少女の願い
エステルからの報告によると、ロキはなんとか一命をとりとめたらしい。
急いでヘルミーナを連れていく必要もなくなったのだから、彼女の指定した人物のところへ行くほうがいい、とマリオは判断した。
武器庫となっている塔にいたその人物は、2人が並んで歩いているのを見て大きく顔を歪めている。
「この小娘……やはり、我々につく気は初めからなかったというのですね?」
腐っても将軍であるヴコールの猛々しい睥睨に、ヘルミーナは見向きもせずに上目がちにマリオの顔を伺う。
「あ、あの、私……」
「そうだねー、前みたいな感じで行こう」
「う、うんっ」
無視されたヴコールは不機嫌を露わに舌打ちし、周りにいる部下たちに目配せする。
「敵は2人になりました。さあ、ここで始末しなさい」
しかし、先ほどのマリオの戦いぶりにまだ恐怖が残っているのか、ヴコールの部下たちは攻撃をためらっている。
「……何をしている!! 早くやれと言ってるんだ!! 怖気づいている奴から殺すぞ!!」
その怒声で、半ばヤケ気味に兵士たちが2人に向かっていく。
全員考えることは一緒で、得体の知れない糸使いの男よりも、弱々しい華奢な少女に真っ先に武器を叩きこんだ。
ガン、と金属が弾かれる音。血は一切流れない。
彼らの刃はヘルミーナに傷1つつけることはできない。<硬化>の術で刃を食い止め、<防護>の術で衝撃を殺す。恐ろしいほど速く、効果の高い補助魔法の重ね掛け。
兵士たちが驚いている間に、気づかれぬよう仕掛けられた糸がヴコールの身体を宙づりにする。
「ぬおっ……!?」
「し、将軍!!」
「何をしている!! 早く助けなさ――」
言い終わる前に、その場にいた部下全員の身体がバラバラに切断されて地面に落ちる。
あまりに一瞬で、床に浸水したかのように血の池が広がっていく。部屋中に張り巡らされていた糸から、赤い雫が滴っている。
一見弱そうに見えて、その実鉄壁の彼女に敵の攻撃を集中させ、油断したところに暗殺者が切り込んでいく。
それが、<ブリッツ・クロイツ>時代の常套戦法だった。
「す……すごい。モーリス、いつこんなの仕掛けたの?」
「うん。来たときからいろいろ仕込んで、こう走りながら……口で説明するの、難しいんだけどね」
凄惨な光景を前に、少女は無邪気にはしゃぎ、殺し屋は穏やかに笑っている。逃げ場のないヴコールの顔から血の気が引いていく。
「そうだ。ヴコール」
「ひっ!!」
「ぼくと友達になろう」
マリオは手を差し出すが、ヴコールは顔を引きつらせたまま動かない。
彼は手足を縛られ自由を奪われていたのだと気づいたマリオは糸をぐっと引っ張り、ヴコールの右手を持ってくる。ゴキッと鈍い音がしたものの、マリオは構わずその手を握ってしっかりと友情を誓った。
「ねえ、モーリス。あの――」
その小さな声を、甲高い叫びがかき消す。
「ま、待ってくれぇ!! 私が悪かった!! 命だけは助けてくれ!!」
細い目から覗く小さな瞳だけが、ヴコールに向けられる。
「たっ……助けてください。な、なんでもしますから!! 欲しいものがあれば――」
マリオは転がっている死体から適当に衣服をちぎり取って、ぎゃんぎゃん喚きたてる情けない老兵の口にぐっと押し込んだ。
「んぐっ……!!」
「ごめんねー、ちょっと静かにしててね」
これでよし、とマリオは照れ臭そうにもじもじしているヘルミーナに向き直る。
「あ、えっと……今度はちゃんと、お願いしたいことがあって……」
「うん。なんだい?」
彼女はしばらく言いづらそうにしていたが、意を決したように――その、黒い瞳を上げた。
「その人を、できるだけたくさん苦しめてから殺してほしいの」
その言葉を聞いたヴコールがいかに絶望したか、見るまでもない。しかし、マリオはすぐには賛同しなかった。
「拷問ってこと? そこまでする必要あるかなぁ」
「だ、だめ……かなぁ。でも、私、そうしてくれないと……嫌」
普段控えめな彼女がここまで言うのだから、とマリオは考えを改める。そもそも自分が受けた命令は「ヘルミーナを助けること」だったはずだ。
「うん、わかった。君が言うならそうするよ」
「ほ、本当? あ、あのね、私が回復するから、いっぱいやっていいよ。手足とか切り落としても、治せるから……」
「本当かい? ヘルミーナはそんなこともできるようになったんだねぇ」
「う、うんっ。くっつけて、ちゃんと動かせるようになるまでは時間がかかるんだけどね、その人は大丈夫でしょう? だって、もう動かなくなるんだから」
「まあ、そうだね。ここがちょうど武器庫でよかった」
そのやり取りを聞いていたヴコールは完全に血色を失くしている。
マリオは奥のほうにある小汚い木箱から、ひどく錆びついた剣や何かを持ってくる。
そうして宙づりになったヴコールを地面にドサッと下ろし、その身体を足で押さえつけた。
「ヘルミーナも今後のために練習しておいたほうがいいよね。じゃ、左足首からいくよー」
切れ味の悪そうなガタガタの刃が、うつぶせに転がされた身体の縛られた踵にぐっと食い込む。
「ふぐっ!! ふおおおおおおおっ!!!」
当然スムーズに斬れるはずもなく、刃を何度も突き立てたり、ぐりぐりと動かしてみたり、しまいには金槌で叩いて無理やり食い込ませたりと試行錯誤をくり返し、そのたびに猿ぐつわで封じられた口から言葉にならない絶叫が押し出された。
「見たくなかったら、見てなくてもいいんだよ」
「ううん、ずっと見てたい……」
「そっか。じゃあ、次は膝のあたりをやるから頑張ってねー」
すでに剣としての機能をほぼ失っているそれは、血と脂でさらに切れ味を落としており、もはや肉や骨を砕く鈍器となった。マリオはある程度切断部分を傷つけた後、ついには糸で引っ張ってちぎるという手段を取ることにした。
1度切るだけでも相当な時間を要するのに、ヘルミーナがすぐに回復してしまうものだから、その苦痛の地獄は恐ろしいほど長引くこととなる。
もはや発狂寸前となったヴコールが、上手く発話できないながらも叫んだ「もう殺してくれ」という望みが叶ったのは、ずっとずっと後になってからだった。
◇
私はマリオさんからの報告を、ただ黙って聞いていた。
内容はとてもいいものだった。ヘルミーナさんは無事にこちら側に戻ってきてくれて、敵の主力の1人でもあるヴコール将軍を仕留めた、という。
それでも私の胸には、なんだかよくわからない、ざらざらした感覚があった。
『――そんな感じなんだけど、これからどうすればいいかな』
「あ……えっと、その前に、その……」
『なんだい?』
「ヴコール将軍のことを、あのー……なんていうか……」
私が言いよどんでいると、マリオさんは考えるように少し黙った後――ほんのわずかなため息を漏らした。
『ぼくのやり方は、まずかったかな』
何も言えなかった。そっちで何があったのかはわからないし、マリオさんが何かまずいことをしたとしても、それを咎めることに意味があるのか……。
『こういうことはしないように気をつけるよ』
「……ありがとうございます」
だけど――いつも通りの淡々とした口調だったけれど、マリオさんが私のことを気遣ってくれたのが、ちょっとだけ嬉しかった。
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