実の妹
カタリナがいない。
父を緊急の避難場所に移したトマスだが、そこにいたはずの妹の姿がないことに焦っていた。先に逃げていた母たちもカタリナの行方は知らないという。
さらに、敵に通じているオットリーノも消息不明だ。
トマスはロキとシグルドを伴って2人を捜索していたが、一向に見つかる気配がなく、途方に暮れていた。
「……こうまで姿が見えないってことは、もう限りなく黒に近いって考えたほうがいいんじゃない?」
ロキの言葉が頭に響く。
黒い噂があっても、トマスはどこかで妹は違うのではないかと信じていた。本当は誰かに利用されているだけなのでは、と。
ドドド、という足音で、3人は一斉にそちらを見た。
例の黒い魔物たちが、こちらに迫ってきている。
示し合わせる必要もなく、3人は同時に逃げ出す。
しんがりを務めるシグルドが矢で撹乱するが、数の多さに対応しきれていないようだった。幸い敵は機動力はそこまででもなく、すぐに追いつかれる心配はない。
トマスたちは、ひとまず手近な部屋に避難した。
「クソ! ミアたちは何をやってるんだ?」
「数が多すぎるのか、何かトラブったか……。いずれにしろ、ここも長くはもたないよ。さっきみたいに壁をぶち破られる」
そこでロキとシグルドが目を合わせる。シグルドは苦い顔で小さく舌打ちをし――短剣を抜いた。
「おい、シグルド……まさか、それ1本で連中とやり合うつもりか?」
「この百戦錬磨の爺さんなら大丈夫。で、その間にボクらはこいつらを生み出した元凶のオットリーノを捜しに行く。カタリナが黒なら一緒にいると思う」
「……待て。その前にどうやってこの部屋から脱出するんだよ。入り口は敵が群がってるぞ」
「それもご心配なく」
ロキはトマスの手をぐっと引くと、何もない壁に向かって走り出した。
「おい!?」
バキッ、とドアが破られたのは同時だった。シグルドは目にも留まらぬ速さで突っ込み、先頭の魔物から切り裂いていく。
トマスのほうはロキと一緒に壁にぶつかりそうになり、冷や汗をかいたのも束の間――
するり、と2人は壁をすり抜けた。
「!?」
わけもわからぬまま隣の部屋に移動したトマスは、はっとその絡繰りに気づいた。
「ロキ、お前……魔術、使えたのか」
「まあね~」
「……今までふらっと消えたり、どこからともなく現れてたのは――」
「今みたいな、すり抜けと透明化の術でーす。さて、あまり時間がないよ。あの2人、この宮殿の中のどこにいると思う?」
◆
規則正しく並んだ椅子を大きな十字架が見下ろす、鮮やかなステンドグラスに彩られた神聖な空間。宮殿の南側にある、大きな礼拝堂である。
その重々しい扉がギギギ、と開く。
「カタリナ、いるか!?」
トマスの声が静かな聖域に反響する。
「……お兄様?」
「カタリナ!」
トマスが探していた妹は、講壇の影から恐る恐る顔を出した。
中に入って扉を閉めたトマスは、彼女のもとへ駆け寄る。
「無事か!? どうしてこんなところに?」
「わたくし、逃げ遅れてしまって……。誰もいない礼拝堂なら安全だって――オットリーノが」
その名を呼ばれた老人が、脇からゆっくり姿を現す。
「おお、トマス殿下! ご無事そうで何よりでございます……」
普段通り、大げさに感動してみせるオットリーノ。しかしトマスは、警戒したように身を引く。
「……なあ、爺」
「なんでございましょう」
「外の黒い魔物、見たか? あんなの図鑑にも載ってなかったし、仲間も見たことがないっていうんだが……。前に新種らしい魔物を倒したときも、協会の錬金術師が『あれはホムンクルスと同じ』だっていうんだ。爺は……何か、知らないか」
「……さて……私には、わかりかねますな」
「そんなはずないだろう」
トマスは語気を強める。オットリーノはすっと口を閉ざした。
「俺を狙った暗殺者がお前の名前を出した。見たことのない魔物たちは、全部お前がこしらえたものなんだろ。外の結界だって、ガストーネが死んだのに消えてない。これも、俺たちを閉じ込めるための――」
「お、お兄様? オットリーノが魔物を、なんて……。それに、ガストーネが死んだというのは……」
カタリナは自分の付き人が死んだと聞いて青ざめ、本心から戸惑っているようだった。
トマスはほんのわずか安堵の色を顔に浮かべるが、それどころではないと思い直したのか、すぐに表情を引き締める。
「カタリナ、説明は後にさせてくれ。爺、なんでだ? どうしてこんなことをしたんだ……?」
しばしの沈黙の後、老人がゆっくり口を開く。
「――……すべてはトマス坊ちゃまのためでございます」
意外な答えだったからか、懐かしい呼び方をされたせいか、トマスは少したじろいでいる。
「すでにお察しかもしれませんが、宮廷も……いや、人間界も、どうしようもないほど腐敗しております。坊ちゃまのご両親も、側近の多くも、坊ちゃまが死に……妹君に帝位を継いでほしいと願っております」
「……父上や母上も、か」
「左様でございます。カタリナ皇女殿下のほうが都合がいい、とお考えなのでしょう。それに勇者協会まで協力する始末。坊ちゃまが帝位に就いたところで、この世界は救いようがないのでございます。ですから――」
世を儚むように天井を見上げていたオットリーノは、ゆっくりとトマスに視線を戻した。
「今のうちに、楽に終わらせてさしあげようと思ったのでございます。この爺が――いえ、我々が」
トマスはまったく気づいていなかった。
刃物を持ったカタリナが、背後から刺そうとしていることに。
だが、その刃がトマスに届くことはなかった。何かに手首を掴まれたカタリナは、驚いたせいか握っていたナイフを手放す。
「――ずいぶん大胆だねぇ、お嬢さん」
ロキはずっと礼拝堂にいた。魔術で姿を隠したまま、様子を見守っていたのだ。
「いけないんだよ~、実の兄を後ろから刺しちゃ。世界人類が不幸になる」
「この、ドブネズミ……!!」
先ほどの清楚な振る舞いは影もなく、カタリナは憎々しげにロキを睨む。
振り返ったトマスは、変貌した妹を見て色を失っている。
「カタリナ……?」
開き直ったか、名を呼ばれた少女はフンと鼻を鳴らす。
「そのまま大人しく死んでいればよかったのに」
「お兄様を敵の仕業に見せかけて殺して、仇とりましたーって体で支持を得ようって魂胆だね?」
「そのほうが帝位継承後も地位が安定するでしょう? そこのボンクラに任せてしまったら、オットリーノの言う通り可哀想だわ。ここで死んでおくのが幸せなのよ」
トマスは何も言えず、苦しい顔を浮かべている。
「今頃あなたの仲間だって、私の手駒やオットリーノの魔物たちにやられてるわ。あなたが無能なせいでね。何か言ったらどうなのよ。遺言くらいなら聞くわ」
口を真一文字に結んだトマスは、自分の妹をただ見つめている。頬を冷や汗が伝っている。
さすがにここまできて妹を庇うことはしないだろう――と、ロキは予想した。できれば、カタリナを敵として咎める言動を期待した。彼の覚悟を見たかった。
だが、トマスが口にしたのは――ロキが考えもしない言葉だった。
「……お前――誰だ?」
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