凍てつく眼差し
にっこりと微笑みかければリベカがどういう反応を示すか、ロゼールには手に取るようにわかる。
部下を置いて逃げる者に尽くす忠義はない。しかも自分にとって恐怖の対象でしかない敵と相対して、寝返れという誘惑をちらつかされれば、短絡的に飛びついても不思議ではない。――普通ならば。
「……ざっけんじゃねぇ!!」
ぶん、と力任せに振られた腕が空を切る。
「逃げただと!? サラの姐御は頭がいいんだよ!! テメェらをぶちのめす算段を練ってんだ。舐めた口利くんじゃねぇ!! テメェだけでもぶっ殺してやる!!」
先ほどの恐怖心はすっかりかき消えたようで、リベカは血走った赤い眼をロゼールに向ける。
「あら可愛い。さっきまであんなにびくびくしてたのに」
「黙れッ!!」
闘牛のように直進して殴りかかってきたリベカだが、地面から三叉状に突き出た氷の杭に身体を捕捉された。
「このアマ……ッ!!」
リベカは怒りで戦意を取り戻している。かわりに冷静な判断力を失わせる――などという心づもりはロゼールにはなかった。あのまま臆していたほうが仕留めやすかった。
なぜ怒らせるような真似をしたかといえば、そのほうが面白いからだ。
尊敬している人を馬鹿にされて、頭に血が上って必死になる様が見たかった。ただそれだけである。
敵が強くなれば当然不利になるのだが、そんなことはロゼールにとってはどうでもよかった。
さすが魔人の膂力というべきか、頑丈な氷にビシッとヒビが入り、少し崩れたところから脱出したリベカは身体の自由を取り戻す。
そして再び駆け出すが、今度は氷を避けるためにジグザグに走行し、足止めをすることができない。
瞬く間に肉薄したリベカは大きく腕を振りかぶり、ロゼールを思いきり殴り倒した。
しかし、響いたのは拳が金属を叩くような音だった。
ゆっくり立ち上がったロゼールの頬は、薄い氷で覆われている。
そこに付着した血痕は、リベカの裂けた拳から出血したものだった。
「いたた……。でも、あなたのほうが痛そうね」
「チッ……」
リベカは回復魔術で手を治療し、めげずに何度も拳を突き出す。そのたびに鋼鉄のような氷に傷をつけられるのだが、回復すればいいだけだと考えているのだろう。
ロゼールも防御しているとはいえ殴打の衝撃は受けており、だんだんと壁に追い込まれていった。
チャンスだといわんばかりにリベカは両手を回復することもせず、逃げ場を失ったロゼールに渾身の一撃を叩きこむ。
グシャッ、と肉が潰れるような鈍い音。
床に血をまき散らしたのは、ロゼールではなくリベカだった。
壁からは氷の柱が地面と平行に突き出ている。ハンマーのように魔人を吹き飛ばした柱の先端には、やはり生々しい血がこびりついていた。
「っ……ぐ……!!」
傷の上にさらに強烈な一撃を食らったリベカは、痛みのあまり立ち上がることもままならないようだ。
ロゼールはゆっくりと歩み寄りながら、軽く右腕を横に振った。
ビシ、と這いつくばっているリベカの足を氷が覆う。
「ッ!!」
息を呑んだときにはすでに遅く、氷はパキパキと次第に身体全体を包んでいき――空気に触れているのが頭部だけになった。
「ごめんなさいね。可哀想だけど……あなたがいると、うちの可愛いお嬢さんが苦労しちゃうの」
「この……クソアマが!! テメェら全員サラの姐御にぶっ殺されちまえ!! あのザコリーダーと一緒にな!!」
それまで哀れな魔人を楽しげに見下ろしていたロゼールの瞳が、暗澹と濁っていった。
「……心配でしょうがないのねぇ。大丈夫よ。あなたの大好きなサラさんも、あなたと同じように――凍らせてあげる」
絶望に染まったままのその顔を、冷たい膜で閉じ込める。
「私の氷は100年は解けないわよ」
少し遊びすぎたかしら――と思いつつも反省する気のないロゼールは、静寂と氷塊に覆われた部屋から、足音だけを響かせて去っていった。
◆
かまいたちのような太刀筋は、風を裂くばかりで標的には当たらない。
ディートリントの速さに慣れ切ったスレインは、最小限の動きでその剣をかわしていく。
水平に振られた剣を屈んで回避すると、すかさず足払いをかけて彼女を横転させる。
「くっ……!」
スレインは間髪入れずに手をついたディートリントに向かって石像を蹴り倒す。
ディートリントは降ってきた鈍器を転がってよけるが、石像が床に激突して砕けた音と同時にスレインの直刀が彼女に振り下ろされる。
2つの刃がぶつかる。
「ひ……卑怯な手ばかり使って!!」
「君にかかっている魔術は卑怯じゃないのか」
ディートリントがぎりっと歯を食いしばりながら、力任せに剣を振り払う。
「あなたもあの男と変わらない。姑息で卑劣な悪党よ……!!」
「兄上は関係ない」
冷徹な眼が立ち上がるディートリントを捉える。
スレインはいい意味で力が抜けていた。自分から攻撃する気は毛頭なかった。時間を稼いでいれば、ロゼールがどうにかしてくれると信じていた。
ディートリントの攻撃は鋭いが単調だ。そういう性格なのだろう。
次は中段の突きを繰り出そうという姿勢だった。スレインは剣の切っ先に神経を集中する。
だが、突き出された刃の動きに違和感を覚えた。
気づいたときには、死角から回し蹴りが飛んできた。
咄嗟に腕で受けたものの、その衝撃でよろけた隙に胸倉を掴まれ、スレインは床に押し倒される。
だが、ひるんでいる場合ではない。剣を振り上げたディートリントの両目に、思いきり指を突き出す。
「いっ!!」
痛みに目を瞑りつつ、それでも振り下ろされた剣は狙いよりわずかにずれて、スレインの上腕に突き刺さる。
スレインはその激痛をおくびにも出さず、ディートリントの両腕を掴んで押しのけようとする。が、向こうも当然抵抗するわけで、この単純な力比べは強化の術がかけられている彼女のほうが有利である――はずだった。
はっとディートリントの顔が青くなる。
その理由を瞬間的に了解したスレインは、ぐっと力を入れてのけぞらせた彼女に、半身を起こしたまま頭突きを叩きこんだ。
「うあっ!!」
鉄の兜を顔面に受けたディートリントは、鼻血を垂らしながらよろよろと後ずさる。
「ロゼールは上手くやってくれたらしいな」
腕から血を流しながらもしっかりと起き上がったスレインは、剣を持って不敵な笑みを浮かべる。
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