Pre Games
私とファースさんは支部長室で2人、本部連絡用の<伝水晶>に意識を集中させている。正確には、そこから聞こえてくるドナート課長の声に。
『視察といっても、支部長交代後の運営状況を調べに行くだけだ。よほどまずいことがなければ、咎められることはないだろう』
「よほどまずいこと……って、たとえば?」
『横領や不正な献金、不当な労働、破綻寸前の経営状態などだな』
「は、破綻……」
「はたん……」
ファースさんと私がその単語を繰り返したせいで、課長も西方支部が抱えている難題を察したみたいだった。
『……まさかとは思うが、資金繰りに問題が?』
「そ、そうなんです。お金がなくなっちゃいそうで、<サラーム商会>からいっぱい借りてるんです……。ど、どうしましょぉ……」
私が半泣きで助けを求めると、課長はなだめるように穏やかな口調になった。
『そう心配するな。それならそれで、経営立て直しの方策を講じるだけだ。ペナルティを与えられたりはしないだろう』
「怒られちゃったりしませんよね?」
『……レミー。西方支部視察担当は誰だ?』
『ああ、ヴェーラおばちゃんだよ。元賢者の、おっとりした人。きっとエステルちゃんのことも気に入るぜ』
レミーさんの話を聞いて、少しほっとした。そう怖い人ではないらしい。
『あれ、何? エステルちゃんと連絡繋がってんの? おい言ってくれよ、俺だって喋りてぇよ!! ハ~イ、エステルちゃん、元気ぃ? 支部長なんて大出世じゃねぇの! いいなぁ、荒れ果てた街に咲く一輪の花……俺もエステルちゃんの下なら西方支部で働いても――』
『また何か相談があったら連絡してくれ。以上だ』
『あーっ!! 待っ』
それっきり、通信は切れてしまった。静かになった部屋の中で、ファースさんと顔を見合わせて一緒に苦笑いをする。
「……なんか、優しい人が来るみたいでよかったですね」
「まあ、一応念入りに準備しておいたほうがいいでしょう……。本部の方の心証を悪くするのもなんですし」
笑う余裕が出てきたところに、コンコンとノックの音。
入ってきたのは、一応私の護衛のために残ってくれているスレインさんだった。
「スレインさん、どうしました?」
「来客だ。中年の女性で、勇者協会本部からと言ってるんだが……」
『え?』
あまりの早さに、私もファースさんも声を揃えて驚いていた。
◆
この「最果ての街」に賭場など腐るほどあるのだが、狐はその中で最も規模の大きい場所を選んだ。
高級なだけあって服装規定も厳しいため、サラーム商会から社交界に出ても遜色ない程度の礼装を有料でレンタルした。そのぶん出費もかさんだが、ロゼールもマリオも特に気にしていないようだった。
狐は慣れない一張羅にそわそわしながらも、華やかで露出度の高いドレスに身を包んだロゼールに鼻の下を伸ばしていた。
カジノには当然ロゼールとマリオが行くことになったものの、この2人だけというのはいろんな意味で危険だと判断され、誰か1人を付き添わせようという話になったのだが――誰も、その役をやりたがる人間がいなかった。そこで、暇そうな狐に白羽の矢が立ったのである。
何かトラブルが起きたときは、持たされた<伝水晶>でエステルに連絡することになっている。
カジノの中は豪華絢爛な装飾が施されたきらびやかな空間で、いかにも裕福そうな紳士淑女がそれぞれゲームに興じている。
入ってすぐに3人はスタッフらしき白髪の紳士に呼び止められる。にこやかに笑いながらも、その眼差しは鋭く3人を観察していた。
「初めての方でございますね。まずは、わたくしのほうからいくつかご説明を」
どうやらその紳士は支配人らしく、ルールやマナーなどの注意点を丁寧に説明していたが、そもそも金を持たされていない狐には興味がなく、大半を聞き流していた。
武器の携行も禁止ということで、マリオは左手の魔道具を預けることになったが、それ以外に変わったことはない。
一通り話が済んだところで、ロゼールがにこっと目を細めて笑顔を作った。
「ありがとう。この街のカジノったらきな臭いところばっかりで。ここはもちろん安心して楽しめるのよね?」
「もちろんでございます。不正行為は厳重に監視し、防止に努めております」
「もし、イカサマが発覚したら?」
「ええ。二度とそういうことが起こらないよう――指をすべて切断させていただきます」
