鏡に心映して
ただの人間の女騎士となったディートリントに、スレインは笑みをたたえながら問いかける。
「……どうする。降参するか?」
「誰が!!」
「君は根っからの悪党じゃない。できれば見逃してやりたいんだ」
「……安い同情なんていらない。兄妹揃って悪党のくせに!!」
兄のことに触れられたスレインは、先ほどの笑みを消す。
「今回のことで、ラルカンが何を考えているかわかっているでしょう? 国家皇族のことなんて何も考えちゃいない。自分の権力をいかに拡大するか。あいつの頭にあるのはそれだけよ。憲兵隊のことだって」
ディートリントが言及した「憲兵隊のこと」とは、ゼクが脱獄して騒ぎになった後に総隊長が自殺したという件だろう。
「総隊長を殺したのはラルカン・リードよ。近衛騎士団の縄張りを広げるために、憲兵隊を叩いた。そうでしょう?」
「……証拠はない」
「しらばっくれるのね。それだけじゃないわ。今回だって、わざとヴコール将軍を皇帝を殺しやすい場所に配置した。逆賊ヴコールの首を取って自分が名を上げるためにね。あなただって利用されているだけ。気づいていないの? だとしたら、この上なく哀れね」
わざとだ。ディートリントはわざとスレインを怒らせるようなことを言っている。それが彼女なりの最後の抵抗なのだ。
そうとわかっていながら、スレインはゆらりと亡霊のような視線を向けた。
「……言い残すことはそれだけでいいか」
きらりと刀身に光が反射する。
「あなたが一番の悪党よ」
「そうか」
稲光のような剣筋が、ディートリントの首に向かって一直線。
だが、ぶつかったのは鉄の刃と――氷だった。
「いやだわ、か弱い女の子をいじめるなんて。本当に悪党じゃないの」
振り返ると、いつも通り気だるそうなロゼールがマイペースな歩調で近づいてきていた。
倒れているディートリントの首の辺りに、薄い氷の膜のようなものが見える。ロゼールが彼女を守るために仕込んだものにちがいなかった。
その氷は首輪のように巻き付いて、彼女を地面に拘束する。
「ごめんなさいねぇ、冷たいと思うけれど」
「ロゼール。君は――うっ!?」
スレインが悲鳴を上げたのは、ロゼールが無遠慮に腕の傷口を小突いたからだった。
「すぐ自分の怪我を後回しにするんだから」
「……悪かった」
気まずそうにスレインがポーションを取り出す傍ら、ロゼールは床にへばりついて動けないディートリントのそばに屈みこむ。
「可愛いディートちゃん。あなたは何もかも忘れて、あなたの大嫌いな騎士団長様から遠く離れた場所に行きなさい。それが一番幸せよ」
「逃げるくらいならここで死ぬ。私は父の無念を――」
ロゼールの凍てつくような視線が、ディートリントの言葉を途絶えさせる。
「あなた、騎士団長様やスレインのこと、さんざん卑怯だの悪党だのって言ってたけれど――無関係のノエリアちゃんを後ろから斬りつけたあなたも全然変わらないわよ。そうでしょう? 騎士を気取りたいだけのお嬢さん」
「! それは……」
「お父様のため? そう。騎士団長の地位を奪ったラルカン・リードと正面から戦わない時点で、初めからあなたの負けなの。あなたはお父様を失った悲しみを復讐で紛らしたいだけ。あなたに復讐の権利はない。わかったら田舎に帰りなさい」
一通り言い終わったロゼールは、茫然としているディートリントを残してさっさと立ち去ろうとしている。スレインもその後を追った。
「ひどいな、か弱い女の子をいじめるなんて」
「これは私の趣味だからしょうがないの」
「やっぱり君は性格が悪い。……ノエリアのことで、相当お怒りのようだな」
「私、結構怒りっぽいかもしれないわ。あなたほどではないけれど」
スレインは苦笑しつつ反省する。あのままディートリントの首を刎ねていれば、エステルを悲しませることになったかもしれないのだ。怒りに任せて人を殺すなど、あの優しい少女を苦しめるだろう。
「ねえ、ところであなた……」
ロゼールがふと何かを思い出したように、足を止めた。
「お兄さんとエステルちゃんのどちらかを選べって言われたら、どうする?」
あまりにもあっけらかんと――それでいて、あまりにも深刻な質問を投げかけられ、スレインは答えに窮した。
「……何を……言うんだ、いきなり」
「たとえば、お兄さんとエステルちゃんの利害が対立しちゃって、どちらかにつかなければならないって時。選ばれなかったほうは死ぬ運命にあります。さあ、あなたならどうする?」
少女のように無垢な顔で、残酷な二択を迫るロゼール。
その瞳は漆黒の闇のようで、そこに映っているのは間違いなくスレイン自身で、凍り付いてしまったかのようにその場から動けないでいる。
「……そんなの――」
「『選べるわけがない』? 自分が犠牲になれば済む話だなんて思ってないでしょうね? どちらにせよ、目の前の問題から逃げているのは一緒よ」
「……」
「このままだと、あなた――死んじゃうわよ?」
ずしりと心の臓腑に響く言葉。
スレインにとって、大義のために死ぬことなどなんでもなかった。騎士たるもの、死を恐れず果敢に戦うべきだと――そう、兄に教えられてきた。
だが、ロゼールに言われて初めて、自分が死ねばどうなるかということに思いを馳せる。
改めて、じっと自分を見つめたままの彼女を見る。夜空のように黒い鏡面の、その向こう側――
彼女はほんのわずか、微笑みを浮かべた。喜んでいるような、どこか寂しいような。
ぐい、と彼女は強引にスレインの手を取った。その指に嵌められた水晶に、軽く触れる。
◇
「スレインさん? どうかしました?」
『あ、いや……』
突然連絡をくれたスレインさんは、珍しく口ごもっている。何か重大な報告かと思って私も身構えたけれど、そういう類いのものではないらしい。どうしたんだろう。
返事を待っていると、代わりにロゼールさんの声が聞こえた。
『エステルちゃん。この子ってば、あなたのこと大好きすぎて落ち込んじゃってるの。励ましてあげてくれない?』
「え?」
『な、何を言うんだ!!』
なんとなく、私に連絡が来た経緯が想像できてしまい、思わず吹き出してしまった。
「心配しなくても、私もスレインさんのこと大好きですから。元気出してください!」
『…………ああ』
『ありがとう。顔真っ赤にして喜んでるわよ』
『ロゼール!!』
「もちろんロゼールさんのことも大好きですよ」
『ええ、知ってる』
「あはは」
こんなところで和やかに談笑している私たちを、トマスさんは呆れたような目で見ている。
違うんですよ、ふざけてるわけじゃなくて、これは必要なことなんです、たぶん……。
通信を切る寸前、「この悪女め」と吐き捨てるスレインさんの声が聞こえた気がした。
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