楽しみな出来事

 私はロゼールさんたちに断って、お店の外でヤーラ君と通話していた。


「ヤーラ君。ロキさんがどうかしたの?」


『いえ……。さっき、カミル先生から、その……薬品のようなものを渡されまして』


「薬品?」


『よくわからないんですが……カミル先生がロキさんに頼まれて、嫌々作らされたものらしくて。先生が言うには、「見つかったら協会を敵に回す代物」らしいんです』


「え!? そんなものを、どうしてヤーラ君が……」


『わかりません。僕たちに必要なもの、としか』


 協会を敵に回すようなものが、私たちに必要ってどういうこと? ロキさんはいったい何を考えているんだろう……。



『――これが罠、っていうことはない……ですよね?』


「……ロキさんは、そんなことしないよ」


 そう言える根拠らしい根拠はないけれど、そういうのはロキさんのやり方じゃない気がする。

 いや……私の考え方が甘いだけかもしれない。どうしたって人を疑うのは苦手だ。


 それでも考えてしまう。誰がトマスさんを裏切ってるのか。


 ロゼールさんによれば、ノエリアさんとヘルミーナさんは違う。幼いミアちゃんはありえない。ロキさんでないとすると、残るは――



  ◆



 敵意をもって睨まれるのは旧友のお陰で慣れているので、その苛烈な形相を前にしてもロキはまったく動じず、いつも通りの笑みを浮かべる余裕さえあった。


「……何の用だ、テメェ」


 味方同士だというのに、ゼクの態度は親の仇に出くわしたときのようだった。

 脅迫的な低い声は、ひと気のなくなった薄暗い裏路地に小さく反響した。


「いやあ、君にいろいろ聞きたいことがあって。おもに、君の嫌いな魔族について」


「……」


 ゼクの顔はいっそう歪む。前置きなど無駄だと察したロキは、いきなり本題をぶつけることにした。


「――『サウル』っていう魔人を知ってるかい?」


 その名を聞いて、険しい目をより大きくひん剥いた。


「テメェ……それをどこで聞きやがった」


「これでも君より遥かに長生きしてるんだ。昔にちょっとした縁があってね」


 本当は「ちょっとした縁」どころではないのだが、ロキは自分の感情を押し込めて表層を繕い、目の前の――因縁の相手の身内を見据える。



「そのサウルってのが……君の父親なんじゃないかって思うんだけど」



 がっ、と胸倉を掴まれたロキの足が浮く。


「っ……あはは、ボクの読みは当たったっぽいね」


「黙れ!! どういうつもりだ、この野郎!!」


「落ち着きなよ。君とボクの敵は一緒だ」


「……」


 思うところがあったのか、ゼクは突き飛ばすように手を離し、ロキを解放する。


「まあ、安心しなよ。ボクが不用意に君の素性を暴露したら、あの殺し屋くんにどうにかされちゃうからね。最近どうなの、サウルさん。元気してる?」


「知らねぇよ。ふざけてんならぶっ殺すぞ」


「しばらく会ってないと思うけど。最後に顔見たの、いつ? 勇者エリックが来た後は?」


「っせーな、なんでそんな細けぇこと聞くんだよ!! 俺は連中の顔なんて見たくもなかったからな、誰にも会わずに出てったんだ!! これでいいか!?」


 期待通りの返答を得られて、ロキは心底満足そうに笑った。


「……うん。いい。最高にいい」


「わけのわからねぇ野郎だ」


 仮説の根拠が固まったことで、ロキの目的の1つ目は果たされた。

 2つ目は本来エステルに伝えるべきことだが、あまり時間がなかった。


「ところで、君のとこに錬金術師の少年がいたよね」


「あのチビが何だ」


「伝言、頼んでいいかな」


 ゼクのいぶかるような視線を無視して、ロキは手短に要件を伝える。敵に話が漏れないよう、詳細をかなり省いて。


「……どういう意味だ」


「言えばわかるよ。よろしくね」


「チッ。わけのわからねぇ悪ガキが」


「あははっ」


「何笑ってやがる」


「いや、なんか懐かしくて」


 のん気に笑っているロキに、ゼクは面白くなさそうにまた舌打ちをする。



「じゃあ、よろしくね。――君たちが頼りなんだから」


「……またふざけたこと抜かしたら、ぶっ殺してやる」


 そう吐き捨てて去っていくゼクの背を見送って数刻――ふと、ロキは背後に気配を感じた。


「……やあ」


 振り返った先にいたのは、見慣れた旧友の姿だった。


「なになに? ボクみたいに人のことコソコソ尾けるような真似しちゃってさ。昔みたいに嫌がらせしたり、陥れたりなんて算段はしてないから安心しなよ~」


「……」


 シグルドは静かながら、刺すような鋭い眼光をロキに向けている。恨みや疑いの目ではなかった。


 ロキはいつも、彼の言いたいことをわかっている。ロゼールやマリオのような芸当はできないが、付き合いが長いからか、その性格を熟知しているからか、無言のままでも彼の言葉が聞こえてくるかのようだった。

 言わんとしていることを理解したうえで、返事をする。


「全部、うまくいくさ」


 ロキは自信満々に言ってのける。


「敵が予想外の手を打っても、誰かがトチってやらかしても――誰かが裏切ってたとしても、きっと全部うまくいくよ」


 はったりや虚勢ではなかった。確かな根拠はないが、なぜかそう信じていた。だからか、大きな危機が目前に迫っている今でも、ロキは楽しくてしょうがないように笑っていた。


 一方で、シグルドはいっそう不機嫌にギリッと歯を食いしばる。


 「そういうことじゃ、ねぇんだよ」――ロキは古い親友の意思を汲み取る。まだ昔みたいに軍人らしい荒っぽい口調が残っているのなら、そう言うだろう。



 裏切り者は、シグルドかもしれない――とは、ロキは考えない。


 シグルドが自分を嫌っているのは、よくわかっている。彼の弓の師匠は、ロキが――「ルーカス王」が始めた戦争で死んだ。理由はそれだけではないらしいが。


 それでも、妹に刺されて死にかけていたロキを、地獄のような戦場から助け出してくれた。


 よく今までその百発百中の弓矢で心臓を射抜かないでくれたな、と感心したくなる。本当は、シグルドには一生かけても返せない恩があるはずだった。



「ありがとう」


 ふと、そう呟きたくなった。


 言われたほうのシグルドは一瞬戸惑った様子だったが、すぐに先の険相な顔つきに戻り、我慢ならなかったのか傍の壁を拳で打った。


 その怒りを収めぬまま、シグルドはさっと踵を返し、苛立たしげに去って行ってしまった。


 ――むかついたんなら、何か喋ってくれればいいのに。


 エステルほどの人間じゃないと口を利いてくれないのか、とロキは皮肉を言いたくなったが、当の相手の背はすでに暗がりに消えてしまっていた。



 魔族が来る。


 ロキは独り、くくっと笑う。おかしくてたまらないかのように。


 その楽しみな出来事は、数日という短い間を空けてすぐに訪れた。

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