支配人はニコリと微笑んだままだが、白い眉毛の下から覗く三日月の目からは冷酷さが滲み出ていた。狐は恐怖で全身の毛を逆立てたが、2人は一切動じず――マリオはさらに人間味のない笑顔で口を開いた。
「じゃあ、君たちがイカサマをしたら、君たちの指を切り落とせばいいんだね?」
マリオと支配人は無言で笑みを浮かべたまま、顔を突き合わせている。ピリピリとした息が詰まるような雰囲気に、狐は気が気でない。
「……ごゆっくり、お楽しみください」
支配人が儀礼的な挨拶を述べて立ち去り、気が抜けた狐はへにゃへにゃと耳や尻尾をうなだれさせた。
が、3人に近づく人影を視認すると、瞬く間に全身に活力が戻って背筋をピンと伸ばした。
「こんにちは。ここは初めて?」
丸いサングラス越しに見えたのは、ロゼールにも引けを取らないほどの美女だった。きりりとした猫のような目に見つめられて、狐の頬は緩みきっている。
「獣人さんが来るなんて珍しい。可愛らしい耳ねぇ。あたしと一緒にプレイしない?」
「ぜ、ぜひっ!! ……と言いたいところだけど、俺――」
金がないのでと断ろうとした矢先、釣り目の美女に指差されたテーブルを見て言葉を失った。
1つだけある空席の前に積み上げられた、尋常ではない量のチップ。
騙されやすい狐でもすぐに悟った。彼女はここに初めて訪れた自分たちをカモろうとしているのだ。綺麗な顔をしているが、その本性は獲物を狙う女郎蜘蛛。
しかし、とっくに察しているであろうロゼールとマリオは、満面の笑顔でそれに応えた。
「あら、とっても面白そうね。悪いけどそのワンちゃんはプレイできないから、代わりに私が楽しませてあげる」
「君、すごく強いみたいだねぇ。ぼくはマリオ。友達になろう」
狐は自分が参加しなくて済んだことに、心から安堵していた。
◆
そこが地下だということを忘れそうになるほどの、熱狂的な歓声の渦。その中心には、鳥かごのような金網のフェンスで仕切られた空間があり、中では男2人が血みどろの殴り合いをしている。
そのうち一方がもう一方を殴り倒すと、そのまま馬乗りになって何度も拳を叩きつける。両手が真っ赤になってもやめず、観衆も「殺せ」とコールしながら喜んでいる。
そんな光景を、ゼクとヤーラは半ば呆れつつ眺めていた。
「……品のない空間ですね」
「俺ならお上品に一発でぶちのめしてやるけどな」
狐に紹介された「金になりそうなとこ」とは、この地下闘技場のことだった。
ルール無用、人が死んでもおかまいなしの大会で、金持ちが流血を楽しみながら金を賭けて楽しんでいる。そこで優勝すれば大金が手に入る、という話だった。
「っかし、どいつもこいつもザコそうで面白くねぇ。帰りたくなってきたぜ」
「ダメですよ、エステルさんのためでもあるんですから」
「……なんであいつの名前が出てくんだよ」
「エステルさんが応援に来てくれればよかったですねー」
「だから、なんであいつの――!!」
「はいはい、受付行きますよ」
こんな場所だからか、運営スタッフもいかめしい目つきのチンピラ然とした男で、軽くメンチを切られたゼクはその倍の眼力で相手を睨み返し、自分の大剣をドンとカウンターに叩きつけた。
「ゼクだ。出場させろ」
スタッフは一瞥もくれずに名簿に乱雑な字を書き込み、別のスタッフがその重さに難儀しながらも大剣を持っていく。
「……後ろのチビは」
「僕はただの付き添いです」
「その鞄はなんだ。何が入ってる」
「簡単な医療器具とか、回復薬です」
「悪いが、ドーピング防止のために預からせてもらう。回復薬は会場で売ってるものを使え」
ヤーラは少し不満だったが、ここで言い合っていても仕方がないので、渋々鞄も預けた。
「せいぜい死なないようにな」
誰に言ってるんだと抗議するようにゼクは唾を吐き、あまりにも簡素な出場登録を済ませて2人は立ち去ろうとする。
が、背後から場違いな高く弾んだ声が飛んできて、ふと足を止めた。
「フレデリック・トインビー。フレッドでいいよ! 僕も参加希望ね」
「……おい、ガキの遊び場じゃねぇんだぞ。殺されないうちに消えな」
「子供じゃないよぉ、ちゃんと殺し合いしに来たんだから」
ゼクとヤーラが同時に振り向けば――背の低い、一見すると少女のようにも見える美しい顔立ちの、ニット帽を被った少年が頬を膨らませていた。
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