悪手
<ゼータ>は全員と正面からぶつかってはいけない、とリベカは敬愛するサラに聞いていた。やるとしても、不意打ちや各個撃破で対応せよ、とも。
今回相手をすることになるとは思っていなかったが、そのセオリーは守ったはずだ。
――どういうこった?
『いいか? おれの迷宮にネズミが迷い込むだろ。ネズミは出口のない迷路をずーっと歩き続ける、それだけで弱っちまう。そこでちょいとした罠を仕込んでトドメを刺す。おれはほとんど何もしねぇで、ネズミどもは死んでいく。楽勝だろ?』
そう得意げに語っていたオベドはどうしたのだ。魔力消耗の激しい術を使ってまで、慎重かつ陰湿に敵を仕留めるあの男は。
『盗賊どもだって100人近くいるし、騎士の連中もついてるらしいな。人攫いは得意なんだろ? これで負けたら奇跡だぜ。ひひひっ』
そう評された盗賊や騎士たちはどうしたのだ。悪い意味での奇跡が、今起きようとしている。
気配の一切なかった男に妙な薬を盛られ、激痛の最中にいたリベカだが、オベドと違って治癒魔術の心得があり、徐々に地獄から脱しつつあった。
そうなると、いろいろなことを考える余裕が生まれてくる。
「……あれ? 君、解毒の魔法が使えるんだね」
「てんめぇ……! オベドの野郎はどうした……?」
奴は「友達」と称していた。あのオベドが自分を裏切るはずがないとリベカは信じていたが、姿を見せないのを不審に思った。
「オベド君かい? 彼なら――ほら」
男が大きな袋の口を逆さまにして、何かボールのようなものをゴロンと飛び出させる。
「――っ!!?」
よく見知った同胞の、生首だった。
そのおぞましいほどの苦悶の表情が、いかに凄惨な最期を遂げたかを物語っている。リベカは同胞を殺された恨みの前に、恐怖が先走った。
「や、野郎……!!」
どうにか恐怖を押しのけ、戦意を取り戻したリベカは、オベドの仇に殴りかかろうとする。
だが、その拳はピンと何かに引っ張られ、標的まで届かなかった。
――糸?
気づいた頃には、身体中に見えない糸が絡まり、身動きが取れなくなっていた。
「ぼくたちは、君に聞きたいことがたくさんあるんだ」
笑顔で告げた男の後ろから、スライムたちをすべて片付けたらしい魔術師の女と気障な恰好の騎士がやって来る。
「何よ、この首。いやだわ、この猟奇殺人鬼」
「お前がリベカだな? 宮殿に魔物を侵入させる計画があるらしいな」
リベカは返事の代わりにその兜に唾を吐いた。
上品な騎士の眼に、怒りの色が灯る。
「ダメよ。あなたはそういうことしちゃ」
魔術師の女がたしなめると、騎士は少し落ち着きを取り戻したように兜をハンカチで拭いた。
「俺がやる」
気を失ったリーダーを安全な場所に寝かせたゼカリヤが、静かながら迫力のある低い声で近づいてくる。
「テメェにゃ散々舐めた真似されたからな。言った通り、顔面変形するまでぶん殴ってやる」
嘘やはったりではないことはすぐに感じ取れた。
「……わかった。まず、あたしの能力について喋ってやる」
観念したように、大人しくリベカが話し出す。
「それはさっき聞いたぜ。魔物を強くして操るってんだろ」
「それだけじゃねぇんだよ。強くすんのはな、魔物だけじゃねーんだ」
敵に囲まれた絶体絶命の中、不敵な笑みを作る。
「――あたし自身も、強化できんだよ」
リベカの周りに旋風が巻き起こる。
取り囲んでいた連中は後ろに飛び退いて無傷だったが、煩わしい糸からは解放された。
「ナメんじゃあねーぞ、人間ごときが!!」
魔人は普通の人間よりも腕力も魔力もはるかに優れている。それをさらに術で強化すれば、いくら相手が多勢だろうと、いくら半魔半人のゼカリヤがいようと、こちらが有利だ。
だが、サラの警告も踏まえて、さらに保険をかける。
敵の4人がこちらを注視している隙に、後ろで眠っているリーダーに魔術を放つ。
紫色の水晶のような魔力の結晶体の中に、そのか細い身体を閉じ込める。
「動くなよ。テメェらのザコリーダーがどうなっても――」
牽制したつもりではあったが、それが悪手だったと気がついた。
目の前にいる全員――後ろにいた少年も含めて――が、殺意に満ちた鬼のような形相でリベカを睨んでいたからだ。
「そんなに死にてぇか」
妙に落ち着き払ったゼカリヤの声が、かえって恐ろしかった。
「変な真似すんじゃねぇよ。こっちにゃ人質が――」
バリン、とガラスが砕け散る音が響き渡った。
決して壊れるはずのない魔力の結晶が、砕け散っている。
何が起こったかはわからないが、やったのはおそらく――先ほどスライムを溶かしていた子供だ。彼の左目にチラッと光が反射したように見えた。
こうなれば力押ししかない、とリベカは舌打ちをしながら思いきり腕を振り、巨大な斬撃を飛ばす。
しかしそれは、突如現れた天井まで届くほどの氷の柱に阻まれ、ガキッと音を立てて消えてしまった。
「私の氷は100年は解けないわよ」
その言葉通り、岩をも穿つ斬撃を受けた氷には、傷1つついていない。
その柱が死角を作るためのものでもあったと気づいたのは、陰から騎士が矢のように飛び出してきたときだった。
騎士の剣捌きは、強化されたリベカにとっては威力も速度も大したことはない――のだが、反撃する暇を許さない。一瞬でも隙を見せれば容易に急所を貫かれるのは確実だった。
ガン、と剣と爪が強くぶつかる。
リベカは少しよろけたが、あちらのほうがダメージは大きく、刀身にはヒビが入っていた。
しかし――体勢を立て直すために地面につくはずだった足が、宙に浮いた。
いつの間にか足に糸を絡ませ、魚釣りのように逆さづりにしたあの男は、氷の柱の上方にある出っ張りに立って笑っている。
「うっぜぇな……!!」
糸など魔人の鋭い爪で簡単に切ってしまえるのだが――「糸を切る」という余計な動作を要求されたということが、致命的だった。
思い返せば、仕掛けてきた2人はただの陽動や時間稼ぎだったのだ。妙な少年と魔術師の女も、そのためのサポートにすぎなかった。
糸を切ったリベカは、着地する前にとてつもない衝撃を受けて壁に激突した。
「ぐあっ……はっ……!!」
顔と背中に激痛が走る。どろどろと垂れる鼻血の感触で、顔面を殴られたのだと理解した。強化したにもかかわらず、これほどのダメージは尋常ではありえない。
それもそのはず――殴った張本人は、人間の姿をしていなかった。
「テメェ、ただで死ねると思うなよ」
同じ魔人の表情とは思えない。鬼や悪魔のそれだ。真っ黒い眼球の中の紅い輝きが、リベカをぎょろりと刺している。
血管を浮き上がらせた腕が振り上げられ、固く握られた拳が襲ってくる。
グシャッと肉が凹む。
バキッと骨が砕ける。
絶え間のない激痛に、治癒魔術をかける意思すら消え失せる。
その嵐のような殴打の拷問は、向こうから聞こえた「ゼクさん」という弱々しい声でようやく終わりを告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます