#19 目覚めし太古の秘宝

サラーム商会

 機械からガーガーと吐き出され、積み上げられていく紙を、ファースはただぼんやりと眺めていた。


 ソルヴェイが作ったこのマシンは業務時間を著しく圧縮してくれたため、手隙の時間も増えた。そのぶんを本来なら副支部長としての仕事に手を回すべきなのだが、今は他の職員に会いたくなかった。


「ファースさん」


 アイーダの単調な声に振り返る。ファースはもう彼女に呼ばれても驚かなくなった。

 その冷淡な態度も機械的な言動も、1日で記憶がすべてリセットされるという特異な体質に起因するであろうことがわかったからだ。


「宛名書きが終わったのですが」


「あー、そうですね。今は……中身が全部出てくるまで待機しかないです」


 それを聞いて、アイーダは何枚かの空の封筒を綺麗にまとめてデスクに置く。休むという選択肢がないのか、その後はしきりにメモを確認している。


 この律儀さは記憶を失う前からの性格なのだろうか、とファースは考える。それに、これだけの業務量や知り合いの情報を毎日毎日覚え直せるなんて、よほど記憶力がいいのだろう。いや、知識などは忘れないのかもしれない……。


 だが、やはり不便だと思うし、少し寂しく思う。どんなに仲良くなっても、彼女には忘れられてしまうのだ。人と親しくなれない、と以前言っていたように。


 それでも、エステルは毎日会うたびに自己紹介をしている。知人のことはメモにあるので必要ないのだが、エステルはいつも笑顔で丁寧な挨拶を繰り返している。自分には真似できないな、とファースは思う。


 ちなみに狐もその真似をしていたのだが、毎日口説き文句を垂れるその様を見て、ファースは尻尾を思いきり引っ張ってやめさせた。

 が、その気持ちはわからないでもない。その端正に整った顔立ちを見れば――


「どうかしましたか?」


「あ、いえ!! なんでもっ」


 じろじろ見ていたせいで怪しまれてしまい、ファースは慌てて目を反らす。

 ちょうど印刷が終わったらしく、恥ずかしさをごまかすようにさっさと書類を封筒に詰め込んだ。


「じゃあ、ボクが持っていきますから……」


「いえ、私が。手が空いていますので」


「いやっ……わかりました。そっちお願いします」


 ファースは他の職員になるべく会いたくなかったが、アイーダに会わせるほうがもっと嫌だったので、仕方なく同行することにした。



 案の定、すれ違う職員たちの目は冷たく、勇者たちに至っては憎むような視線を向けてくる。

 当のアイーダは気づかないのかあえて無視しているのか、一切動じている様子はない。それがまた彼らの神経を逆撫でしているのかもしれない。


 ここの勇者である大男が殺され、アイーダの部屋でその遺体が見つかった事件は、魔族の仕業だと結論付けられたはずだった。


 しかし、一部で「上層部がアイーダの殺人を揉み消した」という噂が広まっており、職員たちは不信感を募らせ、勇者たちは仲間を殺された恨みを抱くという状況になってしまっている。


