は「ええ」と頷く。
「レミー君から聞いてるわぁ、とっても優秀なお嬢さんなんですってねぇ。そちらにお手紙届いてないかしら。私、本部から視察に来たヴェーラっていうんだけれど」
「ああ! 本物のヴェーラさん!?」
「やだわぁ、私は1人しかいないわよ」
支部で偽者に騙されかけていた私は思わず苦笑してしまったが、確かにレミーさんの言う通りおっとりした素敵な女性だ。
あの凄まじい風の魔術も、元賢者という経歴を考えれば納得がいく。
「随分お早いですね。馬車で移動中って聞きましたけど」
「私、いつもお馬さんに<加速>の魔法をかけるのよ」
……おっとりしているが、やることは派手なのかもしれない。
「ちょうどエステルちゃんに会えるなんてラッキーだったわぁ。さあ、行きましょうか」
「あ、待ってください」
私はヴェーラさんに断って、青犬さんたちのほうに駆け寄って頭を下げた。
「本当に、ご迷惑おかけしてすみませんでした! 二度としないように気をつけます!」
「……君、いい子だねぇ。今度一緒に遊ばない?」
「兄貴は黙ってろ! ……まあ、なんだ。今回は俺らの落ち度もある。金はきちんと払う。それでこの件は終わりだ」
「ありがとうございます」
去っていく兄弟の背中を見送っていると、後ろからヴェーラさんにとんと肩を叩かれた。
「素敵なお友達ねぇ」
同意しかけたところで、はっとする。あの2人はギャングなんだ。関わりがあると知られてしまったら――
「あ、いえ、あの人たちは、なんていうか……」
「いいのよ。私は気にしないもの」
穏やかに微笑むヴェーラさんを見て、視察担当がこの人でよかったと心の底から安堵した。
◇
私たちが支部に到着する頃には、ファースさんの働きすぎ問題をなんとかする会議は終わっていたようで、その話も含めてヴェーラさんに報告や相談をすることになった。
その場所として選ばれたのが、なぜか休憩室だった。
ヴェーラさんはゆったりとコーヒーを味わいつつ、お土産に持ってきてくれたお菓子なんかを私とファースさんに勧めて、のんびりと報告を聞いていた。
「……なるほどねぇ」
一通り話が終わると、ヴェーラさんはそう呟いて、静かにカップを置く。ファースさんはどんな指摘が来るかと不安そうにしているが、続いた言葉は意外なものだった。
「2人とも、本当によく頑張ってくれているのねぇ」
その優しい微笑みに、私もファースさんもきょとんと拍子抜けしてしまう。
「こんな大変な状況で、支部をまとめてくれているなんて……とっても素晴らしいと思うわ。あなたたち、まだ若いでしょうに」
「いや、ボクはもう38ですし……」
「それでもホビットさんにしては若いほうでしょう?」
ファースさんが20歳も年上なのに密かにびっくりしてしまったが、そういえばホビット族は少しだけ寿命が長いんだっけ。
「故郷を離れてこんなところまで来て、こんなにたくさんお仕事をなさってるなんて……本当に、尊敬します」
「い、いえ、そんな……」
「でも……やっぱりまだ働きすぎじゃないかしら」
ヴェーラさんに困り顔で苦言を呈されて、ファースさんはウッと言葉に詰まっている。
「ボクがやることは減らしたつもりなんですけど」
「そういう話ではなくてね。あなた、たぶん全部自分の目の届くところでやってほしいと思ってるんじゃないかしら。そうなると、あなたがいなくなったときに誰も何もできなくなってしまうわ。たまには他の人を信頼して、任せてあげることがあってもいいはずよ」
「は……はい。気をつけます」
確かに。ファースさんって責任感が強いせいか、わりと一人で抱え込みがちなところがあるかもしれない。
「そういえば、何かトラブルがあったっていうのも、私聞いてませんでしたよ」
「あれは、その……」
ファースさんが言いづらそうに詳細を語ってくれて、おおよその事情がわかった。アイーダさんにひどいことをした人たちへの怒りも湧いたが、それよりも納得することがあった。
「だからアイーダさん、会議のときファースさんを庇ってくれてたんですね」
「え? いや、だって、アイーダさんは覚えてないはずですよ」
「それでも、どこかでその恩を覚えてるんですよ、きっと」
私も気休めとかではなく本当にそう思っていた。アイーダさんは毎日記憶がなくなってしまうというけれど、毎日挨拶をするうちに、なんとなく私のことをどこかで覚えてくれてるんじゃないかと思うときがあるのだ。
ファースさんは照れ臭そうにうつむいている。そんな私たちを見ているヴェーラさんの眼差しは、どこか春風のように温かい。
「ふふふ。あなたたちはそうやって、たくさんの人に慕われているのねぇ」
私もファースさんもぽかんと目を丸めた。
「いや、あの、ファースさんはもちろん真面目だしお仕事も頑張ってるからそうでしょうけど、私は別に何もしていないというか……」
「そんな。ボクなんかよりも、あのすごい人たちをまとめているエステルさんのほうが何倍も慕われてるといいますか……」
2人して謙遜し合うのを、ヴェーラさんはクスクス笑って眺めている。
「ああ、この支部はとってもいいところだわぁ。トップの2人がこんなに素敵な人たちなんだもの。あとは……そう、資金の問題だったかしら」
「あ、それは――」
「仮に大きな臨時収入があったとしても、安定した収入が得られないとねぇ」
もしかすると、ヴェーラさんは私たちがちょっとグレーな手段でお金を稼いでいたのに気づいているのかもしれない。
「聞いた話だけれど……この街には、帝都を襲ったような魔族の大物さんが入り込んでいるそうねぇ」
「! そうです、魔王の血筋を引く魔人が……」
「だったら、本部からもそちらを支援するように、私が働きかけてみるわね」
「あ、ありがとうございます!」
私もファースさんも慌てて頭を下げる。顔を上げると、変わらずヴェーラさんの温かい笑顔があった。
「頑張ってね。だけど、危ないことしちゃだめよ。とっても素晴らしいあなたたちを慕っている人たちのこと、悲しませてはいけないわよ」
はい、と私たちは力強くうなずいて、その笑顔に応えた。
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