穢れた花

 広い廊下で突然立ち止まったミアに、ノエリアとヘルミーナが振り返った。


 2人ともまたミアが何かを察知したのだろうとはわかったが、その尋常ではない様子に、表情を曇らせる。


「どうなさいましたの? ミア」


「……おとーさんが」


 青い顔で慌てて窓のほうへ駆け寄るミアを、2人も追う。



 3人の眼下にあったのは、地面に臥せっているグラントを、ヴコールと多勢の兵士たちが囲んでいる光景だった。



「……どういうことですの? ミアのお父様は、城壁の西側を担当なさっているはずよ。それに、あそこにいるのはさっき逃げおおせたヴコールですわ!」


「あの……ヴコール将軍って、グラント将軍をライバル視しているっていう話、ですよね……?」


 ヴコールが何をしようとしているか、そこにいる全員が理解した。


 真っ先に動いたのはミアで、窓ガラスを粉々に打ち砕き、そこから身を乗り出した。


「そっ、そんなところから飛び降りたら、危ないですよ……!」


「ん、ミアならだいじょうぶ」



 ちょうどそのタイミングで、3人を取り囲むように前後から黒い魔物たちが迫ってきた。


「わたくしたちが追いつくのは先になりそうですわね。ミア、早くお行きなさい」


「うん、ありがとっ!」


 ノエリアの声に後押しされて、ミアは割った窓から勢いをつけて飛び出した。


 壁の突起を器用に足場にして、ひょいひょいと下に降り、とん、と着地する。

 と、同時にバネのような足で地面を蹴り、父の元へ電光石火に駆けていった。


 血の臭いが鼻をかすめる。遠くに見える父の周りは赤く染まっているが、荒い呼吸を感じ取れる。生きている。



「おとーさんっ!!!」


 2人の親子の間を、兵士たちが遮る。


 愛する父を傷つけられ、怒りでその髪を逆立てたミアは、大きな目をぎらりと猛らせて、道を阻む人間たちを鋭利な爪で切り裂いていった。


 美しく手入れされた庭園を、どす黒い血しぶきが穢していく。


 しかし、命を落とした者はいない。切られたのは手や足で、致命傷になる部位ではなかった。

 それが、ミアの甘さでもあった。



「そこまでだ」


 低く重々しい声が小さな少女を威圧する。

 ヴコールが、身動きのできなくなったグラントに剣の切っ先を向けていた。


「それ以上おいたをしてみろ。父親の首を斬り落としてやる」


「に……逃げろ、ミア。オレに構うんじゃねぇ……」


「フン、簡単には逃がさんぞ? 小娘、貴様の態度次第で父親を助けてやろうではないか。まずはこちらに来なさい」


 ミアは少しためらうが、その言葉通り、ゆっくりとヴコールに歩み寄る。


「よし、いい子だ」



 ヴコールの長い脚が突き出され、ゴッ、とミアは顔面に衝撃を受けて吹っ飛んだ。



「っ……!!」


 鼻に靴の泥を残し、ミアは痛みに悶える。


「ハハハハ!! 私の憂さ晴らしに付き合ってくれれば、命だけは助けてやる。悪くないだろう」


「てんめぇッ……!!!」


 薬を盛られ、動きを封じるために手足を斬られたグラントが、渾身の力をもってそれに抗おうとしている。

 ――が、その抵抗をあざ笑うように、ヴコールはその大きな手のひらに剣を突き立てた。


「ぐぬああぁっ!!」


「やめて!!」


 ミアは自分が手を貫かれたかのように、悲痛の叫び声を上げる。


「い……いうこときくので、おとうさんは、助けて、ください……」


 必死に懇願するような少女の顔を見て、ヴコールはニィ、と醜悪な笑みを浮かべた。



  ◆



 宮殿の廊下はノエリアの爆破魔術により外壁がことごとく吹っ飛んでいる。


 それでも黒い魔物は次々に集まってくる。ノエリアは剣を構えつつも、ヘルミーナの<聖域>の術がかかった範囲に引き下がる。


「……キリがありませんわね。場所がよくありませんわ。どうにかここを切り抜けられないかしら」