 せっかくみんなと信頼関係を築けたのに、とファースは落胆する。それ以上にアイーダに悪評が立つのが許せなかったが、何もできないのがまた歯がゆい。


 本部宛ての封筒を渡した職員にも冷ややかな対応をされつつ、どんよりした気分のままファースたちはオフィスに戻る。


「ファースさん、ご相談が」


「はい?」


 さすがに不審に思ったか、アイーダが唐突に話しかける。


 結局それは業務上の話だったのだが、落ち込んでいるところにさらに追撃をかけるような重大な報告で、ファースは頭痛に襲われ卒倒しそうになった。


 にわかには信じられなかったが、アイーダが確固たる証拠を提示したことで、事実と認めざるをえなくなった。

 このままでは職員や勇者の反感がもっと強くなるかもしれない、と頭を悩ませていたとき。



「ファースの旦那ぁぁ――ッ!! 大変だあああああッ!!!」



 オフィスに飛び込んできたのが、今の悩みに少なからず関わっている人間だったので、ファースの頭は瞬間的に沸騰した。


「狐ェ!! お前、この、穀潰し!!」


「え!? な、なにをそんなに怒ってるんで? それより大変なんですって、ほんとに――」


「こっちのほうが大変なんだよ!! 見ろ、これ!!」


「……数字なんて見せられても、俺にゃわかりませんって」


 ファースは小さい額をぺしっと叩き、事の重要性を告げる。


「この支部の資金が、底を尽きそうなんだよ!!」


 それはすなわち、職員や勇者たちの給料もまともに払えなくなる可能性があるということだ。

 そもそも西方支部は業績最悪で経営は厳しく、前支部長の金回りの良さでなんとか持たせていたのだろうが、彼は追放され財産もギャングたちに奪われてしまった。


 狐はまだ理解していないのか、口をぽかんと開けている。


「……つまりなんです? 俺にギャンブルか何かで金を作ってこいと」


「やめろ!! そもそもそれが資金不足の原因の1つだろ!! タダ飯食らいのお前なんていっそ負債だ!! 最悪の場合、追い出すからな!!」


「えええっ!? そしたら野垂れ死んじまいますよぉ!! 俺がいないと何かと寂しいでしょう? ほら、アイーダちゃんも何とか言ってくれよぉ」


「今まで狐さんが消費したぶんの金額を算出しましょうか」


「あ、お願いします」


「ちょおおおおっ!!」


 状況のまずさを感じたか、額にだらだら汗を流した狐は慌てて話題を反らした。


「そ、それより!! 今すぐに対処しなきゃならねぇ問題があるんすよ!」


「さっきから何だよ、大騒ぎして……」


「いや、その、ロビーに……来てるんすよ。<サラーム商会>が」


 その名前を聞いて、怒りでかっかしていたファースの顔は一気に青ざめた。



  ◆



 砂漠の民らしい褐色肌、どちらかといえばお洒落を重視した巻き方のターバンと、その下からちりちりとはみ出す黒い髪の――愛らしい顔立ちをした少女。


 そんな彼女を、ロビーにいる人々は畏怖しつつ遠巻きにちらちら眺めている。

 が、副支部長で実務を担うファースは、嫌でも対応しなければならない。


 ルゥルゥという名のサラーム商会からの使者は、そんな周りの様子など意にも介さず満面の笑顔を作っている。


「わー、ホントにちびっ子支部長ッスね! 客受けはよさそうッス!!」


 支部長が変わった話はどこかで聞いたのだろう、ルゥルゥはファースを見て年頃の少女らしくキャーキャーはしゃいでいる。


「いや、あの……『副』支部長なので。それで、ご用件は」


「ああ、はいはい。ご存じと思いますけど、前支部長さんはうちもご贔屓にさせてもらってたッス。金払いはよかったッスからね、ぶっちゃけ。この支部のもの、結構うちの商品お使いいただいてるみたいで。だから、今後ともよろしく、と!」


 ニコっと笑顔をはじけさせるルゥルゥの口ぶりは、ビジネス的だが前向きな挨拶に聞こえる。

 が、ファース含めてこの街の流儀を知っている人間ならば、今のは「脅迫」だとわかる。


 つまり、ルゥルゥの言葉は「お得意様だった前支部長がいなくなったお陰で、こちらに損失が出そうだから埋め合わせをしろ。さもなくば商品の流通を差し止めにするぞ」という意味だ。


 サラーム商会は、公正な商売をするなら、非常に良心的で品揃えも豊富な優良企業である。しかし、公正さなど犬に食わせろの「最果ての街」では、彼らもそれに合わせてやり方を変え――<ウェスタン・ギャング>に並ぶ恐ろしい組織となった。


 世界をまたにかける大組織ならではの財力、街の物流を一手に担う影響力、それらを駆使して荒くれ者たちと渡り合うしたたかさ。彼らを敵に回すのは、即座に身の破滅を意味する。


「ファースさん、どうッスか? 体制も一新して、うまくいってます? お悩みなら聞くッスよ!」


 ルゥルゥは色を失っているファースの顔を覗き込む。正直に今抱えている難題を吐露すれば、援助という名の要求を飲ませてくるに違いない。


 ファースは正直逃げ出したかったが、副支部長という立場と責任がその選択肢を許さない。

 悩みに悩んだ末、彼は結論を出した。


「ルゥルゥさん、よろしければうちの支部長にもお会いしませんか?」

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