錬金術師は憂う

 悲鳴を聞いたゼクは慌てて扉の取っ手を掴むが、魔族用の仕掛けはそこにも効果があるのか、バチッと電流が走ったような衝撃があって持つことができない。

 仕方なく剣を使おうと柄を持ったが、その前に中から扉が開かれた。


 さっきと同様に青い顔をしたカタリナが、必死の表情で訴えた。


「ゼクさん、お父様が……!!」


 中を覗くと、胸のあたりから血を流して倒れている皇帝らしき男と、ナイフを持って気が触れたように高笑いしている皇后らしき女がいた。


「ふふ……はははははッ!! この男が死ねば、天下は私のもの……!!」


「何を……やってんだ、この馬鹿野郎ッ!!!」


 皇帝はまだ息はあるようで荒い呼吸で呻いている。だが、権力に取りつかれた女は今にもトドメを刺しそうな勢いだった。


「お母様!! おやめくださいまし!!」


「控えなさい、カタリナ。これはあなたのためでもあるのですよ……」


 見れば、止めようとしているのはカタリナだけで他の皇族や衛兵たちは我関せずと黙っているだけだった。皇后に丸め込まれたのか、全員皇帝に対してよくない感情を持っていたのか。


 仕方なく、ゼクが飛び込もうとする――が、やはり電流のような衝撃に弾かれ、部屋に入ることもできない。

 それを見ていた誰かが叫んだ。


「あいつは魔族だ!!」


 室内にいた誰もがゼクに注目する。衛兵が剣を抜く。もはや侵入者として敵視されることとなったゼクは、なすすべがない。


 そんな彼の前に、小柄な少女が立つ。


「剣を収めなさい! この方は、わたくしを守ってくださった恩人です!!」


「しかし、殿下……!」


「収めなさい!!」


 衛兵たちは顔を見合わせ、カタリナの言うことに従って引き下がる。魔族ならばどのみちここには入ってこれないという考えもあったのかもしれない。


 ゼクは改めて、カタリナの小さな背を見る。


 ――ああ、こいつはエステルと同じような人種なんだな。人をちっとも疑わねぇで、ちょっと何かしてやりゃあ馬鹿みたいにペコペコして、弱ぇくせに言うこたぁいっちょ前で……。


「お母様も、どうか冷静になって……」


「邪魔をしないで、カタリナ。この愚かな夫を消さなければ、この国に安寧は訪れない。どうしても止めるというのであれば――」


 皇后が衛兵に目配せすると、意を汲んだのか彼らは皇女たるカタリナに向かって身構える。



「馬鹿はテメェだろ、クソババア」



 あまりに品のない言葉に、夫を刺し殺そうとした女はゼクを睨む。


「どけ、チビ」


 ゼクはそれだけ呟くと――ずいっと部屋の中に足を踏み入れた。


 バチッ、と雷のような一撃を食らってひるみはしたものの、荒々しくひん剥いた目をカッと上げると、痛みに耐えながらもずんずん進入していく。


「ぬおぉ……おおおおおおおおッ!!!」


 雷雲の中を堂々と突き抜けていくかのように、一歩一歩踏みしめるように進んだゼクは、ついぞ皇后の傍まで近づき――思いきり、殴り倒した。


 地面に叩きつけられた彼女は顔面を凹ませたまま伸びている。

 衛兵たちは剣の柄を握るが、血のような赤い眼にギョロリと睨まれ、そのまま動けなくなってしまった。


「よっ……と」


 ゼクは息も絶え絶えになっている皇帝の身体を担ぎ上げ、誰にも見向きもせずにまた来た道を戻っていった。


 自分の身体を蝕む空間から脱出したゼクは肩で息をしながらも、カタリナのほうを振り返る。


「チビ、お前はそこに隠れてろ。親父は俺がなんとかしてやる」


「……はいっ!」



  ◆



 この国を統べる男は、今まさに死の淵に立たされている。

 ゼクは止血だけ済ませたものの、もう時間の問題だと察していた。


 助けを呼ぼうと<伝水晶>を起動すると、すぐそばにヤーラがいるらしく、窓から居場所を確認する。宮殿の外をふらふら歩いている小柄な少年の姿を視認した。


 何をしているのかはよくわからなかったが、一刻を争う事態に余計なことは考えていられない。

 ゼクは再び皇帝を背負って外へ急いだ。



「ヤーラ!!」


 近くで見る少年の後ろ姿はどこか異様だった。声をかけても振り向きもせず、足元が覚束ないまま、どこかに吸い寄せられるように歩いていく。

 周りを確認しても、ホムンクルスはいない。


「おい、待てって。チビ!!」


 振り返った少年は、何とも言えぬ不思議な顔つきをしていた。


 妙に落ち着いた雰囲気は普段の調子とはかけ離れているものの、ホムンクルスを連れているときのような虚ろで危ない感じはしない。知っている人間であるはずなのに、初めて会うような感覚があった。


「……ゼクさん」


 名前を呼ばれ、自分が認識されているとわかったことでゼクはひとまず警戒を解いた。


「なあ、このジジイが死にそうなんだよ。なんとかしてくれ」


 身分意識など皆無のゼクはジジイ呼ばわりした男を下ろす。が、ヤーラは横たわった身体をじっと見ているだけで何もしようとしない。


「……何やってんだよ。こいつを治してくれって――」



 ガサ、と草を踏む音にゼクは振り返った。


「困りますな、皇帝陛下をそのように扱われては」


「錬金術師のほうのジジイか……!」


「おいたわしや、陛下……。やはりこのような権力の奪い合いなど、なくなったほうがよろしい」


 オットリーノは1人ゼクたちの前に佇んでいる。戦う能力もなさそうな老人がどういうつもりでのこのこ現れたかはわからないが、ゼクは油断せずに剣を抜いた。


「ヤーラ、死にかけのジジイ見とけ」


「……」


「おい?」


 言葉に反して、ヤーラはすたすたとその場を去ってしまった。

 敵を目前に追いかけることもできず、皇帝のほうに目を落としたゼクは、驚くべきものを見た。


 傷が完全に塞がっている。


「……!」


 同じ錬金術師であるオットリーノは、ヤーラのその業に目を見張っている。


「ヘッ、うちのチビのほうが一枚上手なんじゃねぇか?」


「ふむ……。しかし、技能を競いに来たわけではございませんので」


 オットリーノは小さな石を取り出し、ゼクのほうへ突き出す。握った手からは魔法陣が展開し、そこから黒い霧のようなものがばっと広がっていった。


 その霧がわらわらと集まって、巨人のような形を成す。

 頭らしき部位から2つの赤い眼がゼクを見下ろしていた。


「なるほど、今までのザコよりは楽しめそうだ」


 自分より遥かに大きな敵を前に、悠々と笑みを浮かべる。

 ゆっくりと剣を構えると、黒い巨人の胴体を両断するように刃を水平に振った。


 ――が、刃が相手に触れる瞬間、今さっき見たような魔法陣が出現するのが見えた。


 斬ったはずの敵はどこも傷ついておらずぴんぴんしている。それよりも、いやに軽くなった剣に目をやって、ゼクは驚愕した。


「……は?」


 刃の部分が、そっくりそのままなくなっているのである。

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