「あ……<聖域>の術で道を作りながら進めば、なんとかなるかもしれません」


「いい考えですわね! では、まず道を切り開くとしましょうか」


 ノエリアが真っすぐ手を突き出すと、そこから大砲のように炎の塊が射出され、魔物たちを退けていった。


「今ですわ!」



 振り返った先にいたのは、ヘルミーナだけではなかった。



 見知らぬ女騎士が、今まさに斬りかかろうとしているところだった。ノエリアも剣で防ごうとするがすでに遅く、肩から背にかけてを刃で削がれた。パタタッ、と床に血が飛び散る。


「っ……!! だ、誰ですの、あなた……」


「ノエリア・デ・ティヘリナ嬢とお見受けします。私はディートリント・シュトライヒ。あなたには恨みはありませんが、ご容赦を」


 その丁寧な物言いに、ノエリアはディートリントが高貴な騎士であると悟った。


 <聖域>は魔族を退ける術で、人間に効果はない。ひとまず傷を回復し、先にディートリントを倒さなければ、とノエリアは頭の中で段取りを組む。



「ヘルミーナ!」


 名前を呼んだ彼女は――どういうわけか、うつむいたまま動かない。

 ぬいぐるみは、ある。しかし、様子がおかしい。


 よく見れば、ディートリントはノエリアには敵意を向けているが、ヘルミーナのことはなぜか無視している。ヒーラーなど、真っ先に潰さなければならない存在なのに。


「……ヘルミーナ?」


「ノエリアさん――ごめんなさい」



 顔を上げた彼女は、笑っていた。



 すでに間合いを詰めていたディートリントが、剣を振り下ろす。

 ノエリアも咄嗟に防御するが、手負いの身体にその力は抑えられず、バランスを崩して床に倒れ込んだ。ディートリントはさらに詰め寄ろうとするが――


「待ってください!!」


 日頃大人しいヘルミーナの、初めて聞く大声だった。


「あの、ディートリントさん。その子は、友達で……」


「ヘルミーナ嬢、今更見逃すのはなしですよ」


「わかってます。その、ちょっとだけお話を……」


 知り合いのような話しぶりに、ノエリアは状況を察した。


「ヘルミーナ、どうして……?」


 親友だと思っていた。彼女も「友達」と称してくれた。それなのに、こうして敵に肩入れする理由がわからなかった。


「ノエリアさん……言ってくれましたよね。私のこと、応援してくれるって」


 ――ああ、そういうこと。


 同じような感性を持つノエリアも、すぐにヘルミーナの考えがわかった。



「ほら、こうすれば、モーリスが私を殺しに来てくれるじゃないですか!」



 その弾けるような笑顔を見て、ノエリアは納得する。これが彼女の愛なのだ、と。


「それで……わたくしたちを、裏切ったんですのね。あの皇子も――」


 人を見抜く才に関して他の追随を許さないロゼールが、ヘルミーナの裏切りに気づかなかったのは、ただ1つのわけしかない。


「皇子様……。……ああ! そういえば私、裏切ってますね」


 ヘルミーナは本当に今気づいたというように、自分でも驚いているようだった。自覚がなければ、さしものロゼールでもわかりようがない。


「すみません。あれ、私のことだったんですね。私、その、頭悪いから……。これでモーリスに殺してもらえる、って思ったら、他のことあんまり考えられなくて」


 顔を赤らめて恥ずかしがっているその様は、この場にはふさわしくない、いじらしいものだった。



「でも、あの、ノエリアさんは『友達』ですからっ。私がちゃんと、覚えてますから……大丈夫ですよ。たとえ、死んじゃったとしても――忘れませんから」


 可憐な花のような、澄んだ笑顔。しかし――その瞳は、暗く濁っていた。

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