MAD DOGS

 青犬さんのお兄さん――通称「赤犬」さんは、前に「話の通じない暴れん坊だから近寄らないほうがいい」と助言されたことがあるほど、危険な人らしい。

 だけど、その人がゼクさんに関わってるなら話は別だ。


 私は青犬さんと一緒に、とりあえず居場所がわかっているヤーラ君のところに急いだ。

 ちなみにロゼールさんは「面倒だから」、マリオさんは「これ以上できることはない」と先に支部のほうへ帰ってしまった。



 支部で報告してくれたときから諦めの境地に至っていたヤーラ君は、ひっそりと建物の陰に座り込んで一心に薬を調剤していた。


「ヤーラ君……大丈夫?」


「僕はなんともありませんよ。街のほうは知りません。形あるものはいつかは滅びます」


「滅ぼされちゃ困るんだよ、こっちは」


 青犬さんは冷静につっこみを入れる。


「それで、何があったの?」


「闘技場の主催側がゼクさんに薬を盛ろうとして、種類を間違えたみたいです。人間って愚かな生き物ですよね」


 私も青犬さんも閉口してしまう。

 主催側のやり口にもむかっとしたが、その薬のせいで大暴れしているんだとしたら、どうやって止めればいいんだろう……。


「坊主、兄貴を見なかったか? 赤い髪の獣人だ」


「獣人の方なら、同じ大会に参加してましたよ。ゼクさんとは決勝で当たるはずだったんですが……」


 それを聞いた青犬さんは、また頭を抱えてうなだれた。


「……ああ畜生、なんてこった……頭痛でぶっ倒れそうだ」


「頭痛薬、作りますね」


 ヤーラ君は怖いくらい冷静だ。


「あの戦闘狂のバカ兄貴が『お預け』なんて食らった日にゃ、地の果てまで追いかけ回すぞ……。つか、なんで闘技場なんか参加してんだよ。勝手なことするなっていつも言ってるのによぉ……」


 深いため息をつく青犬さんの苦労が身体の芯まで伝わってくる。赤犬さんってそんなに破天荒な人なんだ……。

 でも、臆してもいられない。私ならゼクさんを止められるかもしれないのだから、リーダーとして行かなければ。



 そんな決意も、当のゼクさんの怪獣のような暴れっぷりを目の当たりにして、軽く吹き飛びそうになった。


 ところどころに瓦礫の山、道端にとっ散らかる巻き込まれた人々。最初にこの街に来たときのような荒廃ぶりに、私も青犬さんも言葉を失っていた。そりゃ、ヤーラ君も世の無常を悟るよね……。


 ゼクさんは本当に試合会場からそのまま出てきたのか、武器は携行していない。代わりにどこかの建物のぶっとい柱を片手で振り回している。勘弁してください。


「ウオオオオオオッ!! 魔族はブッコロス!!」


 猛獣みたいな咆哮がビリビリと轟いて、私も少し躊躇してしまったけれど、それでも勇気を出して足を踏み出す。


 ――と、私とゼクさんの間に、赤い何かが飛び込んできた。


「ちょっとおおおお!! ひどい、ひどいよ、ここまで来てお預けなんてさぁ!! 僕、君とやれるの楽しみで、早くやりたいから、ソッコーで噛みちぎって終わらせたのにさ!? なんで僕とはやってくれないの!? ねぇねぇねぇ、聞いてる!? ねぇってばぁ!!」


