言葉の向こう
魔物たちの猛攻を退け、礼拝堂に急いできたシグルドは、その光景に絶句する。
「ふざけるな……」
『お前は口が悪いからな、言葉と心が離れるんだ』――彼の師匠はそう言っていた。その意味を理解したのは、何もかもを失った後だった。
師匠は戦争で死んだが、そのことではもう誰も恨んでいない。戦を煽ったのは悪名高い「悪童王」だったが、そもそもはハイエルフがダークエルフに差別意識を持っていたことが対立の根源で、かつては自分もその立場にいたのだから。
種族や身分などで人間に境界線を引くのはやっぱり「言葉」で、それを上手く使えないのならいっそ口を閉ざしたほうがいい。だから、シグルドは喋ることをやめた。特に、自分の感情や意志を言葉にするのは。
だが、胸の奥からこみ上げてくるものに歯止めがきかなかった。それは怒りのようで、そうではない何か――激情のようなものだ。
こうなるのではないか、という予感はあった。止めるつもりで会いに行ったときは、ただ礼を言われただけだった。あれは別れの挨拶のつもりだったのだろう。
それでこの結果だ。シグルドは何もできない自分が歯がゆかった。
勢いよく踏んだ血だまりからバシャッと赤い飛沫が跳ねる。
ぐったりと倒れるロキの手首を取り、脈を確かめる。
かすかだが――まだ生きている。
シグルドは革袋からポーションを取り出し、傷口にぶちまけた。本来は飲用あるいは注射で効果を発揮する薬品であり、こんなのは気休めでしかない。
簡単な手当を済ませたが、もはや時間の問題だった。
早々にヘルミーナを呼ばなければならないが、彼女がどこにいるかわからない。
それに、トマスの姿がないのも気がかりだった。彼は今敵地に1人でいるのではないか。皇子が死んでは意味がない。
早く、仲間の元へ――
焦るシグルドをあざ笑うかのように、礼拝堂の扉がガンガンと鳴る。あの魔物の群れが押し寄せているのだ。
「……!」
ギリ、と奥歯を噛み締めながら、傍に転がっていた剣を手に取る。ロキが使っていたらしいそれをぐっと力強く握ると、物静かな男の顔がたちまち猛々しい武人のそれに変わっていった。
◆
これは人工的に生み出された魔物だな、とヤーラは床に転がっている黒い人型の死体に手を当てて判断する。
ホムンクルスに近しいそれは明らかに錬金術の産物で、高度な技能を持つ錬金術師が敵にいることは間違いなかった。
それも厄介ではあるが、現状の問題は――命が危ういというロキがいる礼拝堂の入り口が、その黒い魔物の群れで封鎖されていることだった。
ヤーラは戦闘員ではないので、なすすべがない。
応援を呼ぶべきだ、とエステルに連絡を取ろうとして、ふと思った。
――僕は、本当は……戦えるはずじゃないか。
ホムンクルスのことはもちろん、聞いた話によれば、目で見ただけで人体を破壊したり修復したり、人の魔術を改変して空間を丸ごと作り変えたりできたという。
どうやったものか、まったく記憶にない。それが、本当に情けない。
余計なことを考えているうちに、はっと気づく。
黒い集団のうちの1体が、ヤーラのほうを見ている。
そのまま何体かが群れを離れて近づいてくる。何か薬を撒いて追い払わなければ、とヤーラは鞄の中を漁るが、何を使うべきか、そもそも彼らに効きそうなものはあったか――などと思案しているうちに、敵は目の前に迫っていた。
が、瞬く間にその魔物たちの頭部に次々と矢が突き刺さった。
黒い塊をかき分けて出てきた長身の男が、肩で息をしながらヤーラのほうを見る。
弓と剣という装備でぼろぼろになりながら戦っていた男――シグルドは、少し驚いたように目を開いたものの、すぐに状況を理解したのか疲れた顔に覇気が戻った。
シグルドは「早く中に入れ」と促すように礼拝堂の中を指差す。ヤーラはこくんと頷き、魔物たちが剣で払われている隙間を縫って中に駆け込んだ。
後から入ったシグルドが壊れた扉を閉めると、すかさずヤーラが手を当ててもう開閉できないように扉を作り変える。
ドンドンと外から叩く音がするが、中には入ってこれないようで、ひとまず危機は去った。
「あの、大丈夫ですか……?」
長椅子に手をかけて息を弾ませているシグルドは、自分のことよりも、と奥のほうを指し示す。
床に広がるおびただしい量の血。その中に横たわっている人間は、簡単な処置は施されているものの、それでは到底間に合わないとすぐにわかる。
これはもう、手遅れなんじゃないか――と、ヤーラはその有様を見て青ざめる。
目が合ったシグルドは、半ば諦めたようなため息を漏らした。
「や……やれるだけのことは、やります」
「……」
入り口は封鎖してしまったので、応援を呼ぶにしても時間がかかる。
ロキを助けられるかどうかは、1人の錬金術師に委ねられた。
ひとまず回復薬を注射しようとその腕に触れて、あまりの冷たさに思わず手を離した。
死んだ弟のことを思い出した。あれだけ大声で泣き喚いていたのが、だんだん静かになって、柔らかくて温かい肌は冷たく硬直して――
気がつけば、震える手の親指の爪を、ぐっと噛み締めていた。
「気にするな」
聞きなれない声にはっと顔を上げたヤーラは、そちらを振り返る。
長椅子にもたれたシグルドは、空中をぼんやり見つめながら、静かに息をつく。
「その悪ガキはな、ハナっからテメェが死ぬことも織り込み済みで、この作戦を立ててやがったんだよ。だから……君は、気にしなくていい」
怒りがこもっているようで、どこか寂しげな、それでいて優しい――不思議な声音だった。
「……死に場所が――ほしかったんだろ、この野郎は。誰もかれも、俺より先にくたばりやがって……くそったれ」
――ああ、この人は何としてでも助けないと……。
シグルドの言葉を聞いて、そうしなければならないような義務感が生まれた。理由はわからないが、絶対にロキを死なせてはならない気がした。
そんなヤーラをシグルドはぼんやりと眺めていたが、少し不思議そうな顔をした後、何かを悟ったのか、「すまない」と謝るように小さく礼をした。
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