ツーマンセル

 宮殿北側の広い廊下は、並木のように整列した石像、美しい色彩の壁画や天井画、派手な模様のカーペットで豪華に飾られている。


 今、そこに加わった新たな装飾は――青々と広がる氷に、真っ赤な鮮血。


「なぜここに騎士団長が――」


「違う!! 妹のほうだ!!」


「弟じゃなくて?」


 口々に声を発した騎士たちは、話題に上げた当人に次々に斬り捨てられていった。


 彼らはディートリントとともに近衛騎士団を裏切った騎士たちだ。兄を裏切ったというだけでスレインにとっては万死に値する人種であり、天誅を下すかのように容赦なく直刀の餌食にしていく。


「ま、待て!! 私は団長を裏切ってなど――」


 情け無用、スレインは助けを乞う者まで血で染め上げていく。

 後方から矢を放とうとしていた者は、瞬く間に飛んだ矢も含めて氷漬けにされた。


「そんなに怒らなくてもいいんじゃない? 本当に裏切り者じゃない騎士がいたらどうするのよ」


「そのときは君が止めるだろう、ロゼール。君のほうこそ、いつもより機嫌が悪そうだな」


「……そうかしら」


「そうだとも」



 スレインはロゼールがなぜ不機嫌なのか、だいたい見当がついている。

 その元凶が姿を現し、ロゼールが普段の余裕の笑みを消したことで、それは確信に変わった。


「ディートリント」


 その名を呼んだスレインは、兜の下から鋭い眼差しを向ける。

 裏切りの騎士を束ねる彼女は、前よりもだいぶ落ち着き払っているように見えた。


「私以外の者に手を出すのは、いただけないな」


「今更そんなことは気にしていられない」


「君は本来そんな人間じゃない」


「わかった口を聞くな!! ……構えろ」


 手を出すなよ、とスレインは左手でロゼールを制止する。


「……ディートちゃん、前と雰囲気が違うわね」


 ぽつりと呟いたのは、警告ともとれる言葉。だが、スレインも元から手を抜くつもりはなかった。



 刃を構えた2人が、地面を蹴ったのはほぼ同時。

 その時点で、スレインにはすでに違和感が過っていた。記憶にあるよりも、ディートリントの動きがだいぶ速い。


 ガン、という金属音が響いたかと思えば、スレインのほうは力負けして後ずさっていた。


 まだ手首にびりびりと衝撃が残っている。

 不自然な強さを見せたディートリントは、なんらかの魔術で強化されているのでは――と推測したスレインは、それができる人物に行きついた。


「……リベカという強化魔術を使える魔人がいたな」


 ディートリントは険しい顔のまま黙っている。


「あら、真面目なディートちゃんがそんな手を使うなんて。……雇い主の案かしら? じゃあ私はリベカちゃんのところに行って、そのずるーい技をやめさせてあげなくちゃ」


 ロゼールがわざと煽るような調子でディートリントの顔を覗き込む。

 深海のような碧い瞳をちらっと向けられて、スレインは彼女の意図を悟った。


「強化の術は時間が限られている。効果が切れたときにかけ直せるよう、術者は近くにいる。違うか」


「その通りみたいよ」


「だが……魔人でありながら姿を隠すような真似をしているということは、前に負った傷が癒えていない。そうだな?」


「ええ」


「この近くで、身を隠せる場所……会議室、儀典用の広間、執務室――」


「広間ですって。どこにあるの?」


「向こうを右に曲がって3つ目の部屋だ」


「ありがとう、ディートちゃん」


 一言も発していないのにお礼を言われたディートリントの脇を、ロゼールは髪をかき上げながら素通りしようとする。



「――待て!!」


 ロゼールに刃を向けたディートリントの死角から、スレインが鋭い剣先を突き出してその足を止める。

 切り落とされた髪の毛だけが、ぱらぱらと宙を舞う。


「斬りたくなる気持ちはわかるが、通すわけにはいかない。そちらがそういう手で来るのなら――私も手段は選ばない」


 鋭刃のような眼光は、もはや騎士のそれではない。



  ◆



 気味の悪いほど均等に整列されている柱と椅子が並んだ広間。

 外の喧騒とは隔絶されているかのように静寂に包まれており、ロゼールが大理石の床を踏む足音だけがコツコツと反響している。



 敵の気配はない。

 違う場所にいる、という可能性は低い。ロゼールは確かに、この場所の名を出されたときのディートリントの反応を鋭く感知したのだ。どこかに隠れているはずだ。


 しらみつぶしに探し回るなど面倒だ。ゆっくりと腕を上げ、細長い指が天井を向く。


 と、彼女を中心として放射状に床を氷が走り、蛇のように伸びていったそれは壁を天井を伝って、大広間を埋め尽くしていく。


 目を眩ませるだけの派手な色彩の装飾も、権威を主張するだけでなんの面白味もない絵画も、荒波のような氷塊に覆われて見る影もなくなってしまった。



 ガキッ、と隅のほうから鋭い音が響いた。


 氷の波から逃れ出てきた人影を見て、ロゼールは満足そうに笑った。


「見ぃつけた」


 久しぶりに見たその女の魔人は、以前の粗暴で驕り高ぶっていた姿とは打って変わって、哀れなほど怯えていた。

 顔の包帯が覆う傷は痛々しく、子犬のような目はそれを負わせた者たちへの恐怖が楔のように心に打ち付けられていることを物語っていた。


「おっ……お前、1人か?」


 魔人リベカは虚勢を張りつつも声を震わせている。


「ええ。今は――って言ったら、どうかしら? あの暴力男……あなたたちが呼ぶところのゼカリヤも、この後現れるって言ったら?」


「……!!」


 明らかにすくみ上っている。ゼクに怒涛の殴打を食らったことが、相当な心の傷になっているらしかった。


 ――なんだか、可哀想になってきたわね……。


 そんな同情が芽生えても、優しくしてやろうという意志はロゼールには存在しない。ただ、遊びたいという子供のような無邪気で残酷な誘惑が生まれただけだ。


 本当は遊んでいる暇などない。早くこの魔人を無力化し、ディートリントの強化の術を無効にしなければならない。

 だが、そういった合理的な考え方など、ロゼールの性格からはもっとも遠いところにある。



 鏡のように澄んだ碧眼が、リベカという人間を捉える。


 彼女がどういう人間で、どういう性格で、何を大切にしていて――何をすれば、怒るのか。


「そんなに怖い思いしてまで、やらなきゃいけないことなのかしら」


 独り言のように呟きながら、それでいてじわりと相手の内面に沁み込むような言葉。

 リベカは虚を突かれたように顔を上げる。


「見たところ戦えるような状態でもないのに、都合のいい魔術が使えるからって戦地に引きずり出されて。あなたに命令している人って、あなたのこと全然考えてないんじゃないの?」


「……サラの姐御は……そんなわけ、ねぇ」


 リベカは怯えをかき消すように反論する。彼女にとって、サラは利害を超えて尊敬と親愛を寄せる相手なのだろう。

 それを感覚的に理解したロゼールは、「ふぅん」とあえて興味なさげな相槌を打ち――


「でも、あなたの大好きなサラさん? とっくに逃げちゃったわよ」


 ぴく、とリベカは目を丸める。


「ちょっと私たちが追い詰めたら、よ。情けないわねぇ。そんなのに付き従うなんて馬鹿らしいと思わない? そうだわ。あなた、私たちの味方になりなさいよ。こっちには半分魔人みたいなのもいるし、温かく迎えてあげるわ。どうかしら?」

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