 その赤い何かは小柄な人間で、必死で喚きたてる甲高い声には聞き覚えがあった。


「……あっ。会っちゃったね」


 振り返ったその顔にも覚えがあるが、記憶にある容姿とあまりにも違いすぎて、にわかには信じられなかった。


 ギャングのことを有料でいろいろ教えてくれた、少女みたいに綺麗な顔のニット帽の少年。

 ――だけど、目の前の彼は赤い髪に犬の耳が生え、おびただしい量の返り血で肌も服も真っ赤に染め上げられていた。


「あなたが……『赤犬』さん?」


「ごめんね、関わるなって言っておいて。でもさでもさ、あのお兄ちゃんが悪いんだよ。約束したのにさっ。――あのぶっとい首、噛みちぎってあげるって」


「……!」


 ぞっとした。一歩も動けなかった。

 無邪気なようで、あまりにも残虐なおぞましい笑顔。この人は――本当に、関わったら、ダメだ。


「おい、兄貴!!」


 固まってる私の後ろから、青犬さんの声が飛んでくる。


「お、トニーじゃん。やっほやっほ~」


「のん気に挨拶してんじゃねぇ!! その娘に手ぇ出すなよ、また街がメチャクチャになっちまう!!」


「ああ! 君が例のあれなんだ。なるほど!」


 何かを思いついたらしい赤犬さんは、がばっと私の身体を抱きかかえたかと思うと、ものすごい勢いで飛び上がった。


「ひゃあっ!?」


 上半分の階層が消滅した建物の縁に着地した赤犬さんは、下にいるゼクさんに向かって挑発的な声を張り上げた。



「ヘーイ、でっかいお兄ちゃん!! このリーダーのかわい~い女の子を返してほしかったら、僕と殺し合いしようよ! ねっ?」



 その最悪の宣言に――私はびっくりして目を見開き、青犬さんは絶望して膝をつき、ゼクさんはピタリと動きを止めて額に青筋を浮かべた。


 赤犬さんはおまけに血でべっとり染まった顔を私に擦りつけてきて、ぬめっとした感触が頬に残る。それがまたゼクさんの気に障ったようで……。


「……ンのクソボケ、その女から離れろオオオオオオオオッ!!!」


 鼓膜が破れるんじゃないかというほどの絶叫の後に、ドシンと地面が揺れる。ゼクさんが武器にしていた大きな柱で、私たちがいる建物を叩き壊そうとしていた。ほんとに勘弁してください。


「わわわっ、ちょっと危ないね。ここで待ってて」


 途切れた壁の上で転びそうになっていた赤犬さんは、ひょいっと中に降りて私を下ろしてくれた。

 そうして憂いはなくなったと言わんばかりに、意気揚々と建物の2階ぶんくらいの高さから軽快に飛び降りてしまった。


 慌てて途切れた壁から身を乗り出すと、小さな赤い身体が射出された砲弾みたいにゼクさんに向かっている。巨大な柱がぶぉんと振り回されて弾き返そうとするのを、赤犬さんは器用に柱の表面に両手をついてくるんと一回転し、身体が粉砕されるのを回避した。


 攻撃をかわされたゼクさんが振り返ったときにはすでに、たった今着地したばかりの赤犬さんが首元に飛び掛かっていた。

 噴き上がる紅色の飛沫。


 悲鳴を堪えて目を凝らせば、地面に滴っている血は首から流れているわけではなかった。赤犬さんは鋭利な歯をゼクさんの腕に食いこませている。

 噛む力だけであんなに肉が抉れるのかと恐ろしくもなるが、ゼクさんはまったく痛がる様子もなく苛立たしげに眉を吊り上げている。


「……ってぇなァ!!」


 ゼクさんは赤犬さんが噛みついたままの腕を地面に叩きつけようとしていた。

 すぐさま腕から離れた赤犬さんは、転がって距離を取ろうとする。が、巨大な柱にそんな距離など関係なく、またしても石の塊がその小柄に襲い掛かる。

 それでも獣人の瞬発力はさすがで、かわすどころかその上に乗ってニヤニヤ笑う余裕まで見せている。


「ふふ~ん。パワーはすっごいけどさぁ、当たんなかったら意味ないよねぇ~」


「……こ、の……ドチビがアアアアアアアアッ!!!」


 元々沸騰していたうえにさらなる挑発を受けて、ゼクさんは怒りを爆発させて武器とも言えない武器をめちゃくちゃに振り回し始めた。

 周囲にある建物やなんかは当たったそばからとんでもない音を轟かせて粉砕されていく。けれど、標的の赤犬さんはぴょんぴょん飛び回っていて一向に命中しない。


「あはははははっ!! すっげぇ~!! 超たのしーっ!!」


 あんな命を狙われている状況ではしゃぎ回れる赤犬さんの気が知れない……と思ってるのは弟の青犬さんも同じのようで、呆然自失状態から立ち直り、慌ててあの大戦争の間に入ろうとしている。


「おい兄貴、頼むからもうやめてくれ!! 今度こそ街が滅びちまう!!」


「だからぁ、止めるためにこうやって頑張ってるんだってぇ」


「嘘つけ、遊んでるだけだろうが!!」


 確かに、このままじゃ被害は大きくなるばかりだ。やっぱり私が止めに入らないと。

 急いで階段を下りて、廃屋と化した建物を出る。間近で見ると同じ人間だとは信じられない壮絶な戦いだ。


「ゼクさんっ!! 正気に戻ってください!! 私は無事です!!」


「ああ!? 今テメェ取り返すために戦ってんだよ!! すっこんでろ!!」


 ……だめだ、話が通じない。

 もう少し近づけば私の声も届くかもしれないけど、これ以上進んだら周りの建物みたいに粉々にされてしまう。


「死ねオラアァッ!!!」


 ぎょっとした。業を煮やしたか、ゼクさんが武器にしていた柱をブーメランみたいに放り投げてしまった。

 身軽な赤犬さんは高く跳んでギリギリのところでかわすが、なんとその先に通りがかった初老の女性がいたのだ。

 女性は迫りくる円柱を前に目を丸めている。


「危ないっ!!」


 私が叫んだときには手遅れで、最悪の結末が頭をよぎった。

 ――が、次に起こったのは激突ではなく、突風。


 とてつもない風圧が、怪力で放られた柱をぶわっと浮かせて地面に横たえた。


 唖然としてその光景を眺めていると、初老の女性は長いスカートの裾の埃を丁寧に払ってからにこりと微笑む。


「お取込み中ごめんなさいね。<勇者協会西方支部>っていうところに行きたいのだけど……まだ無事に残っているかしら」

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