頼もしい仲間

 ゼクは息を呑んだ。


 小さな穴に、青いゲル状の生物がぎっしり詰まっている。問題は、その中にエステルが閉じ込められているということだ。


「なんだよこれ!!」


 中で呼吸ができているのかどうかはわからない。エステルは苦しそうに顔を歪め、助けを求めるような視線を送っている。


 巨大なスライムは勢いよく飛び出し、ゼクに体当たりをかました。その軟体にぶつかっても痛みはほとんどないが、ゼクはバランスを崩して地面に転がる。


「いってぇな……この、デカブツが!!」


 力一杯突き出した拳は、その驚異的な弾性に弾き飛ばされた。

 打撃が効かないとわかったゼクは、背中の剣を抜く。


 中にいるエステルを傷つけないように、なおかつあの弾力に負けない威力で斬らなければならない。そういう技術や力加減が求められることは、ゼクが最も苦手としていたことだった。


 大きく粗雑で乱暴な剣の先を、巨大な軟体生物に向ける。

 集中して、エステルに当たらない場所に狙いを定める。


 ぐっと剣先を突き出したその直後、スライムは信じられない行動を取った。


 彼女の華奢な上体を――両手首は後ろで掴んだままだが――外に晒し、本体は後ろに寄って、盾のように前に構えたのだった。


「ッ!!」


 慌てて突きの勢いを殺し、剣を引き戻そうとしたゼクだが、切っ先がエステルの上腕の肉をわずかに削ぎ、出血させてしまった。


「わ、悪い!」


「ごほっ……っ……だ、大丈夫、です」


 やはり満足に息ができていなかったのか、エステルは青い顔で荒く呼吸をしている。



「あっはっはっはっは!!」


 後方から品のない笑い声が響く。


 ゼクは顔面すべての筋肉にあらん限りの力を入れ、すべての元凶を振り返って睨みつける。


「うっは、怖っ! あたしにメンチ切ってる場合じゃねぇぜ、ゼカリヤ兄ちゃん。うっかり斬っちまった愛しのお嬢ちゃんを早く助けねぇと! ま、助けられりゃ、の話だけどな」


 楽しそうにゲラゲラ笑っているリベカの態度が、ゼクの怒りを頂点まで押し上げる。


「クソアマが……テメェをぶっ殺しゃ、このくだらねぇ術は消えるんだろうが!!」


 ゼクが突撃したその眼前に、同じように巨大化したスライムが何体も立ちふさがった。


「!!」


「忘れたのかぁ? ここはスライムの洞窟だぜ。あたしの可愛い手駒ちゃんがたくさんつくれるってワケよ。全部倒してあたしにかかってきてもいいけどさ、その間にあのお嬢ちゃん、息止まって死んじまうんじゃねぇ?」


「ぐっ……!!」


 踵を返してエステルに向き直ると、さっきと同じように全身をスライムに包まれていた。


 しかし、その瞳には力強い光が宿っていた。

 彼女はかろうじて動かせる首を横にゆっくり振り、口の動きだけで言葉を伝えようとしている。



 ――にげて。



 ゼクは愕然とする。その行動が、その心根が信じられなかった。


 ――なんでこの女、テメェが死にかけてるときに、俺の心配してやがるんだ。


 彼女だけは、絶対に助けなければならない。それは意志というより使命のように感ぜられた。


 しかし、状況はますます悪くなっていく。何も手立てがない。

 彼の背中に、最弱だった魔物たちが襲い掛かる。



 爆発でも起きたかのように、洞窟の硬い岩壁が弾け飛んだのはそのときだった。


 その音に驚いた魔物たちは、警戒して動きを止めた。


 崩れた壁から出てきたのは、ドロドロの大きな化物だ。魔物ではない。それは、ゼクがよく知っている生物だった。


 化物の後に続いて、虚ろな目で背を丸めた少年がふらふらと歩いてくる。


「……ヤーラか?」


 仲間の姿ではあるものの、安心はできない。ヤーラが例の敵味方区別なく殺戮する状態に入っているのは、ひと目でわかった。


「どこだ? ここは、どこ……? ああぁ、早く、出してくれ……!!」


 どうにも話が通じそうにないが、そんなことを気にしている場合ではない。


「なあお前、あのスライムどうにかできねぇか? そうだ、なんかぶっかけて溶かすっつってたよな。それ寄越せ」


「あなたは、だれですか」


「んなこたいいんだよ!! 早くしねぇと、エステルが死んじまう!!」


 ヤーラの視点は空中を彷徨っていたが、やがてエステルを閉じ込めた巨大なスライムのほうに焦点を合わせた。


「――エステル、さん……?」


「そうだ、助けろ!! 青いやつ溶かせ!!」


 静止していたヤーラの左目が光を纏う。


 それに呼応するように、エステルを取り囲んでいたスライムが水のようにさらさらと溶けだした。


 意識を失っているらしいエステルが膝をついて倒れそうになるのを、ゼクが急いで支えに行く。ぐったりしているが、息は止まっていない。


「……ふぅ。危ねぇ」


 てっきり薬品で溶かすものと思っていたが、目視しただけで済ますなんて反則技を使われて、拍子抜けした。



「――なんだ? そのヤバそうなガキ。仲間か……?」


 ヤーラのただならぬ雰囲気に、リベカは警戒の目を向けている。


「……おい、敵はあれだぞ。わかってるよな?」


「アーリクはまだ、幼いのに……」


 正直、ゼクも半信半疑ではあった。会話すらできていないし、いつこちらを襲ってくるかはわからない。


 だが、当のヤーラは魔物の死骸を捕食しだしたホムンクルスをぼんやり見守り始めたので、とりあえず放置することにした。



 敵のスライムが一斉に飛び掛かってくる。

 またエステルが捕まったら意味がない。横たわっているその身体の前で、低い姿勢で剣を構える。


 しかし、交戦する直前――ドドド、とサンゴ礁のような氷が地面から大きく盛り上がり、魔物たちの動きを止めた。


 こんなとんでもない魔術を使う人間は、1人しかいない。そいつはこの開けた場所の入り口近くにある岩に、優雅に腰掛けていた。


「――そこの品性下劣な魔人かしら、エステルちゃんをあんなにしたの。私、ただでさえ機嫌が悪いんだけど」



 その氷塊の隙間からずるずると出てくる軟体生物を、閃光のように斬り払う影が1つ。


「そこのお姫様を任せていいか、ゼク。君では奴らと相性が悪い」


 気障ったらしい台詞で剣を構えたスレインが、目の前に立っている。


 あの氷は隘路のように出口が1か所に集まっており、そこを狙えばいい仕掛けになっていた。

 スレインは稲妻のような斬撃を浴びせ、スピードと摩擦熱で弾性の高いスライムに丁寧に創傷を作っていく。なるほど力押しのゼクには真似できない。



「チッ、ゼカリヤの仲間どもが次々と……。他の連中は何してやがん……!?」


 苛立ったリベカの首の辺りに、針のようなものが刺さる。


 音もなく、殺し屋が背後に回っていた。


「やあ、君がリベカ? ぼくはオベド君の友達さ。友達の友達なんだから、ぼくとも友達だよね」


「なんだテメ――……ぐうっ!? う、ああああああっ!!!」


 突然リベカの首から血管が浮き出て、苦しみだしている。

 マリオが持っているのは注射器だった。毒か何かを打ち込んだのだろう。


 状況が一気に好転していく。


 ゼクはかつてこれほどまでに、仲間を頼もしいと思ったことは一度もなかった。

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